17) 連鎖~自由への戦い
夜明けとともに、アルセスの人々が戸外へと姿を現し始めた。
皆、明け方からの異変には気付いていたらしい。
最初は何事が起ったのかわからず、あわや戦争かと思い、息をひそめて家の中に閉じこもっていたという。明るくなってから恐る恐る外の様子を窺うと、なんと往来に無数のドボス兵が累々と転がっているではないか。信じられない光景を目にして肝をつぶしたものの、やがてメスティア軍が決起したことを知り、狂喜して飛び出してきた、という次第である。
一年近くにわたってドボス軍、もとい魔族に虐げられてきたアルセスの人々。
一日千秋の思いで待った反撃のチャンスに沸く一方、ドボス軍への怒りが爆発した。
男女を問わず壮健な者は皆、手に手に棒や長物を携え、ドボス軍兵営へとなだれ込んでいく。
兵営の奥には牢獄が設けられていて、街の人々が大勢囚われの身となっている。まずはそれらを助け出そうというのだ。
兵営にいた兵士のほとんどはハルカがぶちのめしてしまっていたが、まだわずかに残っている人数がある。
人々の激しい怒りはまず、彼等に対して向けられた。
怒涛の勢いで突入した群衆はドボス兵を無理矢理引き摺り出すなり、よってたかって袋叩きの目に遭わせた。
抵抗すら許されないまま息の根を止められたドボス兵こそ哀れだったかもしれないが、彼等は報復を受くべき必然性を背負っていた。なぜなら、牢獄につながれていた人々はろくな食事も与えられていなかったうえ、拷問によって手ひどく痛めつけられていたからである。残念ながら牢内で息絶えていた者もあったが、メスティア軍の蜂起があと数日遅ければ、犠牲者はなお増えていたであろう。
出入りする街人でごった返している兵営の入り口に、どっかと腰を下ろしているベック。頭より二回りも大きく重厚な鉄仮面を外し、汗を拭きつつ一息ついている。
ドボス兵残党から反撃があることを想定し、街の人々に付き添ってきたのである。
が、どうやら同行するまでもなかった。
勢いづいた人々の前では、ドボス兵などひとたまりもなかったではないか。
それよりも、と、粉砕された兵営の石壁をしげしげと眺めまわしていたベックは思った。
(ハルカの奴、ずいぶんと派手に暴れたモンだ。ウォリスと二人、まずは攪乱が第一だとか言ってた割には)
つと目線を下げ、今度は自分の周囲に向けた。
見渡す限り、赤い甲冑姿のドボス兵が転がっている。どれもぴくりとも動かないところを見れば、死骸になっているのであろう。ゆえに、散乱している、といったほうが正しかった。
(攪乱どころか、殲滅しちまってるじゃねェか。おかげで俺っちも姫様も、堂々と凱旋してきたようなものだよなぁ……)
ウォリスと打ち合わせた通りに時を置いて、アルセスの入り口正面から突入したメスティアの一同。
ところが。
街に踏み込んだ彼等を待ち受けていたのはドボス兵の軍勢というよりも、大量のドボス兵の死骸である。それも、見渡す限り街のあちこちに転がっている。生きて動いている兵士もいるものの、その数のほうが少ないとはいったいどういうことなのか。
「何だ、これは……? これみんな、ハルカとウォリスが二人でやったというのか……!?」
さすがのリディアも呆気に取られたように呟いた。信じがたい、といった面持ちである。
アリスをはじめ他の者は、言葉を発することすら忘れているようであった。
ただ一人、ジェイだけは「はっはっは」と大口を開けていかにも愉快そうに大笑し
「あの娘、やりおるわ! 姫の申された通り、女精エティシアの使いか、いや化生かも知れんの。儂はそんな気がしてきたわい」
ガシャリ、と短弓を構えた。
「さあさ、姫! 度胆を抜かれている場合じゃありませんぞ! 我々も後に続きましょうぞ! どうぞ、突撃のご命令を! 敵はまだ、あちこちに残っていますからな!」
年甲斐もなく血気盛んである。
促されたアリス、ハッと我に返ると苦笑を受かべ
「そ、そうですね! ぼやぼやしている場合ではありませんね」
手にしていた長剣を、進路目掛けてびっと水平に指した。
「ハルカ様とウォリス様を孤立させてはなりません! 残党を一掃しつつ、お二人に追いつくのです! アルセス解放まで、もう少しです!」
「はっ!」
メスティア後続部隊の突撃が始まった。
正面中央の敵に向かってアリス、リディア、マリス、ノア、そしてベックが足並みを揃えて突進し、左右から湧いて出るドボス兵をマーティ、ニナ、ジェイが弓の速射で次々と射抜いていく。少人数ながらも前衛と後方と、見事に呼吸を合わせた猛攻。ハルカとウォリスの働きによってすでに四分五裂していたドボス軍に、もはや精彩はない。一人、また一人とドボス兵は駆逐されていった。
そうして一行は、先行していたハルカ、ウォリスと合流するに至る。
「――ハルカ様!」
街の中央を突破してドボス軍兵営のあたりまで到達すると、そこにはハルカの姿があった。
アリスとヘレナが反射的に駆け寄って行く。
彼女はといえば、建物の石壁にもたれかかって腰を下ろしていた。
その胸に抱きしめているのは――身体に外套一枚を巻いただけのランリィ。ハルカの大きな乳房に顔を埋めて目を閉じたまま動かない。
あちこち傷やアザだらけだったが、見るからに安らかそうである。幼い子供の寝顔にも似ている。
「ラ、ランリィさんは!? どうなさったのですか!?」
動かないランリィを見て、アリスはおろおろしている。
ハルカはまあまあ、といったふうにやんわりと笑顔を見せて
「落ち着いてください、王女様。ランリィ、やはりドボス軍に捕まってひどいことをされていましたけど、この通り助けることができました。安心したら眠ってしまっただけですから、心配は要りません――」
そう言って、すやすやと寝息をたてているランリィの寝顔に優しげな視線を注いだ。
抱き締める腕にきゅっと力をこめ、愛おしげに頬を寄せた。
いかにも慈愛に満ちていて、あたかも実の姉のようである。
その様子を見つめていたヘレナが、不意にぽろぽろと涙をこぼし始めた。
「良かった……本当に、良かった! ランリィさんにもハルカ様にも、もしものことがあったらと思い、私、気が気でありませなんだ……」
「やだなぁ、ヘレナさん。あたし、そんなにヤワじゃないですよ?」
彼女の脇腹あたり、衣装が切り裂かれて素肌が見えている。
それと気付いたヘレナ、ハルカの横へ来てぐっと顔を近づけ
「ハルカ様、敵の刃を受けてしまったようですが……お怪我は、お怪我などないのですか?」
「大丈夫です! ぎりぎりかわせましたから。考え事をしていたら、横道にドボス兵がいたのに気付くのが遅れたんです。ちょっと油断しちゃいました。これから気を付けまーす! あはは」
「……笑いごとではないぞ、ハルカ。戦場ではちょっとした油断が命取りになるのだからな」
苦言を述べるリディアの顔が呆れている。
が、すぐに表情を緩めて
「……ま、今回は聞かなかったことにする。これからは気を抜くなよ」
とだけ言った。ハルカなら多くを言わずとも理解してくれると思ってくれたのか、どうか。
そうしているところへ、すぐ近くの民家からウォリスが出てきた。
「おいハルカ! 話がついたぜ! 快く引き受けてくれた。俺達がメスティアだって聞いて、びっくりしたまま固まってたがな。本当ですかって、何回訊き返されたか……」
苦笑いしている。
王城へ乗り込む前に、ランリィの手当てをしてもらえるよう街の人に頼んでいたのだ。
弱っている彼女を連れて決戦に臨むわけにはいかない。
「ありがとうございます、ウォリスさん!」
幸いなことに、ヘレナとサラが追い付いてきた。二人がついていてくれれば安心である。
彼女達にランリィを託したハルカ、よいしょと立ち上がった。
大剣を肩に担ぎ、大通りのど真ん中を悠々と歩いてアルセス城へと進んでいく。
アルセス市内はほぼ制圧を完了しつつあるが、国そのものの奪還はまだ終わっていない。ドボスの首魁である将軍ダムが残っている。これだけの騒ぎになった以上、さすがにメスティア軍の蜂起に気付いたに違いない。自ら出陣してこないのは、城内にこもってメスティア軍を待ち受けようというつもりなのか。
が、事ここに至ったからには、もはや隠密行動である必要はない。大手を振って乗り込んでいくまでのことだ。
ハルカに続いていくのは、アリスにリディア、ウォリス。この四人で、裏切り者を討伐しようというのである。
本来なら重装歩兵ベックに王城入り口を固めていてもらうところだが、重厚な全身甲冑をまとって長距離突撃をやってのけた彼は疲労が深い。
街の守りのために、と、リディアがあとに残っているよう言ったのだが――ほどなく飛び出してきた街の人々が兵営を攻めるというので、それに付き合うことになってしまったのである。
兵営も陥ち、やっと与えられた休憩のひと時。
すっかり明るくなった朝の空をぼんやりと眺めていると、心なしか雰囲気がいつもと違っているような、そんな気がした。ぴりりと張り詰めていた空の表情が今日は解き放たれたようにのびやかに感じられる。圧政から解放された街の空気が空にも伝播するものなのだろうか。
そこへ、ジェイとノアが兵営の奥から出てきた。
二人は、一人の男性を両側から支えている。
ぐったりとしている男性。衣服を剥ぎ取られた裸体の姿で、身体のいたるところに鞭を打たれたあざ、裂傷が見える。力なく項垂れた顔を長く伸ばされた髪が覆っていて、相好がよくわからない。
「ベック殿。サラはどこかへ行ったかな?」
「サラのお嬢ちゃんならヘレナさんと一緒にランリィの手当てをしていると思うが――その者は?」
牢獄にいた者のほとんどは家族や知己の者によって助け出されていったが、彼だけは手を貸す者もなく牢の中で息も絶え絶えになって転がったままだったという。
つまり、アルセスに所縁のある人間ではない。
「この男の顔に、ちょっと見覚えがあったものでな。まだ息もあるし、助けてやろうと思ったのよ。ここがガルザッグ領内なら捕まった途端に殺されていただろうがな。アルセスで力尽きてドボス軍に捕らえられたのだろうが、よく引き渡されずにいたものだ。こやつはな」
ジェイはその厳めしい相好に含みある笑みを浮かべた。
「――たった一人でガルザッグに戦いを挑んだ命知らずよ」




