22) 乙女として見てよね
翌々日。
空は晴れ渡って澄み切り、雲一つない。
正午にあたる時刻、王城前の広場にて、アリスによって人々に対し正式にアルセス解放が告げられた。
事前に触れ回ってあったため、広場にはかつてないほど大勢の人々が詰めかけてきていた。解放の喜びは隅々にまで漲っており、人々の表情はどれも活き活きとして明るい。
「アルセス王都からドボス軍を残らず追放し、アルセス国が解放されたことを、ここにお伝えいたします!」
アリスが声を張り上げて宣言すると、民衆から歓声があがり、割れるような拍手が起こった。
狂喜した人々は一斉にアルセス、そしてメスティアの名を連呼し始めたため、彼女はしばし口を閉じねばならなかった。
次に、アルセス王アルゼの死が知らされると場の空気は一変、たちまち悲愴に満ちた雰囲気が漂った。
両手で顔を覆ったり、口元を押さえて悲しみを堪えている女性の姿が見られた。アルゼは穏やかな人柄だったことから、その人徳を慕う人々も多かったに違いない。女性達の流す涙は、いかにもそのことを象徴しているであった。
続けて、重要な話を切り出さねばならないアリス。
ためらう気持ちがなくもなかったが、衆議の場のハルカの堂々とした様子を思い出し、自分を奮い立たせた。
大きくひと呼吸したのち、捕らえたドボス軍首領ダムの処分について、死を与えるものの市中ではそれを行わない旨、人々に告げた。
ただ死を与えるのみ、という彼女の言葉が届きわたると、一瞬どよめきが群衆のあちこちから起きた。が、それだけのことである。ダムの衆前処刑を強く望むような声はついに上がらなかった。
アリスは内心安堵したが、同時に街の有力者の一同に感謝の思いをもった。例の衆議のあと、彼らが人々にある程度根回しをしておいてくれたに違いない。さもなくば、ここまで冷静に受け入れられたものかどうか。
ただし、何よりも、若きメスティア王女アリスの誠意と思いが、人々にも伝わった観がある。人々から彼女に向けられている視線は、依然として好意と尊敬に満ち満ちていた。
もう一つ、人々に報告がある。
国王とその後継ぎ――そもそも、アルゼに妻も子もなかったが――を喪ったアルセスの国は、まるごとメスティア王国に組み入れられることとなった。そのことは昨日、衆議の場において街の有力者たちが願い出た件であるから、特に問題はない。リディアが人々の感情を気にしたが、元々アルセス国の民の大多数がメスティア王国に対し友好的であったことを聞き、それならばと了承した。建国から四十年余、最果ての島国アルセス国はその歴史に幕を下ろすことになった。建国のきっかけとなった飾り石も今は全盛期ほどの産出はない。飾り石によって興り、飾り石の枯渇とともに亡国を迎えた、という見方ができなくもない。
現状では、メスティア王国は他に領土と呼べる土地はない。このアルセス島が唯一のメスティア領ということになる。
――ガルザッグ帝国に蹂躙されてから幾星霜。
メスティア王国はようやく、亡き国王の遺児アリス王女の手によって再興の一歩を踏み出した。
彼女は人々にその旨を丁寧に説明して聞かせたあと、
「最後に、アルセスの皆さんに、是非ともお伝えしておきたい事実があります」
と、続けた。
民衆はさらに何か重大な話があるのかと、緊張した面持ちで耳を傾けている。
場が静まりかけたのを見計らうと、アリスは口を開き
「……実のところ、今回のアルセス解放は、私たちメスティア王国の者の手だけで成功したわけではないのです。エティシアのご加護でありましょうか、思いがけなくも私たちに素晴らしい一人の英雄をお遣わしくださったのです。アルセス島は、その方のお力によって自由を得た、といっても過言ではないでしょう。今日、私はその英雄を、アルセスの皆さんにご紹介しておきたいのです!」
そこまで一気に喋ってから背後を振り向き
「ハルカ様、どうぞこちらへ! そのご勇姿を、アルセスの皆さんにお見せしてあげていただけますか?」
「へ? あたし……!?」
突然のフリに、面食らっているハルカ。
まごついて棒立ちしていると
「さあ、ハルカ様! ご遠慮には及びません!」
アリスに促された。
「行けよ、ハルカ。こうなったのはみんな、お前の働きなんだからな」
「姫様がああ仰っているのだ。姫様なりの思いがあるのだから、お応えして差し上げろ」
後押しするウォリスやリディア。
彼らをはじめ、居並ぶメスティアの精鋭たちは皆、好意的な笑みを向けていた。
「あ、じゃあ、ちょっとだけ……」
渋々、前に歩み出た途端。
人々から「おおっ!」という、怒涛のような歓声が上がった。
元の世界にいた頃は、これだけ多くの人達から注目を浴びた経験はない。学校祭の折り、全校生徒の前で何らかの発表をしたくらいなものである。さすがに、徐々に緊張していくのが自分でわかる。前に出てきたものの、何をどうしたものか、見当がつかなかった。
そうと察したのか、傍にいるアリスが
「さあ、ハルカ様。人々に、何かお言葉をかけてあげてくださいまし。短くてよいのです。そうすれば、人々は英雄とともにあるという自覚をもち、生きる希望を大いにすることでしょう」
囁いてくれた。
そんなものかな?
よくわからなかったが、今はともかく彼女のアドバイスに従おうと思い
「あ、あのっ! み、みなさん、はじめまして! あ、あたし、ハルカっていいます! あたし、頑張りますから、みんなで一緒に頑張りましょう!」
ややかみながら大声で言って、ぺこりとお辞儀した。
我ながら意味の分からないことを言ってしまった、と軽く後悔したくなっている。
しかし、次の瞬間。
「――ハルカ様! ハルカ様!」
「アルセスを、ありがとうございます!」
「アルセスの英雄、ハルカ様にエティシアの祝福を!」
割れんばかりの声援、それにハルカ様コール。
あたかも、人気アイドルのステージさながらではないか。
繰り返される巨大な「ハルカ様コール」に最初は呆然としていたが、それがすべて自分への好意と尊敬から発されているものだとわかってくると
(あ、こういうのも悪くないカモ。ちょっとだけ、快感だわ……)
思わず、悦に浸りかけた。
少しずつ慣れてくると、ハルカは笑顔になって手を振ったりした。それがまたいいというのか、人々の盛り上がりはどんどんヒートアップしていく。王女アリスにしてもそうだが、国を救ったのがまだ若い娘であるという事実をして、人々の心を鷲掴みにしたと言えなくもない。
見渡す限り、人がいる。
あちらへ、次はこちらへと、機嫌よく手を振り続けていたハルカだったが――ふと、気付いてしまった。
こちらに向けられているありとあらゆる男性の視線。
そのどれも、豪傑を見るようなそれではないか。
基本的に「尊敬、憧れ」の眼差しであるのはいいのだが、そこに「畏怖」の感情が混じっているように感じられてならない。中には「決して怒らせてはいけない邪神的、オバケ的な何か」でも見るような目を向けている男性もいる。
(もしかしてあたし、男の人達にドン引きされてる……!?)
どちらかというと、ハルカの雄姿を一目見て盛り上がっているのは女性ばかりであるように見受けられる。目を輝かせている若い娘もいれば、両手を合わせてありがたそうに伏し拝んでいる老婆もいる。
ハルカは何とか笑顔を見せようとするものの、微妙にひきつっているのが自分でもわかってしまう。
豪傑扱いされて喜ぶ女性はどこにもいないであろう。
(あたし、関羽とか前田慶次じゃないんですけど……)
しかし、そういうハルカの乙女心など、解放の喜びに沸き立つ人々にはわからない。
「ハルカ様!」
「ハルカ様!」
「ハルカ様、ハルカ様!」
止め処なく送られてくる歓声に、半ばやけくそ気味に、精一杯の笑顔で応えるハルカ。
涙目になっている。
<第一章 メスティア軍の決起・アルセス解放戦 編 了>




