03
工房の本棚から引っ張り出してきたメリルのお父さんの見本帳には、さまざまな色の革見本が貼り付けてある。
「きれいですね。この革の色は染めてるの?」
「ええ。王都にある専門の工房で染めてるのですよ。このページにある革はすべてうちの商会を通じて染を依頼しています」
「革やボタンなどの小物は狩った魔物の皮や骨で作るんだ」
「既製品の洋服は売ってないの?」
「既製品って、全て出来上がった洋服のことかな? 古着の店なら王都にあったはずだけど、出来上がった洋服ばかりを売る店ってのは知らないなぁ。服は大抵注文して縫製師に縫って貰うか、自分で縫うものだからね」
「様々な大きさに対応するには、注文服でなければ無駄になると思いますよ」
メリルとエリオットからこの世界の服飾事情を聞きながら、見本帳のページをめくっていく。
色とりどりの見本は見ているだけで楽しい。
メリルの髪は金に赤毛が混じったきれいな色で、凛々しい顔立ちにすらりとした体型で王子様みたいにかっこいいから、どんな色でも似合うだろうけど。
「このロイヤルブルーはいいかもしれない」
メリルの長い足にさぞかし映えるだろう!
ブーツがロイヤルブルーならば、とマリカは理想の服を頭に思い描いていく。
考えれば考えるほど楽しくなってきた!
サラサラと手を動かすスピードが速まる。
あまりこの世界の服装から浮いてしまったら駄目かなと思いながらも、スケッチの手が止まらない。
「メリルにはヨーロッパの貴族の乗馬服のようなイメージの、黒ジャケットに白い乗馬パンツを着てもらいたいなぁ。脇から腰骨のサイズ感がすごく大事だから、しっかりと細部まで採して革をカットしてサイズを合わせていくよ。上着の飾リボタンは金が希望だけどあるかなぁ。あとで在庫分をチェックさせて貰っていいかな。思い描くボタンがなければ作る方向で検討していきたい。内側には長めの自のジレと言いたいところだけど。狩りの服装ということだからシンプルな白いシャツに自重しておくことにする。でも襟のシャツだけは譲れない」
「マッ、マリカ?」
「かといってガチガチ正統派だけでは面白くないし。パンツにはメタル調の細ベルトとくれば、やっぱりロイヤルブルーの二一ハイブーツだね!靴が全てを決めるんだよ!」
仕上げに同色のポケットチーフを胸に差したら、完璧だろう!
早く仕上がりが見てみたい!
ザッと描いたスケッチに最初に反応したのはエリオットだった。
「たしかに、これはメリルさんに似合いそうですね」
エリオットも同意してくれた。
肝心のメリルはというと「いい感じだね。これにするよ」と楽しそうに笑ってくれてはいるのだけど、どこか他人事な顔つきだ。
気に入らないって風でもないんだけど。
そんなメリルに、エリオットはため息をつく。
「メリルさんって縫製の腕はいいのですが、さっぱりとした気性のせいか服に対するこだわりってものがないですよね」
「そうだね、服なんて動きやすければどんなものでもいいかって思っているせいなのかな。縫うのはまったく苦にならないんだけど、一からデザインを考えるのは苦手だしね」
「うちのお抱えの縫製師の中でもメリルさんの腕は一二を争うほどいいから、惜しいのですけどね。せめて王都に出て来ていただければ、好待遇でお迎えできるのですが」
「やだよ」
驚いたことに、メリルのお父さんが亡くなって以来、メリルは洋服のデザインを考えるのが面倒なあまり、3年以上も同じデザインの服ばかり作り続けていたらしいのだ。
「それは」
服職人としてあり得るのだろうか。
絶句してしまったマリカに、エリオットはそうでしょう、とばかりに強く頷いている。
「さすがに同じデザインの服ばかりしか作らないというのは縫製師としてはどうかと思いますよ。今では同じ村の人達からの注文もほばない状態ですからね」
村人すべてが強制お揃い状態、そんなのが3年も続くのはイヤだよね。
「でも服の色は色見本の端から順に変えて作っているんだよ」
「……」
メリルって。
見た日は王子様みたいな麗しい外見なのに、中身はちょっと残念な人なのかもしれない。
さらに話を聞いてみると。
メリルのクローゼットには、あのロシア風民族衣装だけがデザインの色違いでずらっと並んでいるらしい。
想像しただけでおそろしい。
一日に何度もお着替えをするのもめずらしくはない洋服大好きなマリカは震え上がっていた。
「メリルが自分のことを縫製師としては向いていないって言っている理由が、なんとなく分かった気がする」
「メリルさんのお父さんにはお世話になりましたから、うちとしても引き続き取引をお願いしたいのはやまやまなのですが、こういう状態では……」
「縫い物は嫌いじゃないんだけどね。縫込みも得意だから注文が入ったら今でも受けているけど。自分でも狩りの方が向いている気がするんだよ」とあっけらかんとメリルは言う。
「でもマリカのこの服はかっこいいから、出来上がりが楽しみだよ」
「……ありがとう」
少し複雑な心境だけど、メリルが「着てみたいと思っているよ」と言ってくれたから、今のところはよしとしよう。
「それでねマリカ、新しい服ができたら一緒に狩りに行かない?」
「狩り……?」
「メリルさんっ! 何も知らないマリカさんを危険なことに巻き込むのは賛成しかねます、お二人とも、危うくシュランジに殺されそうになったというのに!」
「エリオットに聞いているんじゃないよ」
「狩りって、危険なんじゃないの」
「シュランジの時は何の対策もしなかったからだけど、安全に十分気をつけて小動物から狩っていけば、狩りは楽しいものなんだよ」
「楽しい、か」
確かに。
あの大蛇に襲われそうになったときは怖かったけど、でもメリルと二人で協力してやっつけた時は不思議な爽快感があった。
春香と二人で作り上げたスタンガンの威力も試すことができたのは収穫だったし、なによりシュランジは美味しかった。
酔いもあったのか、この時のマリカは単に面白そうと思ってしまっていた。
「面白いよ! レベルを上げていくと色んな魔物が狩れるし、美味い素材も手に入れられるんだ!マリカは度胸もあるから狩りにも向いてそうだよ!」
そうかなとマリカも思う。
きれいな洋服を着るのも好きだけど、アウトドアだって悪くない。
マリカは小さい頃は祖母のいる田舎に住んでいて周囲の親族に鹿や猪を貰っていたせいか、狩猟に関しての抵抗はあまりないし、体を動かすことだって嫌いではない。
洋服が似合う体型を維持するために、ここでも定期的な運動は欠かせないだろうから。
「それに、狩りに行く服を作るつもりなら、実際に自分が狩りに行くべきだよ」
「確かに、実際に経験してみないとわからないことってあるよね」
「よし、まずは私が手ほどきしてやろう」
メリルは嬉しそうに杯を空ける。
「メリルさん、酒はほどほどにしてくださいよ。お二人とも今すぐ狩りに行くかどうかを決めなくてもいいでしょう」
メリルをたしなめつつも、エリオットもぐいっとグラスを空ける。
この人もけっこう強いみたい。
「はいはい。それで、マリカの色はもう決めたのか?」
「私はこれがいい」
色見本帳の中からマリカが選んだのは、深みのある赤の革。
赤は躍動の色。
心が躍る靴を履いている限り、マリカは元気百倍でこの世界をどこまでも闊歩しながら生きていけそうな気がする。
「私の上着もメリルとデザインはほぼ同じにするつもり。中は黒のジレに同じデザインベルトを締めて、下は白のパンツ。でもメリルほど身長がないから、上着と同じ生地のミニスカートをかぶせてもいいなぁ」
「在庫の革は二人分ぐらい大丈夫だから、明日から作業に取りかかろう」
ジレの中に着る白シャツは替えも含めて3枚、他に着替えも何も持っていないマリカの部屋着や普段着もついでに縫ってしまおうということになった。
「片付けは明日にしようよ」
夜遅くメリルの家を離れて、次の目的地へと向かうエリオットを送り出し、メリルとマリカはよろよろと互いの寝室に戻った。
マリカは軽くシャワーをあびてからメリルの音のものだという丈の長い寝間着を着て、手持ちの荷物をデスクに並べてから、ベッドにもぐり込む。
「いろいろあった一日だったな」
長い一日だった。
違う世界に投げ出されて。
大蛇にいきなり襲われて、そしてメリルと知り合った。
7センチヒールで大学生していた生活とはほど遠い日常になってしまったけれど。
いまは不思議と前向きな気持ちになっている。
「くよくよ考えたってなるようにしかならないしね。明日はどんな一日になるだろう」
マリカは目を閉じ、瞬く間に眠りについた。