26) アリスの憂慮・ハルカの思案
アルセアを発して以来、進撃を続けてきたメスティア軍。
ドボス軍を殲滅してアルセスの街を解放したまでは良かったが、思わぬ事態に陥ってしまった。
旧アルセス国の国王以下、国を治めていた者達のあらかたはすでに亡く、せっかく自由を取り戻したものの、中心に立って再建の指示を出していける者がいないのである。
街の人々の暮らしも酷い。
ドボスの王たるダムが課した重税ですっかり疲弊してしまっているばかりか、壮健な男達は皆、兵や労働力として連れ去られてしまっていたのだ。あるいは、ドボス軍が街を占領した際、反抗したとして処刑されてしまった者も少なくなかったこともある。
自然、アリスを頼る声が街中に満ちた。
心優しい彼女は毎日、朝も早くから起居しているアルセス城を出ては街のあちこちを視察したり、人々の声に耳を傾け、帰城するのは決まって陽もとっぷり暮れたあとであった。当然、リディアは警護のために同行しており、彼女もいないに等しい。アルセスがなくなった今、事実上の国王はアリスであり、国王が自ら街に出て人々の様子を見て回らねばならないという責任はない。従者達に命じてやらせれば済む話である。
が、長い流浪暮らしがそうさせたのか、何事も自分で動き、自分の目で確かめるという習慣がアリスに出来上がっていたのである。リディアやヘレナが止めても、彼女はきかなかった。アルセスの災禍を招いた原因の一端は自分にあると思っており、復興のために尽力するのは当然であると都度言い切った。こうなると、誰も彼女を制止できず、黙って従う以外になかった。
もっとも、多忙なのはアリスだけではない。
巨漢で怪力のベックは男手が足りないために重宝され、建物の普請造りや通りの整備に駆り出されっぱなし。
弓士マーティとニナ、それにジェイもなんだかんだとアリスから用を言いつけられては奔走しており、マリス、ノア姉弟だけは解放戦の際に若干傷を負ったため、療養でアルセア村に戻っている。
自由な身であるはずの流剣士ウォリスも、毎日どこかへ出向いては人々を手伝っているようであった。
「街の復興を何とかしてあげなくては、と思うのですが……かといって、私達はまだ行動を起こしたばかりですし、ここで長い日数留まっているわけにはいかないというのも正直な気持ちです。ガルザッグ帝国軍本隊とすら戦っていないのですから」
アリスの憂慮はかなり深まっているらしい。
彼女が自らあちこちを訪ねていることに、アルセスの人々はひどく感動しているという。誰もがアリスを慕い、宝物のように大切に思っていることは疑いをいれない。しかし、今本当にやらねばならないことはガルザッグ討伐なのであり、いつまでも一つ所に留まって油を売っていても始まらないのだ。
毎晩、ハルカをつかまえては胸中の心配事を吐露した。
うんうんと聞いてやりつつも、これという妙案が思い浮かばないハルカ。一緒になって困った顔をしているしかない。
「ハルカ様。でしたら、私が海を渡って大陸の様子を調べてまいりましょう」
事情をよく理解しているランリィが密かに申し出たが、ハルカは承知しない。
「駄目よ、ランリィ。大陸はガルザッグ軍がひしめいているって言うじゃない。危なすぎて、あなたを一人でなんて行かせられない。もう、あんな思いは絶対に嫌なの。これからはずっと一緒だからね?」
とまで言っておいて、ふとひらめいた。
(……あ、そっか。あたしが自分で行けばいいんじゃね? 誰も手伝いさせてくれないし、今ヒマなのってあたしだけじゃん。あたしが大陸の様子を見に行けばいいのよ)
早速アリスに話してみると、
「申し出はありがたく思います。ですが、ハルカ様は大陸にお出でになったことがありませんから、きっとご苦労が大きいのではないかと思うのです。何より、ガルザッグの大軍を相手に、ハルカ様が豪勇といえどもお一人では……」
難色を示しつつも、まずは衆議にかけてみましょう、そう言ってくれた。
その晩、メスティアの主な連中が全員揃ったところで、衆議が開かれた。
アリスが案件を切り出すと、さすがに皆、沈黙した。
ランリィが一緒にくっついていくのは決定済みだとしても、たった二人で大陸に乗り込む危うさを思ったらしい。
ややあって
「ここは離れ小島だし、ガルザッグもおいそれと大軍を送ってくるわけにはいかないだろう。アルセス陥落の報とて大陸に届くことはあるまい。いま少し、状況が整うのを待ってはどうかと思うのだが」
これはリディアの意見だが、一理あるといっていい。
魔族といえど、空を飛んだり長距離を泳げるわけではないのだ。兵を送ってくるとすれば船によるしかないのだが、一度に運べる人数には限りがある。もしそれらがやってきたにせよ、ハルカを含めたメスティア勢の力をもってすれば、ゆうに撃退は可能であろう。
「ああ、俺っちも、そう思うな。ハルカの実力を疑うわけじゃないが、相手はあのガルザッグだしな。どんな卑怯な手を使ってこないとも限らない」
相槌を打ったベック。巨漢ではあるがもっそりしているというところがなく、いつもすらすらとした物言いをする男である。
他の者はどうか、とアリスが水を向けると、マーティやニナも同様の意見を口にした。
ジェイは反対こそしなかったが、難しそうな顔をして目をつむったままでいる。
こりゃ、行くなって止められるかな?
ハルカが思い始めたときである。
「……なら、俺も行こうかね」
意外な人物が名乗りを上げた。
ウォリスである。
「リディアやベックが言うのももっともだ。しかし、ガルザッグの連中はいつまでも待ってくれやしない。むしろ、奴らが気付いていないうちにこちらから打てる手があるなら、打っておくべきだろう。そうすりゃ、姫様の心配も軽くなるってモンだ」
思わぬ展開に、ハルカはぱっと顔を輝かせて
「え! ウォリスさん、一緒に来てくれるんですかぁ?」
「ああ。若い娘が二人だけより、俺みたいなのが傍にいるほうがまだいいだろう?」
彼は片目をつぶって見せた。
ハルカとしては異論ない。
むしろ、彼のように腕が立つうえに紳士的でダンディーなおじさま(と、いうほどの年齢でもないのだが)が同行してくれるなど願ってもない。さらにいえば、ウォリスは腕っぷしだけの剣士ではなく、状況を把握して適切な判断を下す知恵もある。知と武を兼ね備えているといっていい。
それならば、とアリスや他の面々も頷いてくれた。一決である。
ところで、大陸へ渡るためのルート。
いきなりアルセス島からバルデシア大陸へ一直線に直行することは出来ない。距離がありすぎる上に、途中海流の非常に速い海域があり、よほど大きな船でも簡単に難破してしまうのだという。
「まずは北にある小さな港町ポームへ行け。そこで便船をつかまえてロバルド島、キーゼ島と大回りして、バルデシア大陸東岸の商港ティガーラに至る。海上を一度ずっと西進して一旦北上、それから南下してくると思えばいい。順調にいっても十日はかかるが、ガルザッグに各地を占領されている今のこの状況では、どれくらいかかるものか、正直予想できない」
リディアが足取りの順序を説明してくれた。
最初はハルカを冷たく突き放していた彼女だが、アルセア村防衛戦よりこのかた、ずいぶんと態度があらたまっている。メスティアにとっていなくてはならない存在と認めたのだろう。
「それっていうのは、つまり」
ハルカは眉間にしわを寄せて地図を睨みながら言った。
「行く先々でガルザッグをやっつけつつ、根拠地を確保しながら進まなきゃならないっていうこと?」
「そうなるな。キーゼには恐らくガルザッグ軍が入っていると思われるが、しばらく通交が途絶えているから詳しいことはわかっていない。ロバルド島はガルザッグに寝返ったオルロスという男が支配している。島の人間には、こいつに反感を抱いている者も少なくなかろう。それらと上手くつながることができれば、味方も増える。だいぶ、動きやすくなるはずだ」
リディアのコメントに、重大なヒントが含まれている。
この戦いは、ただ単純にガルザッグ勢を潰せばいいというものではない。
彼等に虐げられている人々を救いつつ反ガルザッグ勢力――人間、もしくは人間側につく者――を糾合してどんどん味方を増やしていかねばならないのだ。
ウォリスやランリィと三人だけでその下火をつくれるだろうか、と多少不安な気持ちがなくもない。
すると、彼女の気持ちを読み取ったかのようにランリィが
「ハルカ様なら大丈夫です。必ず、多くの人々の心をつかむことができましょう。私も全力で働きますので、どうか自信をお持ちください」
そう言ってくれた。
ウォリスが同行するということで少しは安心したのであろう、アリスも頷き
「私もそう思います。ハルカ様がいらっしゃってから何日も要せずして、あっという間にアルセスからガルザッグ勢力を追い払うことができたのです。それはハルカ様がお強いだけでなく、皆の心を一つにまとめてくださったからでしょう。私達だけでは、到底不可能だったと思うのです」
そんなものかな。
自分がそこまでの役割を果たしたとは思えないのだが、アリスがそう言ってくれるのだからそれもそうかも知れないと思い直した。決起前の衆議において、皆に心を合わせることの大切さを説いたのは誰でもない、ハルカなのである。
翌日から出立の準備を始めたハルカとウォリス。
と、急に同行者が二人増えた。
一人は女船乗りで、エミーといった。蛮族のように長く伸ばした赤い髪にきりりと鋭い目鼻立ち、船乗りだけあって女性ながらなかなか逞しい体つきをしている。大きな柄塊――ハルカが見る限り、ハンマーそのもの――を軽々と振り回すかと思えば、それなりに手先も器用であるらしい。メスティア勢がアルセスに突入した際、一緒に戦うといって飛び入りで加わってきた。元はポームを根城にしていたものの、ドボスのせいで戻るに戻れず、アルセスで身を潜めていたのであった。
「ポームの港へ行くのかい? なら、あたいも連れて行ってくれないかい? 上手くいけば、あたいらの頭に話をつけられるかも知れない。船と頭が無事なら、だけどね。まあ、簡単にくたばるようなやわな頭じゃないから、安心おし」
愛用の巨大な柄塊を肩に担ぎながらカラカラと笑っている。
見た目と言葉は荒っぽいが、根はさっぱりとしていて快活、そのうえ気も優しい。ハルカはこういう人物が大好きである。
もう一人、これは名をゼイドといい、ジェイとノアが兵営の牢から救い出したあの人物である。
ウォリス同様に仕える主のいない、いわば流剣士ということになる。
腕は相当立つらしい。
元々大陸にいたのだが、ひょんなことからガルザッグに追われる身となり、あちこちに神出鬼没してはガルザッグ兵を斬りまくっていたという。が、ついに大陸から逃れてこのアルセスに辿り着いたところでドボスに捕らえられ、牢獄につながれていた。いつ殺されてもおかしくない状況であったところ、メスティア軍の決起によって辛うじて命をつないだ、ということになる。
「俺は俺の意志でガルザッグを斬りに行く。メスティアが再興しようとしまいと、それは知ったことではない」
ずけりと言ったためにリディアが噛み付きかけたが、そこをアリスが宥めつつ
「それで結構です。今はあなたと目的において一致していますから。違いますか?」
「……異存はない」
ところでこのゼイド、変わった武器を愛用している。
永斬剣(エタヌス・ウェッジ)といい、どれだけ斬っても切れ味がまったく落ちないのだという。
「へぇ。そういう剣を作る技術が、この世界のどこかにあるってこと?」
ハルカの無邪気な疑問に、ランリィはちょっと笑って
「というよりも魔導の効果なんです、ハルカ様。刃に魔導の力を宿らせることによって、永久に衰えることのない切れ味を保っているようです」
「魔導……?」
ハルカがまだきちんと理解していなかった概念が、目の前に登場してきた。
そう、この世界には――魔導が存在する。




