04
マリカとメリルの服作りは、翌朝から始まった。
幸い、この世界の服作りも基本的には元の世界とあまり変わらなかった。
着る人のサイズを計って作った型紙を元に布地や革を断ち、針と糸で縫い合わせて服を作る。
この世界には科学技術の発展がない代わりに、魔力が存在している。
人々は魔力を用いて生活を営み、便利な道具を作り上げて暮らしている。
だから冒険者向けの防御服や装備品を主に作っていたメリルのお父さんが工房で使っている糸や革は主に魔物のもので、革を切るのに魔力が必要なドラゴンの牙製のハサミだったり、縫い合わせる針が迷宮の蜂針だったりして一般人には使えない道具ばかりだったけれど。
幸いマリカはいくらか魔力があるらしく、魔力属性のあるハサミを使って革を裁つことができた。
三日かけてマリカが描いたデザイン画を元に、メリルが使用する革や小物を選び出した。
幸いに必要な材料は全てメリルのお父さんの棚にあった。
その後三日かけて作った型紙を元に、二人はまず始めに革を切っていった。
「初めてでドラゴンのハサミが使えるなんて、マリカは才能があるよ。この仕事に向いてるよ」
な一んてメリルが手放しでほめてくれるものだから、この世界での針仕事だって簡単だと思い込んでいた。
けれど。
「魔術文字をこうして縫いこむことで、加護を得られるんだよ」
「メリル、革が硬くて針が通らないんだけど」
「ただ力任せに針を革に突き刺すんじゃなくて、魔力を込めなきゃだめだよ」
こちらの世界では基本的に衣服は大量生産ではなくて、縫製師と呼ばれる縫い子に注文するものらしい。
技術の高い縫製師は注文に応じて布や革などに防水、防御、伸縮、形状記憶、汚れ防止、軽量化等の加護を付与するため、魔術文字や記号を魔力を込めながら縫い込むものらしい。
メリルの亡くなったお父さんは王都のバーンズ商会と取引があった優秀な縫製師だったらしく、メリルもまた長年お父さんの下で弟子として働いていたので、いまでも一流の技術を有している。
そんなメリルの指導の下で、マリカは切った革に加護の縫い込みを始めているのだけど。
「たんなる刺繍みたいなものかなと思っていたけれど、難しいよね」
魔力を込めながらというところで、悪戦苦闘している。
「最初は苦労するかも。でもすぐに慣れるよ」
「そうかなぁ」
どういう仕組みかまだ理解はできないけれど、異世界から来たマリカの体にも、魔力というこの世界を形作る力が存在している。
自らの中にある力を針を通して力のようなものを針を通してゆっくりと放出していきながら、縫込みをする。
「だいたいの作業はわかったような気がするんだけど。それを上手く活用できるかどうかってのが問題なんだよね」
作業し続けていると、すぐに疲れてしまい、手がぶるぶる震えてくる。
しっかり指で押えていないと針のコントロールが効かなくなるけれど、強く押し過ぎると余計な力が必要になって、コントロールが難しくなる。
「ちょうどいいさじ加減って、難しいね……」
「最初のうちは焦らずゆっくりと進めていったらいいよ。文字や記号の縫込みは正確にしないと意味がないからね」
父の弟子として6歳から針を持っていたというメリルは、縫い込み作業は難しくもなんともない作業らしい。
マリカの縫い方を横目で確認しながら、針の先も見ずにすいすいと縫い目を進めていっている。
瞬く間に鮮やかな模様が浮かび上がってくる。
「きれいだね」
「ああ。それにこの模様の一つ一つが大きな力となっていくのも素晴らしいだろう」
「そうだね」
「だから、模様を縫うだけでは駄目なんだよ。針に魔力を通しながら縫わないとね。そうそう、そんな風に」
針に力を込めないといけないけれど、込めすぎると針が壊れてしまう。
朝から三時間ほど針と格闘して、軽量化の文様を縫いこむことができたのはわずか5センチなのだ。
メリルは軽い調子で縫い進めていっているのに、落ち込まずにはいられないけど。針に力を込めないといけないけれど、込めすぎると針が壊れてしまう。
「私も父にかなり仕込まれてるから縫い物の腕だけは悪くないと思ってたけど、マリカもかなり出来るね」
「……とてもそうは思えないけど」
朝から三時間ほど針と格闘して、軽量化の文様を縫いこむことができたのはわずか5センチなのだ。
メリルは軽い調子で縫い進めていっているというのに、裁縫は得意だったはずのあまりの自分のできなさ加減に落ち込まずにはいられないけれど。
「焦りは禁物だよね」
「そうそう!朝の作業はここまでにしようよ」
「そういえばお腹が減っている」
マリカとしてはもう少し縫っていたかったけれど、「正しい就業時間を守ることが、長く仕事をしていられるコツだよ」というメリルの言葉で、素直に手を止めた。
「例によってうちの親父の教えなんだけどね」
「準備してくるわ」
マリカは立ち上がって、台所へと向かった。
マリカがメリルの家で寝起きし始めてから。
朝ごはんは村の唯―の雑貨屋さん、ミードのところでミルクとパンで各自で済ませている。
お昼は交代で軽く食べられるものを作ろうということになったのだが、縫い込み作業をしている間はメリルヘの講義代としてマリカが食事を作ることになったのだ。
まだ新米縫製師のマリカでは、長時間にわたって魔力を針に込めることが難しいからでもある。
「今日の昼食はワイルドラビットの照り焼きハンバーガーとキノコマリネにしました」
メリルの家の食品貯蔵庫は大体6畳ぐらいの大きさで、中には物質保存の魔術がかけられている。
狩りの獲物などは解体した後、外の倉庫で熟成させ、ちょうどいい具合になったら中の貯蔵庫へと移すことになっていた。
最初、ウサギに似たワイルドラビットが毛皮を剥かれたそのままの姿で食料庫に吊られていたのを見た時は、ぎょっとした。
「ぎゃ一――一一―!」と家中に響き渡るほどの悲鳴を上げてしまったけれど、それも遠い過去だ。
マリカは進化したのだ。
鶏肉よりもジューシーで味わい深いワイルドラビットの肉を何度か食べた後では、昼食に使う肉を取るために食料庫に入り、中に吊ってあるワイルドラビットをカットするにもためらいはなくなった。
「我ながら適応能力が高いと思うわ」
食品保存庫は実際、材料が劣化することがないので、とても便利だ。
材料はシュランジなどの魔物を食べることもあるけれど、基本的にこの世界の材料や調味料などは、元の世界とほぼ同じだ。
メリルが面倒がって塩コショーしか使っていないだけで、なんと味噌と醤油、酢に酒まであるのだ。
ミードさんからそのことを聞いたマリカはさっそくいくつかの調味料を購入し、毎日の料理に取り入れることにした。
「キノコのマリネは朝に作っておいたから、肉の準備に取り掛かろう」
醤油、みりん、砂糖、酒を適量混ぜた照り焼きソースに一晩漬け込んでいたワイルドラビットの肉を、スライスしたたまねぎと一緒に魔石オーブンで焼いていく。
肉は途中何度かひっくり返し、こんがり焼き上がる直前に朝に配達してもらったミードさんのパンを半分に切って、マヨネーズソースを塗って準備をしておき、食品貯蔵庫から取り出した新鮮レタスをざくざく洗って水切りする。
たっぷりと肉汁がしたたっている熱々のワイルドラビットとタマネギ、レタスをギュウギュウはさむとハンバーガーの出来上がり。
「照り焼きソースは美味しいよね! 家で簡単にできるとは思わなかったよ」
大口開けてハンバーガーにかぶりつきながら、メリルは幸せそうな顔でつぶやいた。
「ワイルドラビットの肉が美味しいんだよ。メリルが捕ってきた材料を御相伴させてもらって、助かってる」
ミードさんの雑貨屋でも肉は売ってはいるけれど、値段が高い上にこれほど新鮮ではないらしい。
滞在二日目には魔石をはめ込んで熱源とする台所の扱いにもマリカはすっかり慣れて、食事当番もこなすようになっていた。
というより、凝った料理はマリカの担当になっている。
「照り焼きは多めに作って保存庫に入れたし、夜はシュランジのシチューを煮込んでいるから」
「トマト味だよね。マリカのシチューはこくがあって美味いから、楽しみだ」
メリルはニコニコ喜んでくれる。
メリルはさっぱりした性格のせいか衣服にもこだわりがなければ、自分一人だけの食事に時間をかける気にはなれないらしい。
お父さんが亡くなってお母さんが南へ移住してからは一人で家にいる気になれなくて、かなり頻繁に家を空けて狩りに行き、何日もに渡る野営生活を送っていたらしい。
同居人が増えたことに心から喜んでくれて、マリカにずっと家にいたらいいと言い張ってくれている。
マリカとしても行く当てもないところを拾ってくれたメリルには感謝している。
親切であっさりした気性の彼女との相性はいいみたいで、同居生活も悪くない。
二人の防御服を縫い上げて、マリカが冒険者ギルドに登録したらいくらかお金を稼げるようになるだろうし、その時はきちんと話し合いをしてマリカがこの世界で自活できるようになるまで、正式に下宿させてもらうことになっている。
「マリカの腕だとさ、ギルドで魔法スキルをいくつか取れるんじゃないかと思うんだ」
そうしたら狩りも楽にできるようになるよ、と二つ目のハンバーガーにかぶり付きながらメリルは言う。
「この照り焼き味美味しいね。気に入ったよ」
「調味料の配合さえ覚えておけば、簡単だよ。それより魔法スキルって?」
そっか、マリカにはそこから説明しないと駄目なんだよねとメリルは苦笑する。
「狩りでつかうような大きな魔力を得て使いこなすためには、ギルドで能力を得なきゃならないんだ」
「能力を得る?」
「ああ、縫製や料理のような生活魔法と違い、それらの魔法は自然には身に付かないんだ」
「縫製や料理もスキルなの?」
驚いた。
魔法に能力だなんて、ここはマリカの暮らしていた世界とは根本的に異なっているらしい。
「エリオットがいたら良かったんだけど」
「私はきちんとした説明は苦手なんだよ」と愚痴りながらも、メリルはなんとかマリカが理解できるよう順序よく説明しようとしてくれる。
「この世界で魔力を使うためには、能力が存在していなきゃならない。料理や縫製などは経験を積んでいくうちに自然と能力が開花していくものなんだ」
だからマリカも、縫製や料理スキルを得ているだろう。
「そうなの?」
「そのはずだよ。だからもう少し時間がたてば、縫い込み作業のスピードも上がるはずだ」
てっきり10年ぐらい下積み修行をしなきゃいけないと思っていたのに、予想外の展開だ。
「ただ大量に必要な火や水や風魔法などの特殊魔法を使うためには、ギルドでの申請が必要なんだ。ギルドは本人に十分な魔力があることと、魔法の適性があるかどうかを確認して、許可を下すんだ」
メリルは魔法を得るための流れを説明してくれた。
「メリルもそうしたの?」
「ああ。魔力が安定するのが成人になってからだから、この国では16になったら適性検査を受けるのが一般的なんだ」
「検査を受けない人もいるの?」
「たまにいる。旅に出てたり、田舎に住んでいたりする人はギルドのある町に行ったときに検査を受けることもあるから、心配いらないだろう」
「そうなんだ」
「ああ。マリカの場合は工房のハサミと針を使えるから魔力があるのは分かっているし、縫製の適性もある。だから冒険者ギルドで適性検査を受けたらいいと思うんだ。ギルドでどの魔法スキルを得るか判定してもらって講習を受けたら、特殊魔法スキルを得ることができるから」
まるで通信販売で魔法キットを買えばいいよ、なんて口調だが。
事実、その通りなのだということは後でわかった。
もう少しメリルに尋ねた結果。
水魔法や火魔法のような広い範囲に渡って力を行使することのできる魔法のことを特殊魔法という。
初心者が特殊魔法を覚えるにはギルドで適正検査を受け、自分にあった魔法の講習を3時間ほど受けることで能力を得るらしい。
そんな簡単でいいの、魔法!
「自分がどのスキルを持っているかというのは、どうやって確認するの?」
そもそも自分が料理や縫製スキルを得ているかどうかだなんて、マリカにはいまだに分からない。
「普通はギルドカードを見たらわかるんだけど………、マリカは持っていなかったね。やっぱり一度ギルドに行ってみた方がいいね。村ではできない買い物もあるし、明日はギルドに行ってみようよ」
「ギルドに?」
「そう、ギルドに!」