02
大満足の夕食後三人はソファに移動した。
「まずは支払いを済ませてしまいましょう」
エリオットからメリルとマリカにそれぞれ現金15万デューカの1/3、5万デューカの現金は金貨と大銀貨、銀貨と銅貨で支払われた。
1万デューカが金貨、1000デューカが大銀貨、100デューカが銀貨に1デューカが銅貨ね。
覚えておこう。
「取引初回サービスですので、マリカさんには財布も付けておきますよ」と言って赤の財布も一緒に渡された。
不思議なことに、すべての効果をもらった財布の中に入れてみると、重さが半分以下になってしまった。
日常生活で主に使うからと銅貨を大目に入れてもらっていたからかなりかさ張っていたはずなのに、財布に入ると同時に厚みもほばなくなっている!
「どうなっているの?」
財布の中を覗き込むと、硬貨は間違いなく全部入っている。
ただ財布の大きさが、見た目と一致していないのだ。
「これもマリカの世界にはなかったものなのか。この財布にはエリオットのカバンと同じ、軽量化と圧縮の加護が掛けられているんだよ、この模様がそうだよ」
メリルが財布の隅に入れられている刺繍のような模様を指差した。
「花と葉が連続しているこの模様、これが魔法なの?」
「正確には魔術具のための加護の一種に当たります。魔法の加護を物品に付与しているものなのです」
「こっちもそうだよ」
メリルがキッチンの棚から取り出してきたのは、ガラス製らしいグラスと蜂蜜色の瓶だった。
表面にエッチングのような模様が入れられていて、とてもきれいなグラスと瓶だ。
「グラスと蜂蜜酒の瓶には、それぞれ軽量化と破損防止の加護が彫り込まれているんだ」
この世界では物に加護を縫い込んだり彫り込んだりすることが一般的なことらしい。
「便利だね」
「まぁここの生活については徐々に学んでいけばいいよ。今日のところは難しい話は棚上げだ」
メリルが蜂蜜酒の封を切る。
「マリカは酒もいけるらしいし、ワインの後には私の自慢の蜂蜜酒もぜひ飲んでもらわなきゃね」
というわけで、ソファでメリル手作りの蜂蜜酒を味わいながら残りの商談をした。
ちなみにメリルは酒好きらしくて、料理は簡単なものばかりだけど酒に関しては数種類作っていて、酒造りはかなりの腕前だとエリオットさんも推奨の味らしい。
「ほとんどの果実は酒になるからさ。森の中を歩いては果実や蜂蜜を収穫し、酒にしているんだ」
3年寝かせたメリル自慢の蜂蜜酒は、確かに自慢するだけのことはある。
すこしトロっとした濃い酒は、ストレートで飲むと甘くてとても美味しい。
つまみにとエリオットが鞄から出してくれたスモークしたチーズと恐ろしいほど合うよ!
「これ、すごく美味しい!」
「そうだろう! マリカは味が分かる女だね。どんどん飲んでよね!」
自らもグラスをぐいぐい傾けながら、上機嫌のメリルはさらにマリカのグラスに蜂蜜酒を注ぎ足す。
メリルが狩りの合間に拾ってきた森の木の実も、食べだしたら止まらない!
何の種類かは分からないけど、美味しいからまあいいか!
どこかに引っ張られなきゃならなかったのなら、食べ物が美味しい世界で良かったかも。
美味しい食べ物と美味しい酒があれば、他のことはなんとかなるような気がする。
現実逃避かもしれないけれど。
人生には逃避したい時だってあるものだから。
今日ぐらいはいいよね。
酔いが回ってきたらしいマリカがそんなことを考えながらソファで蜂蜜酒を楽しんでいると、エリオットが身を乗り出してきた。
「ところでマリカは靴も変わったデザインのものを履いていますよね。素敵ですが、狩りには合いませんね」
「確かに野外活動には向いていないね」
「本格的に狩りをしなくても、ここで過ごすならマリカは安全のために防御の加護の付いた靴を履いた方がいいよ。服はワーフォックスの革があるから、それでマリカ用に何着か作るつもりなんだけど」
「作る? メリルは縫製師って言ってたけれど、服を作るのが仕事なの?」
そうだよ、ここが工房だよ、とメリルは部屋の道具類を指差す。
「正確にはここで縫製の仕事をしてエリオットの家と取引していたのは親父だったんだ。私の今の服も親父が作った」
ほらと見せられた整理棚の中には、様々な色の糸や布、革や小物などがびっしり詰められている。
「私は助手をしていたけれど、親父ほどの腕ではないんだ。それにこれから先の人生ずっと服作りって生活にはあんまり興味が持てなくてね。父亡き後は、もっぱらいろんなことをしている最中さ」
狩りは手馴れているし、父親が残してくれた家もある。手作りしている酒はエリオットにもいくつか卸しているほどの腕前だから、日々の生活には困ってはいないらしい。
ちなみにマリカが貰った財布も、メリルが作ってバーンズ商会に卸している物らしい。
「親父ほどではないとはいえ、私と同じデザインでよければマリカの服を作ることぐらいはできるよ」
メリルのお父さんはデザインから手がけるオーダーメードの服飾職人さんだったんだ。
「その服のことだけど。服のデザインは私がしてみていい?」
「マリカも縫製師なの?」
「元の世界では自分の服を作ったり、人形の服を作ったりしていたんだ」
いろんな服を着るのは好きだけど、一人暮らしの苦学生で自由になるお金が少なかったマリカは、リサイクルショップで服を買っては改造を繰り返していたから、スーツもコートも縫えるのだ。
メリルの服も仕立てがしっかりして動きやすそうで悪くはないけど、せっかく一から手作りするのなら自分の好みで作ってみたい、と思ってしまった。
メリルはいいねっと目を輝かせて「マリカが縫えるなら、私も手伝うからやってみたらいいよ」と賛成してくれた。
「いいの?」
「もちろんだ。マリカも縫製ができるならエリオットからの依頼品を今以上にこなせるから、私もありがたいよ」
仕事になれば、ここでの自活への第一歩になるかな。
「いい考えですね」とエリオットさんも賛成してくれた。
「マリカさんはこの世界の知識が不足していますし、今すぐ王都に移るよりもメリルの家に住みながら少しづつ学んでいった方がいいかもしれませんね」
この世界か………。
マリカにとっては今でも夢を見ているようだけど。
異世界に飛ばされてしまったということが本当の現実ならば、ここでの生活手段を早急に考えなきゃいけない。
けれど。
学生だったマリカには、ぴんとこない。
自分にできてお金になること、なにがあるだろうか。
少しぐらい裁縫が得意でも、お金になって生活できるかどうかはわからない。
ましてや、ここは異世界だ。
自分の知っている技術が異世界で通用するかどうかも分からない。
真剣に考えれば考えるほど、この先マリカの人生真っ暗な気がする。
だから現実から目をそらして逃避していたかったのになぁ。
考えこんでいたマリカの視界ににゅっと指が見えたと思った瞬間、むにっと両頬をつままれた。
「いぃっ!?」
いつの間にか、メリルがマリカの両頬をつまんでいた。
「メリル、痛いよ」
抗議の気持ちを込めてマリカは呪みつけるが、メリルは笑ってマリカの頬を両手で優しく包み込んだ。
「暗い顔はマリカには似合わないよ。それより楽しいことを考えようよ。生地を用意するから、まずは縫ってみようか、必要なことがあれば私が教えるよ」
まずは縫ってみようか……。
メリルの言葉は不思議とマリカの心に響いた。
「……そうだね、どんな素敵な洋服を頭に描いていたとしても、縫ってしまわないと形が分からないよね」
どんな洋服にするのか考えることはとても大事なことだけど、手を動かして縫わなきゃ洋服にはならない。
だから。
「服、作ってみる……」
素敵な服を作ろう。
メリルやエリオットが目を輝かせるくらいの素敵な服を作るんだ。
自分に出来る精一杯の努力をして、惜しみなく手を動かして。
最上の服を作り上げるのだ。
「よし!」とマリカは背筋を伸ばして、メリルに向き直った。
「メリル、私は服を作りたい。私に作り方を教えて下さい」
「あのさ、私はいいと思った人にしか声はかけないよ」
「メリル」
メリルは蜂蜜酒の瓶を掴むとマリカの前においていたグラスに酒をやや乱暴に注いで、はいとマリカに差し出した。
そして自分のグラスにも酒を注いで、ぐいっと飲み干した。
「マリカがシュランジに襲われそうになっていた時。一瞬だけ迷ったんだ。ここでマリカに声をかけたら、自分も死んでしまうかもしれないってわかっていたから」
「でもメリルは声をかけてくれた」
私を助けてくれた……。
「どうしてなのか自分でもわからないけど、逃げていた間も後悔はなかった。マリカを助けたいと思ったからさ。そしてあの森を抜けたとき、マリカに命を預けた」
マリカはメリルの目を見て、頷いた。
「難しいことはわからないけど、私とマリカはそれでいいと思うよ」
「メリル、ありがとう」
マリカは手の中のグラスをぎゅっと握り締めた。
やばい、感動して言葉が出ない。
どうしよう、泣きたくなってきた。
そんな時。
「感動の場面のところを邪魔してすいませんが、そろそろ決めなきゃいけない時間です」
「あんたって、つくづくずれている男よねえ、エリオット」
メリルはニヤッと笑って、杯を空ける。
そうだ、まだ涙を流す場面ではない。
「靴のことなんだけど、狩り用の靴はいつもエリオットの商会を通じて注文を出しているんだ。王都にある信頼できる靴工房だよ。だからマリカの靴もそこで用意してもらうつもりなんだけど、形は私のと同じでいいかな?」
マリカはメリルの靴をちらっと見る。
メリルが履いたらかっこよく見えているけれど、よく見ると形は無骨な長靴みたいだ。
どうせなら、こちらも少しだけデザインを変えてみたい。
「うーん、出来るならつま先をもう少し細くしてほしいけど」
「大文夫ですよ」とエリオットが紙とペンを出してくれたので、簡単にスケッチしてみる。
「つま先はこんな形で、かかとのヒールは太目なのをこれくらい付けて欲しい」
新しいものをデザインするのは、いつもワクワクする。
「ブーツの革は脚にそってこんな風に切れるならば、形はこれで。長さは腿上までで折り返してほしい」
メリルに貸してもらった巻尺を使って採寸し、足首から膝上までの寸法を細かく書き込んでいく。
「縫い目が残るように、切り込みに沿ってステッチを入れられるなら、こんな風にお願い」
マリカがサラサラと描いているデザイン画を覗き込みながら、エリオットは「ほう」と頷く。
簡単なスケッチと思っていたのに、終わってみるとびっしりっと注釈が入った本格的なデザイン画になっていた。
「斬新なデザインですね」
「そうかな」
イメージとしては脚にぴたりと沿った、よくあるニーハイブーツだ。
ブーツに使う予定のワーフォックスの革はスエードっぽい丈夫そうな外見だけど、さわってみると見た目以上に柔らかい素材だ。
今回の靴の場合は、軽量化と汚れ防止、防水機能の加護を裏側に縫いこむらしい。
足に合わせて伸び縮みする機能も付くらしいから、動きやすく機能的なブーツに仕上がるだろう。
「かっこいいね! 私のも同じデザインのを新調したくなってきた。いいかな?」
「もちろん」
マリカは165センチあるが、メリルはそれ以上、たぶん175センチくらいの長身だ。
長い脚にニーハイブーツだなんて、さぞかし良く映えるだろう。
考えるだけで楽しくなってきた!
メリルの脚のサイズも測って、デザイン画に書き加えてエリオットに渡した。
「マリカのデザインが素敵だから、いっそのこと靴に合わせた防御服を私も新調しようかな」
「メリルさん、革の在庫は大文夫ですか?」
「ああ、親父殿は冒険者から定期的に素材を買い込んでいたみたいで、まだうちにはかなりの在庫があるんだ」
「では靴の色から先に決めましょう。メリルさんの色を指定していただけますか?」
「マリカ、決めてくれる?」
「今の靴も悪くはないけれど、メリルにはもっと鮮やかな色が似合いそうかな」
「親父の見本帳を出してくるよ」