01
気がつけば。
四条茉莉花は見知らぬ森の中で倒れていた。
どうしてもワンピース合わせたかったピアスが見つからなくて、アクセサリーケースを引っ掻き回して探しているうちに、約束の時間に遅れそうになっていた。
7センチヒールのパンプスとミニのスカートだったけれど、時間通りに電車に乗らなきゃと地下鉄の階段を急スピードで必至駆け下りて、発車ベルが鳴り響くと同時に電車に乗り込んだはずだった。
茉莉花の記憶にあるのは、そこまで。
「……?」
茉莉花が起き上がって周囲を見回すと。
巨大な木々がいくつも生えている森の中にいた。
正確には、周囲を広大な森に囲まれたぱっかりと空いた広場に、たった一人きり。
「ここはどこ?」
森に囲まれた周囲十メートルくらいの丸い広場は、ふかふかした芝生で覆われている。
青空が広がっている上空は、太陽の光がさんさんと照っている。
緑豊かでのどかな場所だけど。
「見たことのない場所だわ」
映画にでも出てきそうな森の景色。
思い切り背伸びをしてから茉莉花が立ち上がってみると、自分が着ている服が目に付いた。
「ひどいっ、服がボロボロになってるっ!」
金曜日の夕方。
楽しみにしていた食事会に備えて作り上げたばかりのワンピースを着ていた。
星空のような深みのある素敵な生地の値段に慄きながらもえいやっと買い込んで、講義やバイトの空き時間にせっせと縫い上げた自信作だったのに。
いまはあちこち引っかき傷ができて、薄く繊細な生地はところどころ破れほつれて悲惨な状態になっている。
「なんでこんなことになってるの? 襟のスワロフスキーも取れている!しっかり縫い付けたはずなのになぁ。ああっ、靴のヒールにも傷がついてる!」
足元に目をやると。
地下鉄の階段を猛スピードで駆け下りても平気だった紫の7センチヒールバンプスは、革があちこちめくれていてヒール部分に深い疵が付いている。
「ここまで深く疵が入っていると、修理不可能かなぁ」
がっかりだ。
足のラインがきれいに見えるお気に入りのパンプスだったのに。
「地下鉄事故かなにかでどこかの線路脇に投げ出されたのかな? それにしては他の乗客はどこにもいないよね」
原っぱの周囲を見回しても、誰もいない。
ただノートパソコンの入っているバッグだけが、近くの草むらに投げ出されていた。
「よかった!」
大学の課題レポートが書きかけだから、パソコンを無くしてしまったら大変な目に合うところだった。
とりあえず無事だったカバンを拾い上げて、茉莉花は改めて周囲をじっくりと見回した。
けれど。
のどかそうな森の中には、やっぱり誰の気配も感じられない。
「どうなってるの?」
自分の声だけが木々に響いて消えていく。
なぜ自分がこんな場所にいるのか、さっぱり分からない。
周囲には木々以外には何もないし、誰もいない。
「もしかして、これは夢、かな?」
けれど。
足元の土の感触と周囲からの木々の匂い、太陽の光からの熱が感じられる。
ふと指先を見たら、二日前にきれいに整えたはずのジェルネイルがところどころ剥がれてしまっている。
おかしいなと首をかしげた途端、ギュルギュルギュルギュルッとお腹が鳴った。
「お腹すいた」
たぶん、夢ではない。
気がついた途端、猛烈な飢餓感に襲われている。
「夢じゃないだろうし、実際なんだかヘンだよね。夜の食事会に向けてお昼を少なめにしていたとはいえ、こんなにお腹がぺたんこになるほど飢えてなかったはずなのに」
でも実際、茉莉花はかつてないほどの飢えに苛まれている。
「ステーキ食べるはずだったもんねぇ」
家庭教師先の教え子の合格祝い食事会に呼ばれていた。
「先生が好きだからっ、ママにリクエストしておいたよ!」と可愛い教え子からの電話があった今晩の夕食で食べるはずだった分厚いステーキのことを考えると、ますますお腹がグルグル鳴る。
「おかしいな。すごくお腹が減っている」
一食だけ抜いているだけのはずなのに、二日間ぐらい絶食した時のような激しい飢餓感にさいなまれている。
どうしようもなく何か食べたくなってきた。
「お腹すいた。何か入ってなかったかな?」
カバンの中をごそごそかき回してみると。
「あった!」
カバンの底にはチョコレートバーが4本転がっている。
「非常食として入れておいて良かった!」
茉莉花がチョコレートバーの袋を破ろうとした瞬間。
「危ないっ!」
かん高い女の子の声が響いてきたと同時に、背中から激しく突き飛ばされて、茉莉花は地面に投げ出された。
「っと、なにするのよ!」
振り向いた瞬間、茉莉花は果然となる。
さっきまで茉莉花が座っていた平たい芝生にぽっかりと穴があいたと思った瞬間、いきなり巨大な蛇のようなものが現れたのだ。
「えっ、何?」
地面に座り込んだまま茉莉花が茫然としている間に、銀色に光る巨大な蛇はみるみるうちに地上へと姿を現してきた。
「いったいあれは何? ここで何が起こつているの? まさか映画か何かのロケなの?」
地上へと姿を現した巨大な蛇はそのまま上空へと伸びていき、10メートルほども高さから鋭い日で二人を明みつけながら、シューシューと威嚇している。
「あれは……」
「あいつはシュレンジ、獰猛で危険な魔物だよ」
「魔物?」
「そう」
茉莉花を地面へと突き飛ばした赤髪ショートカットの女の子は「急いで」と茉莉花に手を伸ばしてきた。
「私はメリル。あいつに食われる前に早く逃げよう」
「食われる?」
蛇といっても、茉莉花が手を広げても抱えることはできないぐらい胴体は太くて大きい。
胴体に沿って生えている鱗はギラギラ光っている。耳障りな威嚇の声、CGなんかではないリアルな蛇の目は、明らかに茉莉花とメリルを狙っている。
「走れる?」
「なんとかする」
考えている暇なんてない。
メリルと名乗った彼女に導かれるまま「茉莉花よ」と名を告げて、茉莉花はカバンを引っ掴んで走り出していた。