34) アルセス島出港・ハルカを襲う試練
ようやく、船の修理が整った。
人々は出港に向けた準備に大わらわである。
ハルカも手伝おうとしたが、船乗り達には決まったやり方があるらしく、邪魔になっては申し訳がないので手を出さないことにした。
ランリィと二人、着け場の近くで乗船待ち。
船出には格好の晴天。日差しが心地よい。
山積みされた木材の上に腰掛け、ぼんやりと西に向かって開けている湾口――港の出入り口――を眺めていたが、ふと
「ロバルド島って、どんなところかしら? 広いのかな?」
「私が諜探兵だった頃、一、二度渡ったことがあるだけですが――」
と言いつつも、王直属の諜探兵を務めていただけあって、彼女の説明は仔細を極めていた。
大きさはアルセス島の半分もない。小島といっていい。
中央部がわずかに隆起しているのみで、地形はほとんど平坦である。周囲を大海に囲まれながら人が住み得たのは、海流の恩恵といえる。潮の流れが常時島を避けるようになっているため、島全体が大波に洗われるという心配がないのだ。
島そのものにはこれといった特徴がないが、人が住み着き多少栄えたのは、やはりアルセス島の飾り石と関係がある。産出された飾り石を船で運ぶ際、一気に大陸を目指すことはできない。水や食料の補給、あるいは船乗り達が休憩する場所が必要であった。つまりロバルド島は、交易の中継地点としての役割を果たしていたのである。明確な取り決めはないものの、事実上ほぼアルセス国の影響下にあったらしい。船乗りと交易商人、それに街商い――物売りや宿、金物交換など客相手の商売の総称――が各々の生業に精を出しつつ、おおむね自由に暮らしていた。国としての機能がおかれていなかったことから兵はいなかったが、悪漢などが入り込むことがあっても、住人達が結束して追放したため特に支障はなかったという。住人らの手に負えない乱暴者であっても、そういうときは船乗り達が腕っぷしにものを言わせたらしい。痛快な話ではないか。
話を聞いていてハルカは、自由気ままな島の雰囲気をストレートに想像できるような気がした。
「ロバルドはそのように自由闊達な島でしたが、ガルザッグの威を借りたオルロスに支配されて以来どうなったのかはわかりません。ダムのような残虐な支配はされていないと思いますが、それでも人々は不自由な暮らしを強いられているような気がしてなりません……」
不安を口にしたランリィ。
確かに、ガルザッグの手先のような男に牛耳られては、無事で済むとも思われない。
ハルカは頭の中で事柄を整理していたが
「ええと……そのオルロスっていうヤツは、ドボスのダムと結託していたんでしょ? ダムが握っていた魔族の兵はガルザッグ帝国が寄越した兵で、手引きしたのはオルロス、と。でも、ドボス兵はあたし達がやっつけた、ということは――」
「ええ。あくまでも希望に過ぎませんが、もしガルザッグから新たに兵を呼び入れていなければ、ロバルド島はすっかり手薄、ということも考えられます。その場合、これからの制圧はずいぶん楽に進みましょう。オルロスさえ捕らえてしまえばいいのですから」
そうあって欲しい、とハルカは願う。
戦いは避けられないときにのみするもので、しないならそれに越したことはないと思っている。
もし上陸後に小競り合いでも発生すれば、船乗り達に怪我人や死人が発生しかねない。
「おーい、ハルカ! ランリィ! 準備ができたからな! 船を出すぞー!」
ライケルの呼ぶ声がした。
ポームの街のどこにいても聞こえてしまいそうな馬鹿声である。
ハルカは木材の上からぴょんと飛び降り
「行こっか、ランリィ。いよいよ、アルセスを出るのよ?」
「はい、ハルカ様! どこまでもお供させていただきます!」
動力機関などは存在しないから、当然風帆船。ただし、離着岸時やまったく無風となる大凪に備え、長大なオール――漕櫂という――も左右両側に用意されている。船乗り達は皆積み荷運びだけでなく船漕ぎもこなすため、体つきが逞しくなるのである。
波の荒い外洋を航行することから、舷側が高く作られている。必然的に船底が深くなるため、積み荷を濡らさないようにするにもうってつけである。クラシックなフォルムだが、それだけに趣がある。歴史の教科書か何かで似たような形状の船の絵を見たことがあるような気がしなくもない。ハルカはこの船が気に入った。天気も良く、ロバルド島までの航路は楽しくなりそうだと思った。
――ところが。
大海原へと漕ぎ出して間もなく、ランリィがハルカの異変に気付いた。
力が抜けたようにへたりこんで立ち上がれず、顔が真っ青になっているではないか。
「ハルカ様、どうなさいましたか? お顔の色がすぐれませんが」
「あたし、船、ダメなんだよね……。すっかり忘れてた……」
死人同然でぐったりしている。
脳みそを前後左右に揺らされているような耐えがたい不快感の中、中学時代の修学旅行の忌まわしい思い出がよみがえってきた。
グループの皆で遊覧船に乗ったのだが、出港直後に気分が悪くなり、トイレに駆け込む間もなく客室の床にぶちまけてしまったのだ。
同級生たちは動けなくなっているハルカを気遣いつつ、彼女がぶちまけたそれを処理してくれた。
美しい友情エピソードである反面、思い出すだけで死にたくなる黒歴史に違いはない。
「何ィ!? ハルカが酔った? まだ海は荒れちゃねェぞ」
知らせを受けたライケルは慌てた。
久しぶりの航海にあたり、晴天の下で気持ちよくなっていた矢先である。
引き返すわけにもいかず、何とかしてやれと指示を飛ばしたが、こればっかりは熟練の船乗り達にもどうすることもできない。ランリィとエミーがつきっきりで介抱したが、あてがわれた一室で昼夜転がって悶絶しているしかなかった。食事も喉を通らない。食えば全部吐いてしまうので水しか口にできなくなり、これにはランリィも弱った。
「だ、ダイエットにはなるかな……。アルセスでちょっと肉がついちゃったし、ちょうどいいや……はは」
冗談めいたことを言ったが、笑いに声がなかった。
見つめるランリィの眼差しが、いかにも悲しげである。
結局のところポームを出てから四日ばかり、戦闘不能に陥っていた。
「あのハルカにも、弱点があったか。それはそれで、何というか、あれだな」
いかにも感心したように呟いたのはウォリスである。常勝無敵のハルカにも意外な弱みがあったことに、あらためて人間らしさを感じたらしい。
ところで、ロバルド島もまた、ガルザッグの手の者に支配されていると多くの者は想像している。
確かだといえないのは、当然ながらしばらく交易が絶たれていたという事情に因る。
「どうするよ、頭? 着岸するなり囲まれたら、逃げ場もないよ? それに、しばらく交易船の行き来がなかったんだ。急に船が来たと知ったら、ハナから怪しまれるよ。着岸すらできないかもしれない」
明日は到着という日、船上で船乗り達が衆議をもった。
開口一番、エミーが不安を口にすると、他の者達も同調した。
しかし、親分ライケルは不敵な笑みを湛え
「なァに、案ずるこたァねェ。んなもの、最初からお見通しさ。この俺を誰だと思ってやがる」
ポームを出る前から考えてあったという。
ライケルが講じた策とはこうである。
ポームにあったドボスの兵営を潰した際に発見したドボス軍の旗を一旒残してあり、それを積んできたという。ドボスの印が描かれた旗を掲げて近付けば、ロバルド島から発見されても怪しまれまい、と彼は説明した。メスティア軍によるアルセス奪還の報はロバルド島には伝わっていないため、そこを逆手にとってやろうという知恵らしい。わざわざドボス軍旗を捨てずにおいたのは、ポーム奪還のあかつきにはハルカ達メスティア軍の恩に報いるべく、海を渡りたいという依頼に応じるつもりであったのだろう。なかなか目先の見える男である。
船室でのたうっているハルカの代理として座に加わっていたランリィは、ライケルが思慮深いことを知って思わず感心していた。ウォリスも「ほう」という驚きの表情をしている。
一同の納得を確かめたライケル、相好を引き締めて鋭い目を光らせた。
「……思えば、オルロスの野郎のせいで、長らくアルセスは酷い目に遭ったんだ。ただじゃ済まさねェ」
復讐に燃えている。捕らえたらば八つ裂きにでもしかねない勢いである。これが本音であったのか、どうか。
そして翌日。
見張りから「進路真っ直ぐ、島影あり」との報が伝えられるや、作戦通りドボス軍旗が帆柱に掲げられた。
果たして上手くいくか、と全員が固唾を呑んで成り行きを見守っていたが、ロバルド島から調べの船が寄越されることもなく、そのままするすると進入できた。策が図に当たったのだ。
むしろ上手くいきすぎて、作戦を練った当のライケル本人が首をひねったほどである。
「おかしいな……? 着け場に見張りすらいねェ。どういうことだ……?」
物陰から船着き場を一望してみても、こちらを怪しんでいるような者はどこにもいない。というよりも、人影すら見なかった。
上陸後早々に襲撃あることを想定して、ウォリスやゼイド、エミーらが武器を手に控えている。
船酔いで半死半生になっていたハルカも、ようやく船を降りられると知ってやや元気を取り戻し、いつでも飛び出せるように待ち構えていた。傍で、ほっと胸を撫で下ろしているランリィ。
着岸し、渡し板が下ろされた。
万全を期して、まずはハルカとランリィが上陸。それにウォリス、ゼイドが続く。
降り立った光景は、ポームとやや似ている。
普請の大きめな積み荷倉が数棟、整然と並び建っていて、あちこちに空の押し車や荷箱が雑然と放置されている。つい最近まで便船が盛んに離着し、活発な交易が行われていたという様子ではない。ポームと同様、ガルザッグ派のオルロスに乗っ取られて以来、港としての機能が喪われていたようである。
ウォリスやゼイドは剣の柄に手をかけ、いつでも抜けるように備えている。
しかし、ハルカは大剣をだらりとぶら下げたままにしていた。直感が彼女に「襲ってくる者はいない」と告げていたからである。
誰かいないかとあたりを見回していると
「……おい! 手前ェら、ドボスの連中か?」
いきなり、低く野太い男の声が飛んできた。




