リトル・グッバイ 前編
薄く黄色く広がる空の下、ぼんやりと辺りを眺めていた。
公園のブランコに座りながら見る景色は、好意的に言ってもありきたりだった。
ゾウの遊具。波打つ砂場。
季節がらだろう、ヒマワリの巨大な花弁が見える。
ジャングルの潅木のように見えるツツジの植え込み。
それと対比するように植えられた背高い木々。
それらは観賞用というよりは、周りからの視線を遮る意味があるのだろうか。
もっとも、植えられたばかりのそれは目隠しの役割を十分に果たせていない。
俺のいる所からは、公園の周りに広がる住宅街の姿が一望出来ていた。
新興住宅地だけあってどの建物も画一的に並んでいる。
まるでコピーと貼り付けを繰り返されたかのような家の群れ。
家だけで無く、その配置すら似たり寄ったりの見た目だった。
小さい頃は自分の家の場所を覚えるのが一苦労だったな。
一人ブランコを揺らしながら、俺はそんな事を思った。
幼い頃はよく迷子になったものだ。
成長する中で失われてしまった幼い日の感情。
慣れと共に風化していくそれを、なんと無く惜しんだ。
かつては異次元に繋がっていると思っていた通り道は、ただの道路に変わった。
迷宮を作っていると信じていた壁は、なんでも無いありふれた物だった。
今では見慣れてしまった風景。
あの頃感じていた恐怖も、興奮も、もうどこにも無い。
「なんつーかさぁ、感動って失われていくもんだねー……」
誰にとも無く呟きながら空を見上げた。
呟いた声は、吸い込まれるようにして巨大な大気の中に消えていく。
頭上に広がる空もまた感動とはほど遠かった。
暮れかけの空は透き通った黄土色に輝いている。見慣れてしまった風景だ。
「あ~……やべえ。こうやって俺は無感動人間になっていくのかねー……?」
終わりかけの空から風が吹く。
吹きよせる風は、どことなくしんみりした風情があった。
「しかしさっきから何やってんだろうね、俺は?」
なんで公園になんて居るんだっけ?
考えながら条件反射でブランコを揺すると、キィコ、キィコと擦れる音がした。
ブランコの座席と支柱とを結ぶ鉄鎖が、か細い悲鳴を上げているのだ。
俺以外に誰も居ない公園の中、小さな音が鳴り響いている。
あまりにも小さすぎるその音は、遥かに聳えるレモン・イエローの空に飲み込まれて消えた。
「ああ無情ってか……やはり俺には詩人の才能があるな」
いやいや、詩人とか言ってる場合じゃねえよ。
詩人と言えば……はくしゅん? いや白秋だったか。
「違う! そうじゃねえって!」
セルフ突っ込みの悲しさを感じつつ、俺は考える。
どうして俺はブランコに座っているんだ? 公園に居るべき理由が分からない。
ええっと、さっきまで何をやっていたっけ? 俺は論理的に思考する。
……考えるまでも無い。学校に行っていたんだ。だって俺、制服着てるし。
思い出してみれば、今日は確か平日だった。
休みでも無いのに学校に行かず、どこに行くっていうんだ。
授業をサボるほどの理由も反抗心も無い。
だからきっと、今日も普通に学校には行ったんだろう、うん。
それからどうやってここまで来たんだっけ? あれー……?
再び、ぼんやりとした気持ちで再び空を見上げる。
空には影があった。それは巨大な雲から流れる尾のようだった。
太陽の残光は強烈な西日となり、拡散したレーザーみたいに雲にぶち当たっている。
雲はその無差別攻撃を受け、長い長い影が後方に向かって伸びていた。
太陽からの最後の砲撃。そして撃ち抜かれる巨大な雲の群れ。
なんというか、さながら空中大決戦のような景色だった。
その決戦の終結を示すかのように、あるいは一日の終りを示すように、イエローな空には端々から暗い青が迫っている。
世界は夜に沈み込もうとしていた。
そんな空を、俺はぽけーっとしながら眺めていた。
「帰るか」
別にやること無いし。
さばさばとした気持ちが心に流れていた。
俺は詩人じゃないし、白秋の詩も読んだことが無い。
こんな所で夕日を眺めているのはただの時間の無駄だ。
時間の無駄と言いつつ、別に急いでやるようなことも無かった。
世界の運命をかけたバトルも、切ないラブコメも、反抗すべき理不尽な敵も居ない。
気にかけるべきなのは、家族からの俺に対する心配くらいだろう。
なにかにつけて俺をガキ扱いする母さんは、帰るのが少し遅れたくらいで変に心配するのだ。
「小言をもらうのは面倒だしな」
世界の運命でも無く、切ないラブコメでも無く、最強の敵でも無く。
そんな理由で俺の日常は動いているのだった。
自宅は公園から程近い所にあった。曲がりなりにも一軒屋だ。
親父が苦心の末に買ったそれは、もしかすると俺の代にまでローンのお鉢が回って来るかもしれない。
悲しい現実に思いを馳せながら自宅の玄関を見つめる。
悩んだってローンの残金は変わらないさ、と自分を慰めつつ、俺はそのまま扉を開けた。
玄関のドアは内開きになっていた。
どうして外開きにしなかったのか、と親父と母さんがことあるごとに口論するけど、慣れてしまえば今さらだ。
内開きだと靴の置ける範囲が狭い。ただそれだけだ。
靴を置く場所にさえ気をつければいいんだから、いちいち争い合うような問題でも無いだろうといつも思う。
慣れ親しんだ日常を噛み締めつつ、俺はそのまま廊下に上がった。
「あら、ケンジ? どこ行ってたのよ」
足音でこちらに気付いたのだろうか?
階段を上る寸前で、台所に居るだろう母さんから話しかけられる。
俺の部屋は二階にあるのだ。仕方なく足を止め、言った。
「公園。そこの公園だよ」
「あんまり遅くなってから出るんじゃないわよ? 最近は危ないんだから」
ここからは台所は死角になっている。母さんの姿は見えない。
顔の見えない相手。しかし聞き慣れた声に対して、俺は返事をした。
「なにが危ないんだよ? 俺は男だっつーの」
「男だって危ないわよ~。今の時代、何があるか分からないのよ」
はいはいどんな危険だよ、と生返事を返しながら再び足を動かす。
なおも小言を続けようとする母さんを振り切り、自分の部屋を目指した。
トントントン、と足元でリズミカルな音を響かせて階段を上りきる。
廊下には読み終わった週刊少年誌の山があった。
いつかまとめて出すために溜めておいているのだ。
しかし、出すのが億劫で山は高くなるばかりでもあった。
そろそろ本格的に親父が怒り出しそうだ。後で縛っておこう。
不良債権と化した雑誌から目を背けると、だらしなく半開きになった扉が見えた。
俺の部屋の扉だ。内開きのそれは、俺の性格を表すようにしまりがない。
部屋は性格を表すとか、そんな言葉があった気がするな……。
なんてことを考えながら廊下に立っていると、妙なメロディーが聞こえた。
どうも部屋の中からテレビの音が漏れているらしい。
あれ、朝消し忘れたっけ?
まあいいか、と思いつつ、俺は特に気にしないまま部屋に入ろうとした。
そっと扉に近付く。そんな時だった。
「あひゃひゃ!!」
「!?」
無人のはずの俺の部屋から男の笑い声が響いた。
明らかにテレビの音とは違う。声の調子からすると、俺と同年齢くらいだろう。
(誰だ? 勝手に人の部屋に入りやがって。リュウジの奴か?)
幼馴染の親友の顔を思い浮かべる。
しかしリュウジは割合と礼儀正しい奴だしな。それに笑い方も少し違う気がする。
それじゃあ中に居るのは誰だ?
従兄弟のマサミチでも来ているんだろうか?
普段めったに会わない親戚の名前を思い出す。
正月と盆くらいにしか会わないから、正直に言えば声もよく覚えていない。
親戚といえど、その実体は雲を掴むようなものだ。
得体の知れない物を盗み見るようにして、俺はそっと自分の部屋を覗いた。
(うげっ!? ベッドに寝転がってるし!?)
扉の隙間から見つめると、ベッドに寝そべる誰かの足が見える。
これが可愛い女の子の足だったらむしろ嬉しいが、どう見てもむさい男の足だ。
笑い声といい、女の子である可能性はゼロだろう。テンションが一気に下がった。
(マジでシャレになってねー。勝手にベッドを使うとか、礼儀を知らな過ぎるだろ!)
俺は怒りと共に視線の角度を変えていく。
それにつれて、見える範囲は少しずつ変わっていった。
ベッドの上に寝転がる誰かの足から胴体へ、胴体の次は首元へ。
ジリジリとした速度で視線は目的の場所に近付いていく。
見たいのはもちろん顔だった。一体誰がベッドを勝手に使っているんだ?
従兄弟のマサミチか? それともやっぱり、リュウジの奴だろうか……。
ゲラゲラと笑い声を上げるしまりの無い口元が見えた。下品なやつだ。
テレビを見ながら爆笑しているんだろう。そこからさらに視線を横にずらしていく。
鼻、頬、そして目元まできた時、俺は思わず目を疑った。
「へっ……?」
部屋の中に居たのは親戚では無かった。そして親友のリュウジでも無い。
そこに居たのは、俺だった。
まるっきりどう見ても俺にしか見えない。そんな顔をした人物が、俺の部屋に居る。
そして俺のベッドに寝そべり、テレビを見て、ゲラゲラと笑いながら寛いでいた。




