20) 哀悼と決意と
「……お、お? おお!」
背後で、固唾を呑んで一騎打ちを見守っていた三人。
ハルカの勝利を確認するや、みるみる喜色を浮かべ
「おい、やったなハルカ! ついにダムの野郎を討ち取りやがった!」
と、真っ先に歓声を上げたのは、もっとも冷静沈着だったはずのウォリスである。
ハルカの圧倒的な実力に、すっかり興奮して我を忘れてしまったのかも知れなかった。
もっとも、それはリディアも同じらしく
「――姫様っ、ハルカが!」
思わず主のほうを見やった。
すると、アリスはみるみる目に涙を浮かべて
「……ああ、なんという日でしょう! まさか、本当にこんな日がくるなんて……!」
感極まったように幾度となく呟いているのであった。
そうであろう。
幼い頃に故国を追われて以来、幾星霜。
はるか離れた辺境の島にまで追い詰められ、彼女としては王国の再興を夢見つつも、果たしてそれを現実にできるかどうか、とうてい自信が持てなかったに違いない。命知らずな勇士達を側近に抱えているとはいえ数の上では圧倒的に不利、どう計算しても勝ち目のない戦いを強いられるはずだった。
ところが、ある日突然降って湧いたように現れた一人の少女、ハルカ。
超人的な能力を具えた彼女は瞬く間にドボス兵を殲滅し、勢いにのってアルセスの街と王城をも奪い返してしまった。その活躍ぶりたるや、ほとんど彼女の独力だったといってもおかしくはない。王国復興に向けた反撃の第一歩が鮮やかなまでに成功し、王女としてはどれだけ嬉し泣きしてもし足りない気持ちであろう。
「ハルカ様っ! 私、私はもう、なんとお礼を申し上げてよいのやら――」
振り絞るようにしてようやく発した声は、涙に吹き消された。
アリスに背を向けていたハルカ。
くるりと振り返るなりニッと笑って
「ぶいっ!」
ピースサインを突き出して見せた。やや照れくさそうにしている。
功を誇るでもなく、ごくあっさりとした勝利の宣言。
えへへ、と屈託なく笑っている彼女を見てウォリスは思った。
(こりゃあ、メスティアの救国者誕生、だな。国土を奪還できる日が、現実にやってくるのかも知れん)
ダムを討ち取ると、すぐさまアリスは王城内をくまなく捜索するよう人々に依頼した。
アルセス王と側近である大臣らの安否が気にかかっていたのである。兵営内の牢獄ではそれらの人々を発見できなかった旨、マーティが報告しに駆け付けてきている。
ややあって、アルセス王らが見つかったという一報が届けられた。
城の奥に明かり窓のない暗い物倉があり、そこの床を掘って地下に牢獄が設けられていたという。入り口となる部分の上には物が置かれ、出入りもままならないようにされていたのだと、報せてきた若者は説明した。捜索に多少の時間を要したのはそのためである。
入り口が一見してわからないまでにすっかり閉ざされていたという状態から、誰もが最悪の結果を想像したが――その通り、すでに手遅れであった。
メスティアの一同が駆け付けてみると、入り口から吐き出されてくる臭気がすさまじい。皆、眉をしかめた。
布で鼻口を覆いつつ足を踏み入れるとそこは、光が一切差し込むことのない真っ暗闇。土壁が剝き出しのままで、牢獄というよりも洞窟のようであった。
そういう粗末な獄中で、アルセスの王ほか大臣たちは息絶えていた。
灯りによって照らし出された内部の様相は、凄惨、としか言いようがない。
人一倍気丈なはずのリディアですら
「これは……」
と呟いたきり、絶句している。
遺体はどれも腐敗というよりほとんど白骨になっている。つまり、アルセスが陥落してからすぐここへ幽閉され、そのまま亡くなったのであろう。彼らの足にはどれも頑丈な足かせがはめられており、壁深く埋め込まれた杭に鎖でつながれている。これでは、立つこともままならなかったに違いない。
誰もが奥へと踏み込むのをためらう中、一人進んでいった弓士のジェイ。油塊の灯りを頼りに牢内を仔細に観察していたが、やがてゆっくりと腰を上げて振り返り
「……こりゃあ、あれだな、姫様。恐らく、アルセス王らは餓死させられたとみてよかろう。食事を与えられたなら何かしらその形跡があってもよさそうなものだが、それがまったく見当たらん。この様子から察するに、水すら飲ませられなかったであろうな」
凶器によって直接手を下されなかったというだけのことであって、要は処刑に等しい。
食物はもちろん水も与えられなかったとすれば、さぞかし苦痛に満ちた最期であったに違いない。そもそも、空気の通り道も塞がれていたのだから、窒息したかもしれないという推測も成り立つ。どのみち、今わの相は皆、苦悶のそれであっただろう。
そのことを想像したのか、アリスは
「なんという、惨たらしい真似を! 一国の王を、このように扱うなんて……」
悲痛な声を上げ、両手で顔を覆った。
バルデシア大陸からこの辺境の島まで追われてきた彼女をはじめメスティア勢を歓待し、快く匿ってくれたのがアルセス王であり、彼と彼の意を受けた大臣たちによる手厚い庇護がなければメスティア勢はとう昔にガルザッグによって討ち滅ぼされていたであろう。
しかも、ダムがガルザッグに通じて反旗を翻しアルセスが陥落しかけた際には、アルセス王は自分たちが踏み止まることによってメスティアの面々をアルセアへと逃がしてくれた。
そのことを思うとき、アリスの胸中が張り裂けんばかりになったのも無理はない。
彼女の気持ちが痛いほど理解できるメスティア軍の一同、悲しげな表情を浮かべたきり身じろぎもせずに立ち尽くしている。
彼らの背後からじっと様子を見ていたハルカ。
「……」
つと、牢獄の奥へと入って行った。
アルセス王と思われる遺体の傍で屈みこむと、足首のあたりの骨を巻いている足かせに手をかけ、一気に引きちぎった。
さして広くもない牢内に、分厚い板と鉄の砕ける音がこだまする。
彼女の挙動はそれで終わらない。
あちこちに横たわっている大臣らの遺体に近寄ると、次々と同じことを繰り返していく。
急に始まったハルカの不可解な行動を、アリスらは呆然とした面持ちで眺めている。
やがて、全員分の足かせを外し終わると、ハルカは立ち上がって一同のほうを向き
「……この通り、牢獄に捕らえられていたアルセスの王様たちはたった今、あたしが解放しました!」
ぽーんと両腕を広げた。
「少し遅くなってしまいましたけど、みんな、自由になったんです。だから、早く明るい場所に出してあげませんか? 王女様とかリディアさんとか、無事に戻って来たメスティアの皆さんの手で明るくて景色のいい場所にお墓を作ってあげたら王様とか大臣の人たち、みんな喜ぶと思います!」
呼びかけた。
芝居気ではない。
ハルカとしては、純粋にそう思っただけのことである。
悔いても嘆いても、亡くなったアルセス王たちは戻らない。
しかし、ついさっき、彼らが命を賭して守り抜いたメスティア王国の人々の手によって、アルセスの国は再び自由を取り戻すことができた。だから、アルセス王らのかつての恩に報いるべく、一刻も早く地下から出して丁重に葬ってあげることが今の自分たちにできることなのではないかと思ったのだ。
「……」
一同、声がない。
思いもかけないハルカの言葉と行動に、反応のしようがなかったといっていい。
アリスなどは真っ赤にした瞳を大きく見開き、驚いたような表情でハルカを見つめている。
と、
「……違いねェ。ハルカの、言う通りだ」
ややあってウォリスが口を開いた。
「あの頃の俺たちはどうあがいても、アルセス王を助けることはできなかった。だから、せめて今できるかたちで礼を尽くそうじゃないか。姫様がこうして無事だったと知ったらアルセス王、大いに喜ぶと思うぜ?」
そう言って進み出てくると、一体の遺体の傍に跪き
「――俺は、メデス大臣殿の骨を拾わせてもらおうかね。大臣殿には何かと良くしてもらったからな。頼めばいつでもラナン酒を都合してくれたことは忘れやしねェよ。生かしてもらったこの命で、必ずガルザッグを倒して仇をとってやるさ」
丁寧な手つきで遺骨を拾い始めた。
手当たり次第に拾えば骨が混じってしまうから、一人のそれに絞ったのであろう。そこはウォリスが気を遣ったものらしい。
「なら、私はカーデン大臣のお世話をさせてもらおうかね。あの篤実なお人柄、国務に携わる者の鑑であったことよ」
ジェイもまた、ウォリスに倣って遺骨集めに乗り出した。カーデンという大臣の生前、その人格にいたく感じ入るところがあったらしい。
そうして一人、また一人と大臣らの遺骨を拾いに取りかかり、最後にアルセス王のそれが残された。
無論、誰に託すべきなのかは口に出さずとも皆が承知している。
「……さあ、王女様。どうか、偉大なるアルセス王のご遺骨を」
ヘレナに促されたアリス、こっくりと頷くと、物言わぬアルセス王の遺骸の傍へ歩み寄っていった。
灯りを手にした若者が二人、それぞれ左右から遺骸を照らすようにした。そのせいか、そこだけが祭壇のように多少神聖びた雰囲気をかもし出している。
品良く跪くと、そっと胸に片手を当てて哀悼の意を示し
「アルセス王、お耳に届いていますでしょうか? メスティア王国第一王女アリス、ただいま戻ってまいりました。あなた様に救っていただいたこの身は、この通り無事でございます。これから先、ガルザッグ帝国を討滅して長きにわたるバルデシア大陸の戦乱を終わらせてご覧にいれるつもりです。どうか、安らかにお休みくださいまし……」
感謝の言葉を口にした。
その背後で、横一列に整列しているメスティアの精鋭たち。やはり胸に手を当てて頭を垂れ、亡きアルセス王に対し敬意を表している。
いつしか、凄惨だった牢内の空気が一変、厳粛なそれになっている。
アリスは遺骨に手を伸ばしかけたが、ふと顔を上げ
「……ハルカ様」
ハルカの名を呼んだ。
「はい!」
「よろしければ、ご一緒にお手伝い願えませんか? アルセス解放の英雄であるあなたが直々にご遺骨を手になさったとあれば、きっとアルセス王もお喜びになると思うのです」
そそくさとアリスの横にかがみ込んだハルカ、にっこりと笑って
「ええ。あたしでよければ、お手伝いさせてもらいます!」
両手でそっとアルセス王の足の骨を持ち上げようとした。
が、ハッとしたようにすぐに手を停めて
「あ、申し遅れました! アルセスの王様、あたし、ハルカっていいます! 遠い世界からきました。失礼して、お骨を拾わせていただきますのでよろしくお願いします! くすぐったいかもしれませんけど、ちょっとだけ、我慢してくださいね!」
遺骸に向かってぺこっとお辞儀をした。長い髪がさらりと揺れる。
ハルカの屈託ない言葉に、アリスをはじめメスティアの面々の相好が自然とほころんでいた。
(まったく……。戦いばかりか、我々の心の支えにまでなってくれるとはな。本当に大した娘だ、ハルカ)
アリスの傍に屹立しつつ、リディアはそんなことを思った。
いそいそと遺骨集めに集中しているハルカの背に、彼女の好意的な視線が注がれている。




