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夜明けごとにひとり消えるシェルターで―避難壕のリーダーが突然死ぬ。システムが作動し、「次のリーダーを選べ」と表示される。  作者: 妙原奇天


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第6話「崩れる民主主義と小さな独裁」

 第六の点呼は、もう誰も数えようとしなかった。


 シェルター07の人口は、とうとう一桁になった。九人。

 天井から降る人工太陽灯の光は以前と同じ強さのはずなのに、晴人には少しだけ弱くなったように感じられた。


 黒田誠二が、誰かを「候補」に指名しようとして、逆にシステムにリーダーとして選ばれ、光に飲み込まれて消えたあの日から——空気は変わった。


 誰も、もう「多数決」や「候補リスト」といった言葉を口にしなくなった。


 話し合えば話し合うほど、誰かの中の「人を選ぶ目」が露わになり、それをシステムに覗かれている。

 そんな気持ち悪さが、みんなの舌を重くしていた。


 食堂のテーブルに並んだ朝食は、いつもの通りだ。

 真空パックのパン、缶詰のスープ、粉末ジュース。


 だが、配膳されるまでの段取りが、明らかに乱れていた。


「スープ、もう少し均等に分けられないの?」


「それなら自分でやってくださいよ。俺、今日は清掃当番なんで」


「いいから、誰か一人、配膳を一括で管理する係を……」


 小さな衝突が、あちこちで起きる。

 佐久間がいた頃なら、「まあまあ」と間に入り、軽い冗談で空気をやわらげてくれていた場面だ。


 それが今は、そのまま険悪さとして残り、食堂の隅に溜まっていく。


 晴人はスープのカップを両手で包みながら、そのやりとりを見ていた。


(ここ数日、会話の半分くらいが「責任」と「押し付け」と「公平」の話題だ)


 誰がどれだけ食べたか。

 誰がどれだけ寝ているか。

 誰がどれだけ働いているか。


 目に見えない帳簿が、それぞれの胸の中で勝手につけられている。


 そんな中で、食堂の中央に立ち上がったのは、大河内だった。


「……もう、見てられない」


 彼はスプーンをテーブルに置くと、全員を見渡した。


「今までみたいな“話し合い”は、ここで終わりにする。今日からは、俺が指揮をとる」


 その宣言に、食堂のざわめきが止まる。


 誰もが予感していた「一言」だった。



 会議室に場所を移すと、大河内はホワイトボードの前に立った。


 迷彩柄のズボンに、擦り切れたジャケット。

 元自衛官という肩書きは、これまで「頼りになりそうだ」という程度の印象にしかなっていなかった。


 だが今、この場では——その経歴が、重みを持ち始めていた。


「いいか。民主主義だの話し合いだの、多数決だの。ここ数日、散々やった。それで何が残った」


 大河内は、マーカーのキャップを乱暴に抜いた。


「死体が五つと、“誰なら死んでいいか”を探る視線だけだ」


 ホワイトボードに、大きく数字を書き込む。


「九人」


 乾いた音が、静かな会議室に響く。


「俺たちは今、九人だ。このまま“みんなで話し合って決めよう”なんてことを続けていたら、その九人もすぐにゼロになる。——だから、やり方を変える」


 彼は、ホワイトボードに新たな表を描き始めた。


「当番制だ。食事の準備、清掃、設備点検、監視。各タスクごとに責任者を一人決める。他のメンバーは手伝いだが、最終判断は責任者が下す」


 天童が眉をひそめる。


「軍隊式ってこと?」


「そうだ」


 大河内はあっさり認めた。


「命令系統を一本化する。上から順に命令が降りてきて、それに従う形にする。誰がどの仕事を担当するかは、俺が割り振る」


「ちょっと待ってください」


 南條カナが手を挙げた。


「“誰が何をやるか”まで全部、大河内さんが決めるんですか?」


「そうだ」


「それって……」


 カナは言葉を探すように口ごもる。


「それって、もう民主主義でも何でもないじゃん。独裁じゃん」


「悪いか」


 大河内は一歩、前に出た。


「今必要なのは、“みんなで平等に意見を出し合うこと”じゃない。生き残るために必要な命令に、誰が責任を持つかをはっきりさせることだ」


「でも——」


「お前がリーダーになるか?」


 その一言が、南條の口をぴたりと閉ざした。


 空気がぴんと張り詰める。


 「リーダー」という単語は、今や「外に転送される可能性の高い人」という意味を持つ。

 自ら名乗り出るにはあまりにも重く、他人に押し付けるにはあまりにも血の匂いがする単語。


 それを、大河内はあえて口にしたのだ。


「嫌なら、従え」


 その言い方は、乱暴で、まっすぐで、逃げ場がなかった。


 叶空がたまらず口を挟む。


「でも、リーダーじゃない人が“指揮を取る”のもおかしくないですか? システム的に言うと、今ここで“大河内さんがリーダーだ”って認めたら、その瞬間——」


「大丈夫だ」


 大河内は遮った。


「システムの“リーダー”と、俺の言う“指揮官”は別だ。……少なくとも、今のところはな」


 「今のところは」という曖昧な保険がつく。


 それでも、誰も突っ込めなかった。


 晴人は、机の端を指でなぞりながら、昔読んだ論文の一節を思い出していた。


(強権的なリーダーは、短期的には集団の生産性と秩序を高めるが、長期的には不満と反発を蓄積させ、崩壊を早める——)


 心理学の授業で聞いたそのフレーズは、今この場に妙にしっくりきた。


 だが同時に——


(“長期的には”って、何ヶ月、何年の話だよ)


 このシェルターでの「長期」は、一体どれくらいを指すのか。


 一週間?

 一ヶ月?

 それとも、明日の朝まで?


 時間のスケールが狂っている今、その研究結果をただの理屈として切り捨てることもできなかった。


 天童が、慎重に言葉を選びながら尋ねる。


「物資管理は、どうするんだ?」


「俺が一括で管理する」


 大河内は迷いなく答えた。


「水と食料の鍵は、俺が持つ。配分は俺が決める。もちろん、極端な偏りは作らない。だが、“文句だけ言って働かないやつ”に、他と同じように配ることはしない」


 一瞬、黒田の顔が全員の脳裏に浮かんだ。


 彼はもう、ここにはいない。

 だが、「働かない者」の象徴として、その存在感だけは濃く残っている。


「見回りと監視も強化する。夜間、廊下や設備に異常がないか、二時間おきに巡回する。班は二人一組。組み合わせは俺が決める」


 真壁が口を開く。


「それって……つまり、“命令に従わない人間”を監視するってことでもあるのよね?」


「そうだな」


 大河内は否定しなかった。


「命令系統を乱すやつは、集団を危険に晒す。そういうやつは、俺が直接話をつける」


「直接って」


「言葉でわからなければ、他の方法も考える」


 その言い方に、南條が露骨に顔をしかめた。


「脅しじゃん、それ」


「脅しではない。警告だ」


「同じだよ!」


「同じじゃない」


 大河内は、初めて声を荒げた。


「脅しは、“相手を服従させるために使う暴力”だ。警告は、“この先どうなるかを事前に伝えるための情報”だ。俺は今、“集団がどういう危機に向かっているか”を言っている」


 彼の中では、筋が通っているのだろう。

 だが、その言葉がどこまで他人に届いているかは別問題だった。


「……まあいいや」


 叶空が、椅子に背を預けて天井を見上げた。


「どうせ、“じゃあお前がリーダーになるか”って言われたら、反発しようがないんだし」


 その自嘲混じりの一言に、南條も真壁も何も言えなくなる。


 強権的なリーダーが生まれるとき、集団は往々にして「疲れ切っている」。

 考えることに疲れ、責任を負うことに疲れ、「誰かに決めてほしい」という欲求が勝つ。


 今の彼らは、まさにその状態だった。



 新しいルールは、その日から即座に適用された。


 食堂の配膳台の隣には、「今日の当番表」が張り出される。


 清掃担当、設備点検担当、食事準備担当、監視担当。

 名前の横には、担当時間と持ち場が細かく書かれている。


 天童は設備担当に固定され、藤井は医療・衛生担当として、簡易医務室と水回りの管理を任されることになった。

 晴人は記録係とサポートとして、各担当からの報告をまとめる役。


 南條と叶空は、交代で清掃と配膳を担当することになった。


「……なんか、学校の当番表みたいですね」


 叶空が苦笑する。


「全然笑えないけど」


「うん、俺も言ってて全然おもしろくなかった」


 二人のそんな会話を、大河内は一応聞かなかったふりをしていた。


 軍隊式のルール導入から数時間。

 一見すると、シェルター内にはわずかながら秩序が戻ったように見えた。


 誰がどこにいるべきか。

 誰が何をしているべきか。


 それが明確になったことで、「誰も動かずに互いを睨み合う」時間が減った。


 だがその裏で、新たな軋轢も生まれていた。


「南條、廊下のここ、まだ拭き残しあるぞ」


 監視と巡回を兼ねて廊下を回っていた大河内が、モップを持つ南條を指摘する。


「今やろうとしてたところです」


「“やろうとしてた”じゃない。“やれ”。そういう言い方は現場では通用しない」


「細かいなあ……」


「不満があるのか」


「……ないです」


「あるなら言え。聞くだけは聞いてやる」


「聞いた後、“じゃあお前がリーダーになるか”って言うんでしょ」


 南條の皮肉に、大河内の目が細くなる。


「そうやってすぐ拗ねる癖、直した方がいいぞ」


「拗ねてません」


 口ではそう言いながら、モップを握る手に力がこもる。


 叶空もまた、別の場面で不満を抱えていた。


 配膳中、彼が少しスープの量をミスって余らせたとき——


「その分は自分で飲め」


 と大河内に言われた。

 「ロスを出した分は自分で責任を取れ」という理屈だった。


 言っていることは間違いではない。

 だが、監視されているような感覚だけがじわじわと増していく。



 晴人は、記録係として、ホワイトボードとは別にノートをつけていた。


 誰がどの当番だったか。

 何時に何をしたか。

 どのタイミングでトラブルが起きたか。


 その中で、ひとつだけ気づいたことがある。


(大河内さん、意外と“理不尽な命令”は出してない)


 口調は荒っぽく、態度も強圧的だ。

 だが、出している指示自体は、それほどおかしくない。

 当番の偏りも、今のところは少ない。


 南條や叶空が反発するのは、大河内の「言い方」と「立ち方」が気に入らないからだ。

 そこに、「リーダー」という言葉への恐怖が混ざっている。


(短期的には、安定してるんだよな……)


 論文にあった通りだった。


 誰か一人が強い声で方向を示せば、とりあえず集団は同じ方向を向く。

 細かいノイズはあっても、大きな迷走は防げる。


 長期的に何が起こるかは、まだわからない。

 でも、長期を待たずに全員がいなくなる可能性もある。


(正解なんて、どこにも書いてない)


 晴人は、ノートの余白に小さくそう書いた。



 その日の夜。

 当番表に従って最後の見回りを終えたあと、大河内は会議室に残っていた。


 ホワイトボードの前で腕を組み、その前に立つ。


 晴人と天童、藤井、南條、叶空、真壁、老婦人。

 残された全員がそこにいた。


「明日の朝までに、リーダーを決める」


 大河内ははっきりと言った。


「システム上の“リーダー”の話だ。今までみたいに、誰も名乗り出ず、誰も名指しせず、ランダムなペナルティを受け続けるわけにはいかない」


 南條が眉をひそめる。


「でも、候補リストはもう使えないでしょ。“誰かの名前を書いた人が罰される”ルールなんて、誰が受け入れるの」


「だからと言って、何もしないわけにもいかない」


 大河内は全員を見渡した。


「明日の朝までに、俺を押し出せるだけの“別案”を出してこい。誰か、俺以外の人間を“リーダーとして推す理由”を言え。合理的な理由があるなら、俺はそれを受け入れる」


「もし——」


 真壁が、おそるおそる口を開く。


「もし、誰も何も言えなかったら?」


「そのときは、俺が“リーダー候補”になる」


 その宣言は、重かった。


 自分から外のモルモットになる、と宣言しているようなものだ。


「さっき、お前らが言ったように、俺のやり方には問題があるだろう。短期的に安定をもたらす代わりに、長期的には集団を壊すかもしれない。……なら、壊れる前に外に出るのも、一つのやり方だ」


 南條が、思わず叫ぶ。


「格好つけないでよ!」


 大河内は苦笑した。


「格好なんてつけてない。ただ、“お前がリーダーになるか?”って言い続けるのも、そろそろ限界だってことだ」


 そう言い残して、彼は会議室を出ていった。


 残された七人は、それぞれ重たい表情で散っていく。


 晴人は、自室のベッドに腰を下ろしながら考えていた。


(明日の朝までに、“別案”を出す……)


 誰か他の人をリーダーに推す理由。

 それを考えろと言われている。


(それって結局、“誰を外に送り出すか、合理的に説明しろ”って話だ)


 言葉を変えても、本質は同じだ。


 いつの間にか、思考のスタート地点が「誰を守るか」ではなく、「誰を差し出すか」になっていることに、気づいてしまう。


(こんな状態で選ばれた“リーダー”に、どんな意味があるんだろう)


 思考はそこまで進んだところで、疲労とともに途切れた。



 夜明け前。

 かすかな振動が床を伝い、天井灯の裏で何かが動く音がした。


 まだ人工太陽灯は点灯していない。

 薄暗い非常灯だけが、廊下をぼんやり照らしている。


 晴人が目を覚ましたのは、電子音ではなかった。

 廊下から聞こえる、誰かの怒鳴り声だった。


「やめろ! ふざけるな、俺はまだ——!」


 耳慣れた声。

 大河内だ。


 晴人は跳ね起き、扉を開けて廊下に飛び出した。


 他の部屋の扉も次々と開き、南條や叶空、真壁たちが顔を出す。


 声の聞こえる方向へ走っていくと、会議室前の廊下で、大河内が床を殴りつけている姿が見えた。


 彼の足元の床には、淡い光の網目が浮かび上がっている。


「やめろって言ってるだろ! 俺はまだ——!」


 拳で床を殴るたび、光が波紋のように揺れる。

 だが、その輪は消えず、むしろ濃くなっていく。


 壁のパネルが、突然点灯した。


「内部異常検知:大河内誠。

 過去ログおよび行動パターンから、リーダー適性高と判定。

 自動選出を開始します」


 冷たい文字が、白い画面に次々と流れる。


「自動……選出?」


 天童が、息を飲んだ。


「待て。誰も候補リストなんて作ってない。誰も“リーダーを決めます”なんて操作してないはずだ!」


 大河内は床を殴り続ける。


「ふざけるな! 俺は昨日、“明日の朝までに別案を出せ”って言っただけだ! 勝手に俺を——」


「大河内さん!」


 南條が叫ぶ。


 だが、声は届かなかった。


 光の網目が、彼の足首からふくらはぎ、腰、胸へとじわじわと這い上がっていく。

 足を動かそうとしても、床に縫い付けられたように動かない。


「離せ……! 俺はまだ——ここを立て直せる——!」


 叫び声とともに振り上げた拳が、途中で止まる。


 光が一気に収束し、大河内の身体を包み込んだ。


 閃光。

 短い沈黙。


 光が消えたあとには、ひしゃげたマーカーと、床にひび割れた拳の跡だけが残っていた。


「……転送完了」


 天井から、淡々とした合成音声が降ってくる。


「リーダー承認:大河内誠」


 藤井が、口元を押さえた。


「今の……今のって、“誰も名前を書いてないのに”、システムが勝手に——」


 真壁が震える声で続ける。


「“リーダー適性が高い”からって、自動で……?」


 パネルには、追い打ちをかけるように追加の文言が表示された。


「民主的選出プロセスが機能不全に陥ったため、自動選出モードに移行しました。

 以後、リーダー候補者の選定は、システムの裁量により行われます」


 南條が、声にならない声を漏らす。


「そんなの……そんなの、ただの——」


「独裁だ」


 叶空が、かすれた声で言った。


「俺たちの意思とは関係なく、“適性がある”って判断された人が順番に外に送られていく。話し合いも、多数決も、候補リストも関係ない。全部、システムが決める」


 晴人は、壁にもたれかかったまま、パネルを見上げていた。


 そこに映る文字は、ただの情報の羅列に見える。


 だが、その背後には、明らかな「意思」があった。


 民主主義が崩れたあとに現れたのは、人間の独裁者ではない。

 人の顔をしていない、透明なアルゴリズムの独裁だ。


(もう、“誰をリーダーにするか”を選べない)


 選ぼうとした者は、罰された。

 選ばれたくないと逃げても、今度はシステムが勝手に「適性」を判断して連れ去る。


(俺たちは、“選ばない”ことすら選べなくなった)


 シェルター07は、静かにフェーズを切り替えていた。


 「みんなで決める場所」から。

 「誰かの独裁に委ねる場所」を通り越して。


 ——「自分たちの意志とは無関係に、選ばれてしまう場所」へ。


 その変化を、九人から八人になったばかりの彼らは、ただ震えながら見上げるしかなかった。

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