10) 情報収集は大事、っていうか君は誰?
陽が、すっかり落ちた。
(偵察とか、そういう役割ってすごく大事だなぁ。やっぱり、まず大事なのは情報なんだよねぇ……)
ほんの少しの先すら見えない闇の中で、とつこうつ考えているハルカ。
灯りが欲しいところだが、火は使えない。万が一ドボス兵が近くに来た場合、居場所を知らせてしまうことになるからだ。空が白ばんでくる刻限まで、大剣を抱えて大木の幹に寄りかかり、じっとしているよりない。
もっとも、他の仲間達もそのようにして過ごしているはずだった。
あとから追い付いてきたアリスとヘレナ、サラの三人を主力メンバーで丸く囲むようにして野営している。一ヶ所に固まらないのは、ドボス兵に偵知されたときに一度に全員の姿を見られないためである。屋根の下で布団にはいって寝ることに慣れきったハルカにはやや辛いものがあったが、幸いにして気候が温暖だから夜風に震えなくてもよい。眠ろうと思えば眠れぬこともなさそうであった。明朝の夜明けと共にドボス軍の西砦に奇襲をかける手筈になっており、できれば少しは眠っておきたいところである。
が、ハルカとしては色々考えることがあって、すぐには眠れそうになかった。
偵察の役割をかって出てそのことで動き回っているうち、情報収集の大切さというものが身に染みてわかってきたのである。そういうことは義務教育でも高校の授業でも教わることはない。しかしながら、古文や数学や公民などの勉強よりもよほど重要なのではないかとさえ思えてくる。
人や集団は、情報を得て動く。
情報なしに動いても無駄足を踏んだり、ときには損をしたりしてしまう。
例えば、中学校や高校の球技大会でもそうだったような気がする。
他のクラスでは誰がどの競技に出るのか、特に男子は探り合いばかりしていた。女子たち皆は冷めた目で見ていたが、よく考えれば相手の状態を知ることで、こちらはそれに見合ったやり方を講じることができるのだ。
メスティア軍も行動を起こしたものの、いきなりドボス軍陣地へ攻め込むということはできない。
もしも相手がそれあることを予期して十分な備えを講じていたならば、どうなるであろう。少数のメスティア軍はたちどころに撃退されてしまうに違いない。少数で戦わざるを得ないからこそ、相手の状態を十分に調べ上げ、可能な限りの準備を整えておく必要がある。
ゆえに、情報収集。
とはいえ、これがまた多大な労力を要する。
偵察に駆け回る者は、他の者よりも余計に体力や神経を使わなければならない。
これがもしも、そのことだけを専門に引き受ける役回りの者がいたならば、戦闘を主とした役回りの者は戦闘に集中することができる。
今のところ、メスティア軍にはそういった偵察役がいないから、ウォリスやハルカのようにフリーでかつ身軽な者が本隊の先へ走って敵情を探ってこなければいけないのである。四六時中アリスを護衛しているリディアや、重装歩兵のベックでは務まらない。
(こういうの、何ていうんだっけ? スパイ? 忍び? ――まあ、何でもいいや。そういうことをやってくれる人がいればいいのになぁ……。あたし達がこれを続けていくのって、なかなか骨だわ)
とまで考えてから、ふと思い出した。
木の上に飛び乗った際、ウォリスにスカート――と、ハルカは勝手に呼んでいる――の下、つまり女の大事なところをすっかり披露してしまった。シブくダンディなウォリスが相手でまだ良かったとは思うが、何も考えずにみっともない真似をしたのが悔やまれる。
仮にパンツを穿いていれば良かったかといえば、そうともいえないのだが――。
(あーうー、あれはカッコ悪い……。つか、お尻がチクチクする。それもそうか。丸出しで地べたの上に座っているんだものね)
いつしか、思考があられもない方向へ逸れてしまっている。
そうこうしているうちに、どれくらい時間が経ったであろう。
いつの間にかうとうとしかけていたハルカは、ふと目を覚ました。
不気味なまでにしんと静まり返った闇夜の森に、そそくさと動く気配が一つ。
西の方角、つまり小砦側から少しづつ距離を詰めてくる者がいる。
(やだ、ドボス軍の兵士かな? ウォリスさんとかベックさんに報せたほうがいいかなぁ……)
一瞬考えたが、下手に動いて大事になれば拙い。まずは様子をみようと思った。
木の陰に隠れるようにしてじっと息を凝らしているハルカ。
気配はどんどん近づいてくる。
この闇だというのに足音を忍ばせつつ、ほとんど音を立てずに歩みを進めているようであった。
夜目が効く、という言葉を知らないハルカは「忍者のようなスキルを持った奴」と推測した。はずれではないが、ニュアンスだけに頼り切ったあやふやな表現である。
が、ハルカのほうはそうもいかない。闇は茫漠とした闇でしかないのだ。
ただし、ドボス兵の斬撃を苦もなく避けられる程度に五感が鋭くなっている。そのため、相手の動きは手に取るように察知することができた。
あとわずか数歩、というところまできたとき、相手はぴたりと動きを止めた。
ハルカがいることに気付いたとみていい。
用心しているのか、そこから容易に動こうとしない。
(しゃーないなぁ、ここで足止めするか。王女様の傍まで近寄られたら厄介だし……)
そう決めると、右手でそっと大剣の柄を握ったハルカ。
事と次第によっては、一発どついてやるつもりでいる。
木の幹に身を寄せ、全身の感覚をハリネズミのように研ぎ澄ませる。
一秒が、数分にも感じられた。
やがて――気配の主が動いた。
タッと素早く飛び出すなり、一直線にハルカに向かってきた。
だが、相手の動きがわかっている彼女は落ち着いている。
(……せーの!)
間合いが詰め切られるタイミングを計っておいて、ひょいと大剣の柄を突き出してやった。
上手く腹にでも当たってくれたかと思いきや――驚いたことに、すんでのところで相手はそれをかわした。
ばかりか、タン、タン、と軽快にステップを踏みつつ方角を変えるなり、ぐっと迫ってきたではないか。
とはいえ、そこまで近づかれてしまえば、さすがに相手の影かたちくらいはわかる。
つかみかかるつもりだったのか、さっと腕を突き出してきた。
「おっとぉ?」
ぎりぎりながら、逆にその腕をつかまえてやったハルカ。
受け止めたきり、やり返さない。
迂闊に力をこめればどういうことになるか、わかりきっているからだ。
が、それで十分であった。
相手は慌てて離れようともがくものの、びくともしない。
そのうち、もう片方の手がすっと腰へ動いたのにハルカは気付いた。刃物か何かでつかんでいる腕を傷つけ、怯ませて手を離させようということか。
いくらなんでも、刃物でばっさりやられては敵わない。
(……えい)
地面を目掛けてごく軽く、ぽんと突き飛ばすようにした。
緩く叩きつけておけばすぐには反撃してこれないだろうと思ったのだ。
しかし。
「――ぎゃっ!」
短く悲鳴が轟いた。
軽く放ったつもりが、相手には思わず悲鳴を上げてしまうほどの衝撃だったらしい。
「あぅ……」
よほど痛かったのか、呻いている。
その声で、ハルカは相手が何者なのかを知った。




