8) ワンフォアオール以下省略!
翌朝。
アリスが起居している家には、昨日のようにメスティアの一同が顔をそろえていた。アリスを中央にして、その他の者達は左右に居流れている。
ほかに、白髪白髭の老人と恰幅のいい中年婦人が混じっている。アルセア村の長老セフと村長を務めるパール婦人であるとヘレナが教えてくれた。
ハルカがやってきたのを見たアリス、小さな腰掛からすっと立ち上がり
「では、衆議を始めるといたしましょう。――リディア、皆さんに説明を」
「……承知いたしました」
アリスに促されたリディアは
「皆、私が今から話すことをよく聞いてもらいたい」
そう前置きしておいてから、一同に向かって話し始めた。
「……昨日、ドボスが二度にわたり軍勢を動かして我々を攻めてきたことは各々承知していると思う。これまで小部隊程度の人数しか送ってこなかったものが、急に軍容を大きくして攻め寄せてきた。これは何を意味しているのか?」
皆、じっと彼女の言葉に耳を傾けている。
――ドボス軍を牛耳っている将軍ダムから、我々メスティアの者を今度こそ根絶やしにするよう命じられたものとみるべきである。さもなくば、突然あのような行動を起こす筈がない。豪勇と名高いバルゼンが自ら出陣してきたことからしても、そのことを裏付けているようなものである。ガルザッグはいよいよ本腰を入れてメスティアの生き残りをことごとく潰すつもりであろう。
しかるに、我々は流浪に流浪を重ねてここアルセアの地まで逃れてきたが、もはやこれ以上身を隠すべき土地はない。このままでは、座して滅亡を待つことになると思っていい。
演説調なリディアの説明は、次第に熱を帯びていく。
そして一呼吸の間をおいたところで、彼女は一段と声を張り上げた。
「事ここに至った以上、我々が選ぶべき道はたった一つ。守りに専念することを捨て、逆にこちらから打って出るあるのみ! ガルザッグ帝国支配下にある国や街を奪取して民を解放すれば、志を同じくする人々からの協力も得られよう。今まで我々のために尽くしてくれたアルセアのセフ長老とパール村長には感謝の言葉もない。だが、ここに留まっていては遠くない将来、アルセア村の人々も残らずガルザッグの手によって殺されてしまうだろう。――皆、どう思う?」
一同、声がない。
意見を述べるには、リディアの話はあまりにも重たすぎる。自分達の生死と運命がかかっているからだ。
決起したにせよ、メスティア王国を再興できるという見込みはどこにもなく、むしろ強大なガルザッグ軍に戦いを挑むなど無謀に等しい。ただし、このままアルセアにいても、いずれ攻め滅ぼされるのは火を見るよりも明らかなのだ。
室内に流れ始めた沈黙を破るようにアリスが立ち上がった。
「このように重大な問いかけに対し、すぐに決断するのは難しいと思います。かといって、私達に残された時間はありません。……ですが、これまでと状況が変わっているのも事実です。幸い、女精エティシアのご加護でありましょう、昨日私達にとって本当に頼もしく力強い味方が来てくださいました」
と言って、真っ直ぐにハルカのほうを向き
「――ハルカ様、誠に都合のいい身勝手な考えで大変申し訳ないとは思いますが、私はそのように受け止めました。ドボスが本格的に攻勢を開始したまさにその日に、あなたがいらっしゃったのですから」
え? あたし?
いきなりの振りを食らったハルカ、目を丸くして固まっている。
「私達メスティアの者に、どうかお力添えをいただけませんでしょうか? このアリス、伏してでもお願い申し上げます!」
直角よりもまだ深く頭を下げたアリス。
一国の姫様がそこまでするの!?
ハルカは驚いたが、慌てはしない。昨夜夕食を共にした際、彼女の決意と覚悟を直接聞いているからだ。命と引き換えにしてでも、魔王ディノを倒したいのだ、と。
気持ちはわかるだけに、安直な返事をしてはならないように思う。
ここは少しばかり、発言に思案を要するところである。
「……」
それから少しの間というもの、ハルカは腕組みをしてじっと考え込んでいた。
正直なところ、一緒になって戦っていくしか残された道がないのだろうな、とは思っている。この何もかもまったくよくわからない世界で、自力で自分の居場所なんて探しようがないのだから。アリスやヘレナと行動を共にすれば、ずるい言い方ではあるが――生きていくことはできるであろう。ガルザッグやドボスにやられてしまわない限り、だが。
そう。
このままではガルザッグ帝国に攻め込まれて、いつか殺されてしまう。ここにいる全員が。
どのみち、誰もが手に手に武器を取って立ち上がるしかない。
立ち上がって戦い、自分達が安心して暮らせる場所をつかみ取る以外に、生きていく術はない。
そのために大事なこととは何か?
ハルカには、おぼろげながらそれがわからなくもない。
ただし、自分だけがわかっていればいいっていうことではなくて――みんな、ちゃんとわかってる? と、確認しておきたかった。大勢で集まって皆で何かをするときに、一番大切なことを。
おもむろに顔を上げると
「……あたし、好きになった先輩がいたんです。今年の春に卒業しちゃったんですけど」
どの顔も「何を言いだすんだ?」と言わんばかりの表情でこちらを見ている。
が、構わずにハルカは続ける。
――その先輩、野球部のエースでした。
すごいピッチャーだったんです。県内でもその球を打てる人は何人もいないって言われていました。
だから去年の夏、甲子園行きはうちの学校の野球部で間違いないって前評判だったんですよね。
あたしも、先輩が投げさえすれば絶対に負けないって、そう思っていました。
でも――地区予選の一回戦で負けてしまったんです。
自分の話の内容ぜんぶを皆にわかってもらえるとは思っていない。
そもそも、野球というものがない世界の人間相手に野球の話をしているのだから。
が、ハルカはそれでいいと思っている。野球の話を聞いてもらいたいのではなく、彼女が言いたいことはその先にあるからだ。
ふとアリスに目線を向けると、彼女もまたハルカを注視したまま、その視線をいささかも動かさない。
ハルカは自然とアリスに対して語りかけるようにして喋っていた。
「あり得ない負け方でした。同点のまま最終回で相手の攻撃、あとアウト一つで延長戦っていうときに、エラーでランナーを出しました。そうしたら次の打者のときに、キャッチャーがボールを後ろに逸らしてしまった隙にホームインされてサヨナラ負けです。先輩はホームランもヒットも打たれていないのに、外野とキャッチャーがエラーしたために負けたんです。それも、たった二球で負けたんですよ」
一瞬区切ったあと、声をひときわ大きくした。
「チームプレーって、誰か一人だけ優秀でもダメなんです。みんなが一丸になって『絶対勝ってやる』って思って協力し合ってこそ、はじめて勝てるんだって思います。うちの野球部がいい例じゃないですか。――だから、あたしが協力したから勝てるとか協力しないから負けるとか、そういうことじゃないと思うんです。皆さんが本当にガルザッグをやっつけてメスティア王国を元に戻したいって、思っているかどうかですよ。一人一人が同じ思いなら、大丈夫だと思います。やれると思います」
アリスだけではない。一同の視線がハルカに集中している。
どの顔も、虚をつかれたかのようになっていた。
思いもよらない角度からの物言いだったからであろう。全員が一致結束することの重要性を説かれるなど、誰も予想だにしていなかったに違いない。
――が。
これ、なんとかなるんじゃね?
ハルカがふとそう思ったのは、先ほどまでの空気ががらりと一変して「それもそうだ」という、どこかポジティブな雰囲気が漂い始めたからである。
「……違いない。ハルカの言う通りだ」
真っ先に声を上げたのは、巨漢ベック。
人の好さそうな相好をさらに笑み崩して頭を掻きつつ
「俺、やっぱり生まれ育ったメスティアに帰りてェよ。このアルセア村もいい所だし女の子は可愛いけど、故郷は恋しい。帰れるものなら、もう一度帰りたいんだ」
「そうですね。私はラヌスの森でまた動物たちと触れ合いながら暮らしたいです」
ベックの言葉に、女性弓士のニナが相槌を打った。
隣のマーティがゆったりと頷いている。
「まあ、俺は流剣士だからメスティアが故郷ってワケじゃねェが……でも、多少なりとも磨いてきたこの剣の腕をもって卑劣なガルザッグの連中を叩き潰してやりてェって、ずっと思ってきた。奴等に殺された人々の仇をとってやれたら、俺のような奴でも少しはこの世界の役に立てるってモンだしよ」
正規のメスティア軍出身ではないウォリスはそんなことを言った。
自分で自分の言葉が気恥ずかしくなったのか、天井を見て頭を掻いている。
すごくいい、ハルカは思う。
人はみな、自分の能力を自分のために使おうとする。
それはそれで別にいい。けれども自分のためだけではなく、自分以外の誰かのために何かしてあげたいと思えたならば、それはさらにすごくて尊いことだ。
流剣士などは金で雇われるから金次第でどの勢力にもつくのが当たり前なんだ、と昨夜ウォリスは言った。つまりは傭兵のような存在である。
ゆえに彼もそうなのかとハルカは思っていたのだが、意外にも志を高くもっていたのだった。
初対面のときから割と好意的にみていたが、その隠された信念を聞くに及び、よりいっそう彼への敬意が深まったように思う。
メスティア勢はあらかた賛意を示したが、あとはアルセア村の人々である。
アリスらを受け入れている時点で運命を共にする選択をしたも同然なのだが、メスティア軍を送り出すとなれば、それなりの支援と、そしていつどうなってもいいという覚悟を決めなければなるまい。が、今や村全体が飢えつつあるうえに、大した備えがあるわけでもない。
衆議のなりゆきをじっと見守っていたセフとパール。
やがて、進撃に踏み切る方向で話がまとまると
「……いや、よくぞご決断なされた。もはや躊躇っている場合ではないと思い、もし自重ということになれば失礼を承知でご一同にもの申すつもりでおったが、その必要はありませんでしたな」
セフはしわだらけの相好を愉快そうにほころばせた。
パールも、何度も頷いて
「そうと決まったなら、アルセアとしてはできる限りのことをさせてもらいましょう。メスティアの皆さんは私達にとっても最後の希望。村の人々もみんな、どんな手伝いも惜しまないと思いますよ」
「村長が仰る通りです! 足手まといなのは承知していますが、私達姉弟も、どうか人数に加えてください!」
そう申し出たのはマリス。
隣でノアはやや不安そうな表情を隠さないが、姉が決めたことには素直に従うつもりらしく、特に何も言わなかった。
「アルセスの人々に平和と安穏を! 我々の手でガルザッグを打ち倒し、メスティアの大地を再び!」
気持ちが高揚してきたのか、ベックが気勢を上げると、他の者もそれに唱和した。
その様子を見守っていたアリスはやがて、穏やかな微笑をハルカに向け
「……いかがでしょうか、ハルカ様。皆、思いはそれぞれですが、ガルザッグ帝国を打倒してメスティアの大地を取り戻したいという気持ちは一つのようです」
と言ってから、辞儀を改め
「もう一度、お願いいたします。――どうか、私達メスティアの者にお力をお貸しください、ハルカ様。あなたという希望と共に進む限り、私達はいかなる困難をも恐れない決意です。もし、国土を取り返したあかつきには、何なりと仰るとおりに――」
「そういうの、やめてください」
きっぱりと言い切ったハルカ。
「あたし、昨日までは世界にとって何の役にも立たないただの女子高生でした。でも、この世界にきて、みんなのために働くことがすごく楽しくて素晴らしいことなんだって、よくわかりました! あたしもウォリスさんみたいに、一人でも多くの人のために何かしたいって思うんです。それだけです」
いきなりニッと笑って見せ
「ぼやぼやしている場合じゃないですよ! こうなったら一刻も早く、ガルザッグ帝国をぶっ飛ばしに行きましょう! あたしも一緒に連れて行ってください!」
「ハルカ様……」
部屋の隅で静かに立っていたヘレナが、そっと目頭を拭った。
悲願としていたその時をついに迎え、感極まってしまったのだろう。