14) ピンチに必要なのは、行動と優しさと
「アルセスの街を見てくる。二つの砦がこの有様だったから、恐らくドボスは軍を整理できていないと思うんだ。街の中がどうなっているのか、それを確認しておきたい」
夜空に満天の星が瞬き始める頃、そう言い残して、独り西砦を抜け出ていったランリィ。
アルセスの街までは歩いて半日の半分もかからない距離である。
――が。
すぐに戻る、と言ったものの、夜更けになっても彼女は帰ってこない。
ハルカは気が気でない。
(おかしい。 こんなに待っても戻らないって、おかしいじゃん! ランリィに何かあったのよ!)
落ち着きを喪ってそわそわしている彼女を、ベックやマリスがなだめた。
「少し落ち着けよ、ハルカ。あの子、俺と違って身のこなしが軽いだろ? そう簡単に捕まったりしないって」
「アルセスはアルセア村よりもだいぶ広いですから。あちこち探っていれば、それなりに時間がかかると思いますよ」
そのように言ってくれたが、気持ちがどうにも落ち着けそうにない。
確かにランリィは西砦や東砦に接近して様子を探ってきたが、それらは規模も小さく、配されているドボス兵もごく僅かしかいなかった。
が、アルセスにはドボス軍本隊がいてその数も圧倒的に多いうえに、将軍ダムがいるからには警戒も厳しいと思っていい。これまでとは訳が違うのだ。
一人で行かせるんじゃなかった――。
後悔の念がじんわりと、ハルカの胸中に黒雲のように広がってくる。
「これはあれだな、しくじって捕まったか、見張りが重厚すぎて街を抜けられないか、どちらかだな。どのみち、状況は芳しくないぞい」
地べたに座って愛用の短弓の手入れをしていたジェイが言う。
いつもの飄々とした口調だが、目は笑っていない。彼もランリィに何かあったと疑っているようであった。
もう長い時間、立ったり座ったり、行ったり来たりを繰り返しているハルカ。ヘレナが用意してくれた食事も、ろくに喉を通らなかった。
そんな彼女の様子を、長剣を抱くようにして砦の塀にもたれかかったままのウォリスがじっと見つめている。
夜はまだ深いものの、やがて東の空のすそがほんのりと明るみを帯び始めた頃、
「……あたし、やっぱり行きます! ランリィを助けなきゃ!」
いよいよ我慢しかね、ハルカは大剣をつかみつつ叫んだ。
そのまま身を翻して飛び出していこうとすると
「待て! はやまるな!」
それと気付いたリディアがすかさず制止した。
「アルセスはドボス軍の本陣だぞ! 剛強のハルカといえども、一人で乗り込むのは無謀に過ぎる。まずは十分に作戦を考えて、それから全員で足並みを揃えていくべきだろう!」
意外にも彼女は、独断専行しようとしたことを罵倒したりしなかった。方法論をもって思いとどまらせようとしたのだ。
しかし、ランリィの身を案じるあまり取り乱し気味なハルカの耳には届いていない。
「でも、こうしている間にもランリィが!」
「――まあ待てよ、ハルカ」
その肩をつかんで止めたのは、今まで沈黙していたウォリスであった。
「ウォリスさん、止めないでください! ランリィが、ランリィが――」
ハルカはその手を振りほどこうとした。
するとウォリスは眦を細めて、ぐっと目線を打ち込んできた。
「いいから、まずは落ち着けって。俺の話を聞いてくれ」
一瞬、催眠にかかったように動きを止めたハルカに、彼は諭すように言う。
「ああも諜探に長けた身軽なお嬢ちゃんが戻ってこないとあっちゃ、捕まったと考えるべきだと俺も思う。――かといって、あの残虐なバルゼンがいなくなった以上、すぐに殺すようなことはしないだろう。捕らえた人間を処刑するのはほとんどあいつだったっていうしな。ま、とはいえ、捕まった以上は手足ふん縛られて殴られるくらいのことはされるだろうが」
そうして、皆のほうへ振り向いた。
「ハルカが一人で行くというのは確かに早計だろう。だが、ここまできた以上、俺達もまたアルセスに攻め入るのはもう時間の問題だということを忘れちゃいけない。それも、できるだけ早いうちに、だ」
その引き締まった相好に、仕方がなさそうな笑みを浮かべた。
と、アリスとリディアに向かって
「姫様! 最初に俺とハルカが街に突入して奴等を混乱させる。あの船乗り星が東の空に消えかけたら、ベックを中央にして正面から攻め入って欲しい。ここまできたなら、あとは」
愛用の長剣を、ゆっくりとした所作で背中に担いだ。
右から左下へと長剣が沈み、ぼろぼろになった革帯が彼の肩から胸にぴたりと落ち着いた瞬間、
「――斬り込んでいくまでのことよ!」
いきなり地を蹴って駆けだした。
一同の中では最も冷静沈着な人物であるはずのウォリスがとった、まさかの行動。
「……」
ハルカは呆然とその背中を眺めていたが、つと背後から
「……ハルカ様、先陣をお任せいたします。アルセスを人々の手に取り戻せるかどうか、ここ一番の戦いです。どうか、お力添えをお願いいたします」
そう声をかけ、ゆったりと頭を下げたアリス。
今度はウォリスが暴走したような格好になったが、彼女は黙ってそれを許した。
というのも、ウォリスが口にしたように、事ここに至った以上メスティア軍に残された選択肢は一つしかないのだ。
――時を移さずして、アルセスに攻め入る。
そのことを十分理解していたからこそ、ウォリスを制止しなかったのであろう。
ただし、それは単に彼が歴戦の強者であるからというだけが理由ではなく、ハルカと一緒であれば何とかやれると考えたに違いない。
隣に立つリディア、相槌を打つように頷き
「ウォリス殿らしくもない無茶だが、やむを得まい。姫様が了承なさったのだ」
すぐ傍まで進み出てくると腕組みを解き、トンと背中を押してくれた。
「――ハルカ、行け! あの娘、お前にとって大事なのだろう?」
ふっ、と小さく笑みを見せた。いつになく好意的な笑顔である。
アリスの背後では、ヘレナとサラが両手を組み
「どうか、ハルカ様とウォリス様にご武運を。女精エティシアと、軍精エルシャのご加護があらんことを!」
戦の精霊であるというエルシャに祈りを捧げてくれている。
皆の優しさを感じたハルカ、思わず涙がこみあげくるのを抑えられなかった。
が、手の甲でかいなぐって泣き笑いして見せてから
「……はい! ありがとうございます! 行ってきます!」
勢いよく宣言すると、ウォリスの後を追って飛び出した。
アルセスの街は西砦からはほぼ真西に位置している。
潜入、撹乱が目的だから、街の入り口を正面突破というわけにはいかない。
そこで二人は大きく北側へ迂回、北西の街の外れから押し込むことにした。
皆の記憶によれば、アルセスの街の南側は農場や牧場が広がっているばかりであり、建物が少ない。そこよりも、建物が密集していてドボス兵も多い北側を衝いた方が利も大きかろうという計算である。多少無茶といえば無茶だが、一騎当千の強さを誇るハルカが行くなら大丈夫だろうという含みもあった。
ただし、街とこちら側を隔てるように、そこそこ大きな川が流れている。
山から海へと下っているだけに流れも速く、常人が飛び越えられるような幅ではない。
ゆったりと流れていく川面を前に立ち止まり
「さすがにこの幅じゃ、飛んで超えるのは無理だな。こいつはひとつ、川泳ぎでもするしかないかな? 汗を流すのにはちょうどいいが……」
ウォリスが閉口していると
「……ウォリスさん、しっかりつかまっていてください!」
ハルカはいきなりウォリスを抱きかかえるや否や、躊躇いなく対岸へと飛んだ。
これには驚いたウォリス、
「済まねェなァ。っていうか、みんなに見せられたざまじゃないぞ、これ……」
やや情けなさそうにぼやいた。
川の向こうへと難なく着地したハルカはウォリスの大きな身体を地面に下ろすと
「問題ありません。アルセスを取り戻すためですから!」
にっこり笑った。
皆から後押しをしてもらった彼女に、先ほどまでの不安そうな影はどこにもない。
その天衣無縫な笑顔に、ウォリスも、しょうがないかと苦笑するしかなかった。
そうして二人は剣を抜きつつ、アルセスの街へと突入を開始した。
次第に視界に迫ってくる町並み。
島国ながらも城下だけあって、さすがに建物の数が多い。辺境の村アルセアとは比較にならない。地面も土のままではなく、粗削りながらも石畳が敷かれているではないか。ようやく、それらしい――ゲームによくあるファンタジー世界の街――雰囲気と情緒を漂わせた場所へやってこられたという気がする。
まだ夜明けを待つ刻限ゆえに街の中はうっすらと暗く、往来を歩く人の姿はない。
意外だったのは、街の人々はともかく、突入一番でドボス兵の姿が見当たらなかったことである。重厚な警戒を想定していたハルカは、ちょっと面食らった。
「軍を実務上仕切っていたバルゼンが斃されたことで、指揮が乱れちまってるんだろうさ。権力者のダムは怪力こそ振るうがまるで知恵のない男だ。この混乱を収拾できないでいるんだろうな」
してやったり、といったふうに笑みを浮かべたウォリス。
が、やはりドボス軍本隊が居座る街である。
街の真ん中を東西に横切っている大きな通りへ近づくと、さすがに赤い甲冑姿の兵がぱらぱらと姿を見せ始めた。
侵入者の二人を認めるなり、まるでそれが本能であるかのように武器を構えて駆け寄ってくる。
「いよいよだぜ、ハルカ。男の俺が言うのもなんだが――頼りにしてるぜ?」
「あたし、ウォリスさんとなら負ける気がしません!」
目と目で合図し合うと、一気に足を速めた二人。
メスティア勢きっての俊足コンビである。
あっという間に間合いが詰め切られたかと思うと、二本の剣が闇に唸った。
二人の行く手を塞ごうとしていた数人のドボス兵がことごとく吹き飛び、あるいは真っ二つにされて石畳の上に転がっている。
他愛もない、と思っているうち、新手が続々と現れ始めた。
ウォリスはいったん立ち止まり、周囲に目を配りつつ
「魔族の雑兵の多くは言葉も喋れない、野の獣みたいな連中が多いってのは聞いているな? ただしその分、戦いになれば相手を斃そうという闘争心が強いうえに、人間よりも目や耳が利く。だから、俺達を見つけてぞろぞろと集まってきているのさ。言ってみれば」
長剣を持ち直した。
「……甲冑を着て武器を持ったケモノ、だ。長年人間は、こんな奴等に虐げられていたんだ」
手元でガチャリ、と甲高い金属音が鳴った。
彼の傍に立つハルカ、大剣を右肩に担ぎ、白い外套と長い髪を微風になびかせている。
「はい。今からあたし、あのケモノ達みーんなまとめてしつけてやりますね?」
ゆっくり大剣を下ろすと、諸手で右斜め下に構えた。
「――ぶっ飛ばしちゃってそれまで、かも知れませんケド」
ちらとウォリスを一瞥してニッと笑った。
そうして一瞬の間ののち、見る見る数を増やしていくドボス兵の群れに突き入って行く二人。
――アルセス奪還戦の開始である。




