35) ロバルド島奪還・罪と罰の行方
そちらを見やれば、一番端の積み荷倉から男が数名、ぞろぞろと出てきていた。どれもこれも逞しい体つきをしているところからして、船乗りであるように思われた。
「違いまーす。メスティアでーす」
ハルカが答えたが、男達は険しくしたままの相好を緩めず
「何ィ、メスティア? ンなわけねェだろう。あんなもの掲げて入ってきておいて、何言ってやがる」
一人が帆柱の天辺を指した。
――ドボス軍旗が翻っている。
そりゃそうだわ、と内心で苦笑いしたハルカ。偽装していたのをすっかり忘れていた。
事情を説明しようとしたが、その必要はなかった。
「おい、お前ら! 俺の顔を見忘れた、とは言わせねェぞ! しばらくぶりにはなるがよ」
ライケルが自ら進み出てきてくれたのである。
途端に、男達が一斉に「あっ!」という顔をした。
少し後ろにひときわ身体の大きい、髪も髭も伸ばし放題ながら厳つい面貌をもった男がいる。彼は前に陣取っている船乗り達を掻き分けるようにして前へ出てくると
「ライケル? ――ライケルじゃねェか! 久しぶりだなァ、おい! ドボスにやられて以来か」
「お前、ダッツか! よく殺されずに生きていたなァ! みんな無事か!?」
ダッツといった男は、顔をくしゃくしゃにして
「おうよ、どいつもこいつも、無事よ! ――なんだァ、おい。ドボスの旗がかかっているからてっきり、魔族の連中が嫌がらせにきたのかと思ったぜ。人騒がせな奴等だ、まったく」
毒づきながらも、喜びを隠しきれない様子である。
船乗り同士の古い知り合い、あるいは親友同然の態度といっていい。
殺気立っていた雰囲気は一変し、たちまち和やかなそれが漂った。
上陸は上手くいったな、というふうに、ハルカに向かって片目をつぶって見せたウォリス。
ダッツはライケルが引き連れてきた一行を積み荷倉の中へと招き入れた。外じゃなんだからな、と彼は言ったが、オルロスが使っている従者にでも見られれば厄介だ、ということなのであろう。
あらためて久闊を叙したのち、ライケルはアルセス島における一連の出来事を詳しく語って聞かせた。
黙って一部始終に耳を傾けていたダッツ、話が終わるや激しく膝を打ち
「そうだったのか。そういうことなら、話は早い。もたもたしている法はねェってモンだ。――おい、野郎ども! 全員を積み荷倉へ集めろ! 今すぐにだ!」
居ても立っても居られなくなったようである。
ライケルは苦笑して
「おいおい、そう慌てなさんな。俺達ァ、まだロバルド島がどうなっているのか、わかってないんだぜ? 今度はそいつを、お前さんから聞きてぇモンだな」
「あ、そうか」
顔に似合わず、そそっかしい一面があるらしい。
その落差が可笑しくて、ハルカとランリィはついくすりと笑ってしまった。
ダッツが語るところ、二人が予想したように、ロバルド島はもぬけの殻だという。ガルザッグの兵はなく、ただ一人オルロスの野郎が威張りくさっているだけだ、とダッツは吐き捨てるように言った。
「そいつはまあ、こっちにとっちゃ有利だがよ。しかし、一兵も寄越されてきてねェってのは気持ちが悪いな。帝国で何かあったんじゃねェのか?」
顎を撫でながら呟いたライケルに、ダッツは
「あれよ、ライケル。半年か、もちっと前くらいからだったかな。どうも、大陸で何かあったのかもしれん。オルロスが呼ばなかったっていうだけで、あのガルザッグ帝国が兵を送ってこないなんてのはヘンだからな。ダムの糞野郎が反乱を企てたときにゃ、何艘もの船に兵を乗せて寄越したんだぜ? 確かめる術はないんだが、疑いたくもなるだろう?」
この話は、メスティア勢にとって聞き逃すことはできない。
世界中全土をその手に収めようと野望を抱くガルザッグ帝国である。辺境の島だからといって捨て置くということは考えにくい。当然、征服を着実なものにするべく魔族の兵を送り込んでくるであろう。
しかし、半年以上にわたって、少なくともロバルド島に帝国の者は来ていない。
これがいったい、何を意味するものなのか。
「ガルザッグの動きが腑に落ちねェが、島のことはよくわかった」
ライケルは頷いて見せて
「ともかく、メスティアの姫様が立ち上がった以上、俺達も加勢しない手はない。そこはいいな?」
「無論だ。もう、ガルザッグの連中に好き勝手にされるのは御免だからな。俺達は同じ船乗りだ。お前らポームの連中と抱き合い心中でもなんでもしてやらぁ。――だろ、お前ら?」
「おおっ!」
ダッツの呼びかけに、すぐさま反応したロバルドの船乗り達。
彼の眼光がぎらりと鋭く光った。
「まずは、オルロスを引き摺り下ろしてロバルドを元に戻す。で、キースをも奪い返しつつ、この海域をガルザッグの連中から守る。――メスティアの武人さん達よ」
「何かな?」
代表して返事をしたウォリスに、ダッツは
「俺達ァ、船乗りだ。一緒になって大陸まで攻め込んでいくわけにゃいかねェ。……だが、ここらの海のことに関しちゃ、別だ。あんたらメスティアにガルザッグをぶっ潰してもらいてェからよ、大陸に着くまでのことはできる限り協力してやる。どうだ?」
「ああ、異存ない。ありがとう」
爽やかに応じた。
ここに、メスティア軍とロバルドの船乗り達の協力関係が成立したということになる。
こうなると、話は早い。
船乗り達は手に手に得物を携え、行動を開始した。
目的は、ガルザッグに通じて島の権力を恣にしているオルロスを討伐するにある。
結果からいえば――その日、ロバルド島はあっけなくメスティア勢と船乗り達の手に帰した。
狡いオルロスはガルザッグ帝国の威こそ利用しようとしたが、かといってガルザッグの者を直接近づけたくなかったことから、島にガルザッグ兵を一人たりとも置かなかった。すべて、アルセス島に送ってしまったのである。魔族など人間以下の存在だと思っていたせいなのか、どうか。一方で、ガルザッグ帝国や魔王ディノの名をちらつかせることによって、島の人々を自分の意に従わせていた。人々はオルロスにそれほどの権威があるのかと半信半疑だったが、実際にガルザッグ兵を目の当たりにした以上、迂闊な真似はできなかった。
そういうこともあって一年近く、裸の王による支配は続いた。
船乗り達が決起したという報を耳にした島の人々は呼応して立ち上がり、大挙してオルロスの居館へと攻め寄せた。突然の反乱に狼狽したオルロスは自分を守れと館の者に命じたが、彼を守るべき兵力などはない。そうしてしまったのは彼自身である。
たちまち捕らえられ、人々の前へと引き摺り出されたオルロス。
彼は自分に危害を加えればガルザッグ帝国が黙っていないと騒いだが、彼の直接の後ろ盾だったガルザッグ軍の手先たるドボス軍はすでに滅びている。何の脅しにもならなかった。
結局、広場の中央に立てた杭に縛り付けられ、そのまま延々と晒された。
彼を目掛けて投石する者が後を絶たず、一日と経たないうちに身体中が血まみれになっていた。恥も外聞もなくひいひいと泣きわめいて許しを請うたが、後の祭りであった。そうしてそれらの傷がたたったか、三日後に島の者が確認すると、すでに息絶えていた。それでも人々の怒りと憎しみは収まらず、死体はさんざん傷つけられ唾された挙げ句野に捨て置かれ、鳥や獣の餌にされた。
ハルカはといえば――オルロスの処分論議に加わらず、自分からは何も言わなかった。広場で晒しの刑になってからも、一切見に行こうとはしなかった。
胸中、複雑な思いがある。
確かに、彼は大悪人といっていい。
ダムなどの魔族と結託してこの海域にある島々を塗炭の苦しみに陥れた張本人なのだ。アルセス国王アルゼがあのような凄惨な最期を遂げねばならなかったのも、アリスが辺境の村アルセアまで追われたのも、元を辿ればオルロスの仕業ということになる。捕らえられた彼が人々から壮絶な報復を受けたことも、やむを得ないといえる。
しかし。
本当に、それしか方法がないのかしら?
ハルカは考え込まざるを得ない。
彼女の進言によってダムは残酷な衆前処刑こそ逃れ得たが、それでも死を与えられたことに変わりはない。今思えば、魔族であるから死を与えてもよい、というような発想をしてしまったような気がして、思い返すたびにどうも胸の内が穏やかでなくなってくる。それをいってしまえば、さんざんぶっ飛ばしまくっている魔族兵はどうなんだ、ということにもなるのだが――下級の魔族兵のほとんどはろくな知能をもたず、飼い慣らされた獣同然であるゆえ、ハルカも割り切って戦っている。うすうすわかってきたのは、魔族にも二通りいて、人間同様の知能をもっている者達と、そうでない部類に大別されているらしい。ただし、なぜそのようなことになっているのかはメスティアの面々に尋ねてもよくわからない。
それはさておき。
悪いことをした者は、死ぬ以外に許される術がないのであろうか。
現実世界の、例えば日本なら刑務所というものがある。一定の年月をそこで過ごすことによって罪を許される仕組みになっている。海外でも、多くの国ではそういう制度であろう。罪を犯した者に対し、いきなり命を奪うということはまずないといっていい。
こちらの世界には、人権という概念が存在しない。
どころか、長きにわたり戦乱が続いていることもあって、人の命、人の存在など塵のように思われている。
が。
それはあくまでも自分の見知らぬ人間に対してのことであろう。自分の命が危機に瀕すれば、人は当然慌てふためく。親しい家族や知り合い、あるいは心を許した人が傷つけられたり命を奪われれば、自分の身にされたように嘆き悲しむ。つまり、必ずしも命が軽く考えられているということでもない。
まずは、この戦乱自体をどうにかしなければならないように思える。
世の中に殺し合いが蔓延している以上、命の重みや個人の尊重を説いたところで焼け石に水である。命の安全が守られる保証がない以上、どういう説得力も持たないのだ。
殺し合う必然性、つまり世界に戦いがない状態に持ち込んだうえで、一人一人――人間だけでなく、魔族や他の種族も含め――の存在が大切にされるようにしていくべきなのではなかろうか。
「ねぇランリィ、あたし、間違っているのかしら?」
「いいえ、ハルカ様。ハルカ様がお考えのことならば、正しいと思います」
問いかけに、即答したランリィ。
ふわっと微笑みを浮かべて
「そう申し上げるのは、私がただハルカ様をお慕いしているからというだけでなく、ここに至るまでのハルカ様の数々の振る舞いが、それを証明しております。ハルカ様が正しいからこそ、多くの人々がハルカ様を信じ、力を合わせようとしたのではないでしょうか」
聡明な娘である。
ハルカは、少しばかり胸の内が軽くなったような、そんな気がした。
ロバルド島に上陸してから七日あまり。
珍しく雨が降り、島の大地を優しく潤している。
ふと気が付いたが、この世界で雨が降っているのを見たのは――初めてのことだったかもしれない。




