03
「一時は危ないと覚悟したけど、なんとか命がつながったね」
改めてメリルを見上げた。
かっこいい人だ。
端正な顔立ちをふちどっている金髪に赤毛混じりの髪は短くて柔らかそう。
165センチの茉莉花よりも高い、すらりとした長身に丈の長いダボッとしたベージュのチュニックにズボン姿、なんだかロシア風の民族衣装みたいだ。
今の服も悪くはないけれど、もう少し体のラインに沿った服装をすればメリルの長身が引き立つのになと残念に思ってしまった。
「メリル、助けてくれてありがとう」
さっきの蛇もどきというかシュランジ、茉莉花だけだったら知らないうちにパクっと一飲みされていただろう。
なのに見ず知らずのマリカを連れて逃げ、逃げ切ることができないと分かると立ち向かって戦おうとするなんて、なかなかできることじゃない。
「困ったときはお互い様だよ。私はメリル・ディータだ。この森の先にあるラトガー村に住んでいる」
メリルはハスキーな声だけど、たしかに女の子だ。
でも、きらきらしていて王子様みたい。
「私は、マリカ・シジョー。年は20」
「そっか、ではマリカは私と同じ年だな」
メリルはにこにこ邪気のない笑顔をマリカに向けてきた。
「それにしてもあの技には驚かされたよ。マリカは雷魔法の使い手なのか?」
「魔法って?」
「私の得意なのは風さ」
メリルが右手をさっと一振りすると。
メリルの手の先から小さな竜巻のようなものが現われて、マリカの全身を一瞬で駆け抜ける。
「っ!?」
シャワーを浴びたような爽快感と共に、全身の汚れが消えていた。
「ええっ!? すごいっ! 服の汚れも取れている!」
「洗浄魔法。といっても私の属性は風だから、応急処置みたいなものだけどね」
簡単な生活魔法だから、たいしたことじゃないよとメリルは謙遜するけれど。
「マリカ?」
「あ、びっくりした」
「驚いているのか?」
「……すごく驚いている。メリルには荒唐無稽な話に聞こえるかもしれないけれど、魔法なんてものに出会ったのは生まれて初めてだから」
「初めて? だって、さっきのマリカの雷魔法は?」
「あれほどすごい威力の雷魔法を見たのは生まれて初めてだったんだけどな」とメリルは呟いている。
今度はメリルが驚いているようだ。
「これは魔法じゃなくて、電気衝撃を人工的に作り出す道具なの」
スタンガンをちらっと見せる。
「魔法ではなくて、道具!? 道具であれほど強い力が作り出せるのか?」
メリルは心の底から驚いているみたいだ。
「大事な道具のようだが、私がさわってもいいのか?」
「さわってもいいけれど、たぶんメリルがさわっても動かない」
メリルはスタンガンの持ち手をぎゅっと握り締めたが、当然のことながら電源は入らない。
「驚いた。こんな魔動具があったのか」
「これは魔動具なんてものじゃないの。信じてもらえるか分からないけれど、私がいたところには魔法なんてなかったの。あんな化け物もいなかった」
「私がいた所って、そもそもマリカはどうしてここにいるんだ?」
「わからない。気がついたら、ここにいたんだ」
まったくの異世界に。
「そうか」
メリルはゆっくりと頷く。
「私にはよくわからないけれど、もしかしたらマリカは何らかの時空魔法に巻き込まれたのかもしれないな」
「時空魔法?」
「時と場所を越えて世界移動できる魔法のことだよ。私には使えない魔法だから詳しいことは分からないけど、マリカの周りには魔法の残響のようなものが感じられるんだ」
「メリルは私の言っていることを信じてくれるの?」
「マリカは嘘をついているように見えないし、服装もここらでは見たことがないものだ」
メリルがあっさりと言ってくれたことが、不思議と嬉しかった。
「ありがとう」
「それにモンスター避けもしていないで森に入って狩りをするなんて、あまりにも無茶だとは思ってた」
けど魔物の存在すら知らなかったんなら納得だよ、とメリルは苦笑する。
「モンスター避けって?」
「シュランジは通常地面の下で眠っていて、活性化するのは夜なんだ。ただし匂いに敏感な奴だから、餌の匂いを嗅ぐと昼間でも活性化して餌を捕食するため地面から這い出てくるんだ」
「そうだったんだ……」
「だからシュランジのいる森に狩りに行く時には、必ずモンスター避けを腰にぶら下げておくんだ。こんな風にね」
メリルはベルトにぶら下げてある小さな瓶のようなものを見せてくれた。
「くわしい話はあとでじっくりするとして、傷む前に早急にこいつを解体しなきゃならないけど、残念ながら私の持ってるバッグには入らないな」
メリルが肩からぶら下げているバッグは、40センチ四方の大きさだから、蛇の残骸なんて絶対に入らないだろう。
でも茉莉花の常識はここでは常識ではないかもしれない。
「どうするの?」
「幸運なことに、シュランジを買い取ってくれる奴が今、村に来ているんだ。ここに呼んでもいいかな?」
「ここに?」
「昔からの知り合いなんだけど、頭のいい奴だからマリカの状況についてもなにか教えてくれるかもしれない」
少し考えてから、頷いた。
メリルは信用できそうだし、どのみち誰かに頼らないと一人では生きていけない。
「心配しなくても大丈夫。エリオットは悪い奴じゃないよ」
でもここには携帯もスピーカーもなさそうだけど、深い森の中にいてどうやって人を呼ぶんだろう?
「これは呼び笛、魔道具の一種だな。魔術具職人によつて魔術文字が刻み込まれた道具なんだ」
メリルが笛のようなものに息を一吹きすると、音楽の調べのようのものが周囲に響いて広がってゆく。
しばらくして、別の調べが空から聞こえてきた。
「エリオットだ」
彼は昔なじみだからうかつな話を広めないけれどね、とメリルは言う。
「マリカ、エリオットはいいやつだけど、雷魔法の道具についてだけはしばらく内緒にしておいた方がいい」
「わかった」
メリルと二人、しばらく待っていると。
しばらくして馬車から降りてきたのは、年は茉莉花やメリルよりも上、20代後半ぐらいの男だった。
穏やかそうな茶色の日、顔立ちは整っているのだけど美形というよりは優しそうな雰囲気で人気を集めそうなタイプだ。
茶色の髪を皮ひものようなもので後ろで無造作にくくっていて、仕立ての良さそうな上着とズボン、つやつやした上質の靴、そして灰色のマントをはおっている。
育ちが良さそうなお坊ちゃんって感じだな。
エリオットさんは「まったく一」と苦笑いしながらメリルに話しかけてきた。
「メリルさん、いつも急に呼びつけないで下さいよ」
会ってそうそうに文句を言われても、メリルは気にもとめていない。
「久しぶり、エリオット。ほぼ損傷のないシュランジが手に入ったんだよ。他の商人呼んでもいいのかな?」
「いや、それは」と焦った顔のエリオット。
初対面なのに二人の力関係が見えてきた気がする。
「でもメリル、あなたは縫製職人だったはずですよねぇ」
「だった、じゃなくて現在進行形で縫製職人だよ。ただ王都の商人様と違って、うちの村は貧乏だからね。生きるために出来ることは狩りでも採取でも何でもしなきゃならないのさ」
「最近はずっとごぶさたですが、たまには縫製でも取引したいですねえ」
「それよりシュランジだよ! 凄いだろ。シュランジの半分はこちらのマリカに権利があるんだ」
メリルはマリカについてエリオットに説明してくれた。
「こいつはエリオット・バーンズ。王都にある有力な商会であるバーンズ商会の三男坊さ。バーンズ商会とはウチの父が縫製職人だったか頃からの知り合いだから、エリオットとも付き合いが長いんだ」
バーンズ商会とは、王都に店を構えているこの国有数の商会らしい。
大通りに石造りの本店を構えており、そこでは食料品から衣服にいたるまであらゆる品を取り扱っているという。
デパートみたいなものなのかな!
エリオット自身は仕入れ担当として各地に赴き、様々な品を買い入れているらしい。
一度行ってみたいかも。
「エリオット・バーンズと申します。メリルさんとは子供の頃から親しくさせていただいています」
「初めまして、マリカ・シジョーです」
「マリカさんですか、こちらでは見慣れない服装をされていますね」
エリオットはおだやかな茶色の目をじっとマリカに向けてきた。
鋭い眼差しに、あらっとマリカは内心思う。
この人、ただの優しいだけの人ではない。
失礼ではない程度にこちらを見極めている目だ。
「魔法の残響をまとっていらっしゃいますね」
「魔法の残響?」
戸惑うマリカに、傍らのメリルは「そうだよね」とうなずいている。
「やっぱりエリオットには見えるんだね。マリカはこことは違う国にいたらしいんだ、魔法も知らないって」
「私はニホンという国の出身です」
「ニホン、聞き覚えのない国ですが。状況から推察するに、マリカさんは誰かが発動した時空魔法に巻き込まれたようですね」
「時空魔法?」
「時間と空間に関する魔法ですよ」
それにしても、とエリオットは腕組みをして考え込んでいる。
「昔、祖父から聞いたことがあります。祖父が幼かった頃、異世界から時空魔法に巻き込まれて突然この世界にやってきた人が現れたと」
「その人は?」
「祖父の親しい友人だったようですが、残念ながら元の世界に戻ることもなく、私が生まれる前に亡くなったようです。祖父も三年前に……」
「そうですか」
元の世界に帰る手がかりはなにもなしか。
覚悟はしていたけれど、事実だとわかるとやはリショックは大きい。
「彼と同じ場所から転移して来たのであれば、マリカさんはもう元の世界には」
「帰ることもできないんですか……」
終わった……。