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ワールド・エンド・ガールフレンド  作者: 彩女好き
ストーリーズ 2ndライン
5/8

さよならのタイミング 中編



 石田達が乗る車は綺麗に整備された街道を走る。

 道の両脇には等間隔に植えられた立木が並び、サイド・ウィンドウ越しに眺めるそれは前から後ろに流れていった。


 振り子のように規則的な動き。

 残影となって浮かんでは消えて行くそれを、石田はなんとなく見つめていた。


「あとどのくらいだったかな」


 運転席に座る部下に尋ねる。

 どこまで、と言う必要は無かった。これから行くべき所は決まっている。

 ホログラム反応を検出したアパートだ。


「ここからそんなに遠く無いです。ここを抜けた所にある住宅地にアパートがあります。大学の近くの、いわゆる学生街ですね」


 石田は部下である男に横目を向ける。

 まだ若い男だ。学生街はきっと懐かしい物があるだろう。


 それだけに、危うい。若さは諸刃の剣だ。

 同年代に近いホログラムを前にして懐かしさを感じてしまうかもしれない。


 性質の悪い共感を覚えてしまうかもしれんな、と石田は危ぶんだ。

 いつからか、彼の部下はホログラム現象を何かと自分の身に置き換えて考えるようになってしまっていた。

 

「さっさと終わらせよう」


 妙な感傷を抱きかけているのは自分も同じかもしれんな、と自嘲しながら。

 石田は頭の中で手早く今後の段取りを描く。

 そして事務的に、感情を押し殺して、彼は年若い部下に向かって乾いた口調で呼びかけたのだった。




 閑散とした住宅街。その路肩に車を止めると、石田と岡村はそれぞれ車を降りた。

 目的の建物は目の前にある。石田は静かにそのアパートを見上げた。


 アパートは築二十年ほどの、少し時代を感じさせるものだった。

 クリーム色のコンクリートの建物は、壁面にいくつかひび割れを生じさせている。


 いくぶん時代遅れのデザインの物干し。

 干されている服は地味なものばかり。どうやらアパートの住人は質素な人間が多いようだ。


 大学生の二人暮らしと聞いてイメージしていた建物とは大分違う。

 石田は想像とのギャップを埋められずに、しばし呆然と寂れた建物を見つめた。


「どうかされましたか? 石田さん」


 隣に立つ部下から急に呼びかけられ、石田はハッとしながら口を開く。


「いやなに、イメージとのギャップにいささか驚いていたところだ」


 石田が想像していたのは、もう少し近代的な建物だった。

 大学生の男女ということで、それこそ年と同じく新築の若いアパートに住んでいると思っていたのだ。

 

 今の時代、古ぼけたアパートに暮らす学生などいないとも思っていた。

 例えるならそう、彼などには到底似合わないような、デザイナーズマンションに住んでいると想像していた。


 しかし現実の暮らしは、あまりに慎ましいものだった。

 意表を突かれた思いで、彼は部下に尋ねた。


「最近の若者は、こういう所に住むものなのかね?」


 部下である岡村は、ホログラムを探知する機械の調整を行いながら答える。


「確かに少し意外な所ではありますね」


 手早く探知機に所定の入力を済ませた後、岡村は石田に向かって顔を上げる。

 未だに幼さが抜けない顔。彼からすれば子供もいい所だ。

 ただの勘違いだろうが、石田は岡村の持つその幼さから、何かを糾弾されている気分になった。


「でもまあ、普通じゃないでしょうか。僕の学生時代もさほど良い所に住んでたわけじゃないですし」


 石田は老成しきった身で思う。

 今の若者は、我々が考えているよりもよほど慎ましい生活を送っていると。


 自身の青年時代と比べ、今の若者は苦労知らずだと心のどこかで考えていた。

 我ながら恥ずかしい思い違いだったと反省しながら、もう一度アパートを見上げる。


 住宅街には静かな風が流れていた。

 穏やかに心に沁みる空気を、恐らくはここに居た二人の大学生達も感じていたのだろう。


 寄り添いあいながら堅実に生きていた若者達。

 その幸せは唐突に失われてしまった。


 そこには何の理由も無い。ただ、運が悪かっただけだ。

 あまりにも不合理な悲劇に、石田は静かな痛みを感じた。


「石田さん、ホログラム反応確認出来ました。座標的に例の大学生の部屋ですね」


「そうか」


 小型端末化された機械がホログラムの位置を知らせる。

 反応を確認する岡村に対し、石田は世間話のように問いかけた。


「やはりホログラムはくだんの男だと思うかね?」


「目撃証言からいくとそうでしょう」


 ホログラムを探知する機械を操りながら、岡村は淡々と言った。

 無機質に聞こえるその返事に、石田の胸の中に音の無い痛みが広がる。

 

 ホログラムの男は相沢蛍介だろう。

 死んだ男の幻影と暮らす女は、一体何を思っているのか。


「部屋の中に居るんだ。気付かんはずが無いな。となると、やはりホログラムはかくまわれているのだろうか」


「それは……」


 岡村は少し言葉を濁してから続けた。


「これから分かることでしょう。立山由依たちやまゆい直接訊けば」

 

 ホログラム現象により、空間に再現された人格映像にとらわれる人は多い。

 そんな人々を前にした時、彼らの仕事はカウンセラーに変わる。


「行くか」


「はい」


 即座に頷く部下の姿を見ながら、彼はこれからの事を思った。

 不合理な事故によって失われた幸せは、さらに不条理な現象で失われ続けている。


 ホログラムに――幸せの面影に囚われているだろう女を思った。

 過去の輪郭が強すぎて、前に進むタイミングを見失う切なさ。


 停めていた車へと足早に近付いて行く。

 ふと見上げる秋の空は、青く高く、そして寂しく広がっていた。




 ホログラム現象が検出されたからと言って、石田達に特段の権利は生じない。

 彼らに捜査権などと言う物は生まれ無かった。

 何故ならホログラム現象は、一種の自然現象に近いものだったからだ。


 言うなれば蜃気楼みたいなものだ。揺らめく幻影に罪など無い。

 違いと言えば、ホログラム現象は蜃気楼よりは性質が悪いことだろう。


 生者のホログラム。死者のホログラム。

 人のように振舞うそれは、性質の悪い夢のようだった。


 さらに悪いことに、ホログラム現象には幾つかの権益が絡んでいる。

 馬鹿馬鹿しいほどに、その現象に関する情報は伏せられていた。


 光を閉じ込める素子。それは次代のコンピュータに不可欠らしい。

 最先端のテクノロジーが関係するこの現象は、つまり最先端の利益に直結する。

 だらから何もかもが伏せられたまま、ただ対症療法のようにホログラムを消してまわるしか無かった。


 石田達は、ホログラム現象を探知する機械と消去するための機械を渡されていた。

 後は特に説明らしい説明は無い。そしてまるで働き蜂のように各地を転々とするのだ。


 持たされた機械の仕組みも説明されないまま、ただ使い道だけを覚えた。

 ホログラムがどんな存在かも知らされず、ただ消して回った。


 石田は暗く笑った。そもそも、どんな現象なのか誰も分かっていないのだ。

 だからこそ自分たちは、ホログラムの反応を観察するように命令されている。


 ホログラム現象は今や日本中に知れ渡っていた。

 死者が甦るのだ。騒ぎにならない方がどうかしている。


 それなりに法も整備された。通報義務も存在する。

 しかし、それも微々たるものだ。

 もしも屋内でホログラム現象が起きている場合、持ち主の同意無しには上がれない。


 死者が甦えるという世紀の椿事ちんじを前にして、法は個人の権利を優先していた。

 法律家は狂っているのだろうか?

 いや、と石田は己の考えを訂正した。狂っているのは法律家では無い。世界の方だ。


 これから石田達は、例のアパートに住む女に会いに行く。

 ホログラム現象の危険性を説き、その消去を申し出るのだ。


 死者の幻影をかくまう女は、狂っているのだろうか?

 それとも、わざわざ消しに行く自分達が狂っているのだろうか?

 暗い笑みを浮かべたまま、石田は車の外を流れる景色を眺め続けた。




 大学にほど近い場所にある喫茶店。そこに石田達の姿はあった。

 四人掛けのテーブルに、石田と岡村は並んで座っている。


 彼らの向かいの席には、一人の若い女の姿があった。

 どこか斜に構えたような瞳と、長い黒髪が特徴的な女だ。


 白のブラウスジャケットに暗灰色のチュニックワンピースを合わせている。

 その姿に石田は思わず感嘆をついた。美しい女だった。


 大学生と言えば二十歳くらいか。

 さすがに自分がどうこうという気持ちは無かったが、それでも何かしら思う所はある。


 老いて枯れた身とはいえ、男としてのごうはあるものらしい。

 彼女と年の近い岡村はもっと複雑だろうな、と石田は老婆心ながらに思った。


「刑事さんが何の用です?」


 女はニコリともせずに言った。

 立山由依たちやまゆい、大学二年生だ。

 ホログラムを匿っているだろう女を前にして、まずは岡村が口を開く。


「要件は分かっているはずですよ」


 無造作に言う。無機質なトーンの声が店内に響いた。


「あなたの家からホログラム反応が検出されました。幾つかの証言も得ています」


 その証言というのは石田達が直接調べたものでは無い。

 地元の県警に寄せられた情報だった。


 しかし岡村はそのことを微塵も告げなかった。

 淡々と言葉を並び立てている。


 こういうのはハッタリも大事だ。

 又聞きであるなどと、わざわざ曖昧な表現にする必要も無い。


「ホログラムって、今話題になっているアレですか?」


「そうです。通報義務があるのはご存知でしょう?」


 突きつけるようにして言う岡村に、女は表情を強張らせた。

 空気が張り詰める。立山由依たちやまゆいは声を硬くして言った。


「わたし、知りません。何かの間違いじゃないでしょうか?」


 きっぱりと言われ、岡村は押し黙ってしまう。

 言葉を失う部下を隣に見ながら、石田は密かに溜息を吐いた。


 こういう事はままある事だった。

 死者のホログラムが現れた場合、人はそれに縋ってしまうものらしい。


 特にそれが愛する人物だった場合。

 手元でかくまい、人目につかぬようにひっそりと一緒に暮らす。そんな傾向があった。


「一つだけいいですかな」


「……なんでしょう?」


 冷たく凍りついたような声を受けながら、石田は言った。


「ホログラムは確かに人間によく似た振る舞いをしますが……あれは一定のデータを再現している映像に過ぎません。命は尊いものです。一度死んだ人間は決して生き返らんでしょう。だからこそ――」


 石田は一端言葉を切ると、鋭く切り込むようにして言った。


「偽者を代用に使うことは、亡くなった人の尊厳を侵すことだと思いませんかな?」


 言葉に気圧されるようにして、立山由依たちやまゆいは押し黙った。

 沈黙の時が流れる。グラスの中で氷が揺れ、鈴の音のような透き通った音が静かに響いた。


「わたし、もう帰っていいでしょうか?」


 石田達の返事を待たずして、女は立ち上がる。

 そのまま去っていく由依に対し、市民の義務をお忘れなく、とだけ石田は伝えた。


「ホログラムって本当に偽者なんでしょうかね?」


 立山由依たちやまゆいが立ち去った後、岡村は何気なく呟いた。

 そんな部下の言葉に対し、石田は低い声で応える。


「さあな。だが偽者で無いならなんだと言うんだ?」


 少し不機嫌になる石田。

 その機敏を敏感に感じ取ったのか、岡村は声のトーンを若干落とした。


「この前の高校生のホログラム、とてもただの偽者に思えなくて……」


「ドッペルゲンガーとか言ってた少年か」


 少年のホログラムの寂しげな顔が脳裏に甦る。

 苦い物が込み上げそうになるのを否定しながら、石田は淡々と言葉を並べた。


「しょせんは人格の粗悪な再現に過ぎんよ。あれは、言うなれば合成写真のようなものだ。一見して本物らしく見えるが、切り貼りされただけのデータの集合体に過ぎない。私はそう思っているがな」


 魂などでは無い。

 あれは少年の人格というデータが、何らかのはずみで空間にコピーされた物に過ぎない。

 そう強く確信する一方、少年のホログラムの残した面影は、いつまで経っても心の中から消えなかった。





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