頬に涙の一滴
大道芸通り、と呼称される大路がある。
その名の通り、年間を通して世界中から集った芸人たちが種々様々な芸を披露する、観光名所にもなっている大通りだ。
今日もまた、いつもと同じように数多くの道化師たちが踊っている。
その、一角。
ボールが、落下の音を連続させた。
跳ねたボールは、その持ち主を見物していた少年らの足元に向かっていく。
「……へったくそだなあ、あんた。一ヶ月も毎日ここにいるのに全然上達しないじゃん」
バスケットボールを脇に抱えた少年が、足元までやってきたボールを拾い上げ、落とした芸人へ投げ返した。ジャグリングに失敗した芸人は恥ずかしそうに身を小さくしながらボールを受け取って頭を下げる。
だぼだぼのズボン、袖の余った丈の長い上着、情けなくカーブした長い帽子に仮面と、典型的なピエロの出で立ちだ。
ピエロは受け取ったボールで再びジャグリングし始めるが、数秒もたずにまたも全て取り落としてしまう。
「ほんっとへたくそだよなあ。俺だってもうちょっとできるよ。っていうか、一ヶ月もここで練習しててなんでちっともうまくならないんだ?」
なあ、と周囲の友人を見やる。彼らも、そうだなあ、と頷いた。
ボールを拾い集めたピエロは、困ったように頭を掻いた。
そこで、ふと少年は思い出したように、
「そういえば、あんた、一回も顔見たことないけど、日本人だろ?」
突然の問いかけに、ピエロは心底驚いた、という動きをした。言葉を理解してはいるようだが、ピエロが発することはない。いつでも大仰なリアクションだけだ。
それにも慣れている少年も、にやりと笑う。
「やっぱな。なんだってこんなとこまで来てピエロの練習してんのか知らないけど、ジャグリングもできないんじゃいつまでたってもお金投げてもらえないぜ」
少年の言通り、ピエロの足元にある銀皿にはたった数枚の銅貨しか入っていない。
ピエロもまた自分の足元を見下ろして、頭を掻いた。
「他に何か特技とかねーの? そっちやった方がいいかもしれないじゃん」
少年の言葉に、ピエロは腕を組んで考え始めた。数秒、首を大きく捻る。
あは、と少年は笑った。そして、ポケットに手を突っ込みながら身を翻す。
「まー頑張れよ。他の奴らにいいだけ笑われても諦めないの、俺は結構好きだぜ」
行こうぜ、と友人らに声をかけながら、少年はポケットに突っ込んでいた軽く腕を振った。
煌めきが宙に弧を描き、ちゃりん、と音を立ててピエロの銀皿に入る。
わお、とまたオーバーに喜んだピエロは、感謝を表すようにぶんぶんと腕を振った。
そんな姿を見ていた周囲から、隠されもしない笑い声が漏れる。しかしそれは決して好意的なものではない。莫迦にしたような、嘲りを含んだ嗤いだ。同時に、周囲で芸をしていた大道芸人らから、同じく見下した色を隠さない視線がピエロに当てられる。
ピエロは。
それに対してもこれといった反応を返さず、振っていた腕を下ろすと落としたボールを拾い始めた。
二つはすぐに見つかった。しかし最後の一つが見つからない。しゃがみこんであちこち見回すピエロの前に、ふと誰かが立った。
幼い兄妹が立っていた。
気付いたピエロが、小首を傾げ、しゃがんだ姿勢のまま二人の前に行く。
兄妹は、どこか陰のある表情をしていた。だからだろうか、ピエロは二人を笑わせようと、さまざまにおどけて見せた。声こそ出さないが動物の物まねをしたり、踊るように動いて見せた。
ピエロの渾身のアクションに、とうとう他の通行人や芸人たちが笑い始めた。次第に熱の入っていく動作を見て、腹を抱えて笑い出すものまで現れている。
しかし兄妹は笑わない。
どこか悲しげな表情のまま、ピエロをまっすぐに見つめている。
とうとうネタが尽きたピエロは、結局二人が最後まで全く笑わなかったために若干肩を落として初めの位置に戻る。
と、ふと、妹の方がピエロの方へ手を伸ばした。
ん? とピエロが少女へ顔を近付ける。
ピエロの仮面。
屈託のない笑みの形を象った仮面だ。
そして、右の頬に一滴の涙。
その涙のマークを、少女は指先で小さくなぞった。
そしてそこで初めて、少女は薄く、ほほ笑んだ。
ピエロの手に、三つめのボールを置いて、少女はピエロへ向けてささやく。
頑張って、と。
それだけ告げて、兄妹は踵を返して振り向きもせずに走り去り、あっと言う間に人の中に見えなくなった。
しばらくの間、ピエロはしゃがんだまま二人の駆けていった先を眺めていたが、やがて頭を掻いて立ち上がった。
手の中のボールを見つめる。
もう既に、誰もピエロに注目してはいない。
ピエロは、ボールを宙へ放った。
高く高く、ボールは上がる。
時空モノガタリと重複投稿。