ヴィルヘルム・ステーンハンマル2
「なぁ、こんな朝早くからどこに行くんだ?」
走り込み訓練の最終日、運動場に向かおうと部屋を出たところでヴィルヘルムに呼び止められた。
なんだか皆に内緒の秘密特訓がバレたみたいで、妙に気恥ずかしい。
「訓練校の運動場ですが……何かありましたか?」
「初日の夕飯からこっち、顔を見てなかったからどうしたのかと思ってさ」
なるほど、たしかにここへ来てからは初日以外は早朝に宿舎を出て、夜中に帰ってきているため、誰とも顔を合わせていない。
ん? ちょっと待て、そういえばゲームのときには、二日目にヴィルヘルムにこのあたりのことを案内してもらうイベントがあった。
これはプレイヤーに移動可能範囲内の主な施設や、宿舎内の端末でできることをヴィルヘルムが教えてくれる、チュートリアルイベントの第一弾で、ゲームのときには強制的に発生していたイベントだった。
ちなみに、第二弾は三日目の朝にヴィルヘルムが、訓練について教えてくれるイベントで、こちらもすでに過ぎ去っている。
もしかして僕が部屋を出た後に、ヴィルヘルムはリビングなどで僕のことを待っていたりしたのだろうか。
もしそうだとしたら、ヴィルヘルムには非常に申し訳ないことをしてしまった気がする。
「すいません。体を動かしていないと落ち着かなくて、訓練校の運動場で走り込みを少々……」
初陣で囮として敵陣に突撃して死ぬ君を、死なせないために訓練している。なんて、ゲームのときのことは言えない。
ここは、僕の訓練校時代のことを知っているヴィルヘルムなら納得してくれそうな、それっぽい理由をとってつけよう。
「あー、なるほど。航の行ってた訓練校って地獄みたいなところだったって話だし、まだその感覚が抜けないのか。それなら一緒に行ってもいいか? 俺もちょっと体を動かしたいって思ってたんだよ」
もしかして、これは一日遅れの訓練チュートリアルイベントだろうか? なんにしても断る理由はない。
「じゃあ、一緒にいきましょうか」
と了承の返事をして、準備のために部屋へと戻ったヴィルヘルムを待ち、二人で訓練校の運動場へと向かった。
運動場の端に缶詰の入った鞄を置いて、走り込みをはじめようとしたところ、ヴィルヘルムに「そのリュックは背負ったままなのか?」とたずねられた。
初日の走り込みでなんだか物足りない気分になった僕は、翌日からリュックを背負って走ることにした。
このリュックは訓練校の鬼教官から渡されたもので、中には30キログラムの重りが入っている。
「重りの入ったリュックです。何も背負っていないと物足りなくて……」
と、ヴィルヘルムに説明すると、ヴィルヘルムは興味深そうに僕を見たあと
「へぇ、それが前に言ってた奴か、面白そうだな。あとでちょっと貸してくれないか?」
と言ってきた。
もしかしてヴィルヘルムも、体を痛めつけることで生きている実感を得る、こちら側の人間なんだろうか。
「重いですよ?」
と、一応の注意と共に、後で渡すことを約束して走り出す。
ここ二日、一人で走っていたときにはただ、ただ、無心で、孤独で、それが逆に心地よかった。
けれどヴィルヘルムと二人で走っていると、連帯感というか、安心感というか、走りながら雑談なんかもできて、これはこれで悪くないものだなぁと思った。
訓練校時代は鬼教官が怖くて、何かを考えたり話したりする余裕もなかったからなぁ……。
途中、ヴィルヘルムにリュックを渡したり、お互いの訓練校時代の話をしながら走っていると夕方になっていた。
ずっと重りを背負っていた訳ではないけど、それでもこの訓練についてきたヴィルヘルムに驚く。
今も横目で見る限り、まだ余裕がありそうな表情をしていて、僕の中にあった小さな自信にヒビが入り始めているのを感じる。
顔も性格も完敗している僕だけど、体力だけはヴィルヘルムよりもあるって自信があったのに……。
その後、夕食を二人で完全食の缶詰で済ませ、また僕達は走った。
「こんな時間まで走ってたのか、どおりで顔を見ないはずだ」
と、ヴィルヘルムが言っていたけど、初陣までは手を抜くわけにはいかない。
夜中、そろそろ日付が変わりそうな時間になって、僕達は帰路についた。
宿舎に帰ってきたあと、ヴィルヘルムと二人でシャワーを浴びて、それぞれの部屋へと戻る。
それからパジャマに着替えて、僕はベッドに体を投げ出した。
三日間の走り込み訓練はこれで終わりだ。
ゲームならこれで全てのステータスが4に上がっているはず。
こちらの世界ではどうかと、目を瞑ってステータスを確認する。
近距離戦能力 4
中距離戦能力 4
遠距離戦能力 4
危険察知能力 4
機動力 4
クレジット 0
上がっている。
ゲームのときと同じ場所、同じ訓練で、この世界でもステータスの値がしっかりと上がっている。
これで少なくともステータスに関することは、ゲームのときの仕様と同じということで、ほぼ間違いないんじゃないかと思う。
明日からの河川敷での水切り訓練が終わったとき、中距離戦能力が5に上がっていれば、これはもう間違いないだろう。
このステータスが、この世界で僕に実際にどんな影響を及ぼすのかは、はっきり言ってわからないけど、それでも一歩前進したのは間違いない。
このまましっかりと、きたる初陣に向けてできる限りの準備を整えたい。