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夜明けごとにひとり消えるシェルターで―避難壕のリーダーが突然死ぬ。システムが作動し、「次のリーダーを選べ」と表示される。  作者: 妙原奇天


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第5話「候補リストと見えない殺意」

 第五の死が起きた翌日、シェルター07の朝は、いつもより静かだった。


 人工太陽灯がじわじわと明るさを増し、天井のスピーカーから小さなチャイムが鳴る。

 いつもなら、その音と一緒に誰かのため息や、カトラリーの触れ合う音が聞こえてくるはずだった。


 だが今日の食堂には、椅子の軋む音と、レトルトパックを開けるビニールの音しかなかった。


 人口十人。

 数字にすればただの減少にすぎないが、そのひとつひとつに顔と声と癖があったことを思えば、あまりにも重い。


 晴人は、カップに注いだぬるいスープを見つめたまま、ほとんど口をつけられずにいた。


(誰かが消えるたび、スプーンの音がひとつずつ減っていく)


 耳が、自動的に数を数えている。

 残された人数分の生活音。それが、いずれゼロになる未来を勝手に想像してしまう。


 ほどなくして、館内放送が鳴った。


「全員、会議室へ。繰り返します。全員、会議室へ」


 いつもの無機質な声。

 それを合図に、皆が重い腰を上げて移動を始める。



 会議室に入ると、もうほとんどのメンバーが揃っていた。


 ホワイトボードの前に立つ者はいない。

 佐久間のいない会議室は、誰が前に出ても仮初めに見えてしまう。


 それでも、今日は誰かが立たなければならなかった。


「……始めるぞ」


 口火を切ったのは、大河内だった。


 折り目のついた迷彩柄の作業ズボン。無精ひげ。

 その顔には、眠れていない者特有の赤い筋が浮かんでいたが、声はまだしっかりしている。


「これ以上、“リーダー不在”のペナルティを食らうわけにはいかない。次の夜明けまでに、候補リストを作る。それが今日の議題だ」


 ホワイトボードには、あらかじめ書かれた文字があった。


「リーダー候補リスト」と大きなタイトル。

 その下に、箇条書きでいくつかの条件が並んでいる。


・外部環境に関する説明を、ある程度理解している

・身体能力に問題がない

・これまでに“覚悟”を示してきた


 天童がマーカーを持ち、少し照れたように言う。


「……条件は、一応みんなの意見を聞きながらまとめた。異論があれば後で直すけど」


 誰も手を挙げない。


 異論がないのではない。

 「異論があります」と声を上げた者が、次の瞬間に“候補”として名前を書かれる未来を、全員が恐れていた。


「本来、こういうとき——」


 大河内が言葉を継ぐ。


「前に出るべきなのは、“能力があり、覚悟もある人間”だ。それは俺もわかってる」


 そう言ってから、一拍置いて続けた。


「俺、天童、藤井。この三人は、最低でも候補として名前を挙げるべきだと思う」


 その言葉に、場の空気がわずかに揺れた。


 天童が苦笑する。


「いやいや、俺はメンテ担当であって、決死隊じゃないからね?」


「でも、システムいじれるのはお前くらいだ。外に出されたとしても、何かしら情報を引き出せる可能性がある」


 藤井は小さく肩をすくめた。


「医療知識がある人間を、ここから減らすのはどうかと思うけど……。でも、“何もできない人”だけを候補リストに載せるのは、もっと違うよね」


 言葉の端々に、自嘲と諦めが混ざる。


 晴人は、そのやりとりを聞きながら、胸の奥が妙にざわつくのを感じていた。


(この三人は、確かに“頼りになる人たち”だ)


 危険な区域の調査に前線で立ってくれた。

 システムログを夜通し解析してくれた。

 怪我をした者に丁寧に手当てしてくれた。


 本来なら、真っ先に守られるべき人たち。

 なのに今、この場では逆に「候補者」として名前が挙がっている。


(“役に立つ人間”は、“使い捨てられる価値がある人間”にもなりうる)


 その矛盾に、喉が乾く。


「で、他には?」


 大河内が、テーブルをぐるりと見渡す。


「昨日も言ったが、“自分は候補でもいい”というやつがいれば——」


「それ、やめませんか」


 南條カナが、割って入った。


「“覚悟を見せた人”から順番に候補にするみたいな流れ、やめようよ。昨日だってそうだった。誰かが自己犠牲を言い出した瞬間、“止める側が卑怯者になる”空気が出来上がる」


 真壁も静かに頷いた。


「覚悟は、勝手に提出していいものじゃないと思う。差し出された側の気持ちも、受け取る側の罪悪感も、全部込みで“覚悟”なんだから」


「じゃあ、どうすればいい」


 大河内の声には苛立ちが混じる。


「能力も覚悟も無視して、“じゃんけんで決めましょう”か?」


 その言い方に、叶空が肩をすくめた。


「……じゃんけんよりは、まだ“候補リスト”のほうがマシだと思いますけどね」


 天童が、コンソールの画面を指さす。


「とりあえず、システム側の仕様を確認しておく。候補リストの登録条件は、“二名以上”。上限はないけど、最低人数は二人。そこからランダムで一人を選出するって書いてある」


 パネルに、無機質な説明文が映し出される。


「候補者リスト:二名以上

 候補者は、生存者リストから任意に選択してください

 候補者リストから、ランダムにリーダーを選出します」


「つまり、候補が一人だけだと登録できないってこと?」


 南條がたずねると、天童は頷いた。


「仕様どおりなら、そういうことになる。だから——“誰か一人だけをスケープゴートにする”のはできない」


 言葉にしてから、自分で苦笑する。


「……まあ、そのあたり、設計者なりに良心があったのかもね」


「良心?」


 藤井が小さく首をかしげる。


「だって、“全会一致でこの人に死んでほしいです”ってやり方は、システムとしてもあまりに露骨じゃない? 少なくとも、“二人以上の中から運任せで選びました”ってことにしたいんだよ」


 晴人は、その言い回しに引っかかりを覚えた。


(“したいんだよ”って、誰が)


 システムの向こう側に、漠然とした“観察者”の存在を意識してしまう。


 候補リストを作らせる。

 多数決をさせる。

 自己犠牲を提示させる。

 そして、そこに生まれる感情と葛藤を、どこかから眺めている何か。


(まるで、心理実験の被験者になっているみたいだ)


 ばらばらと議論が続く中、天童がメモ用紙を配り始めた。


「とにかく、一度書いてみよう。今ここで誰の名前を書くか、全員、紙に書いてみて。それを見てから、もう一度話し合おう」


「それ……」


 南條が不安げに顔を上げる。


「その紙は、システムに送られたりしないよね?」


「送られない。これはあくまで“シミュレーション”。候補リストの正式登録は、俺がコンソールからやるから」


 天童はそう言ってみせたが、その声には自信が足りなかった。


(シミュレーション、か)


 晴人は配られた紙を見つめる。


 ボールペンを握り、ぐっと力を入れる。


(誰の名前を書く?)


 大河内。

 天童。

 藤井。


 真っ先に候補として浮かぶのは、先ほど自ら名前を挙げた三人だ。

 頼りになる人たち。

 “覚悟”を口にした人たち。


 だが、その名前を紙に書く想像をしただけで、胃の中が反射的に反発する。


(この一文字一文字が、“死ね”って言葉に変換される)


 黒いインクが、白い紙の上に滲む。

 そこに記された名前が、光とともに消える。


 そうなったとき、自分は一生、「あいつの名前を書いたのは俺だ」と思い続けることになる。


(それでも——)


 候補として挙がらなかった名前も、頭に浮かぶ。


 場をよくかき回す男。

 誰かが何かを決めようとするたびに否定し、文句だけを垂れ流す中年男。


「こんなシステム、最初から信用できねえ」

「ていうかよ、政府がちゃんとしてれば、こんなとこ来なくてよかったんだよ」

「俺はな、客なんだよ、客。こういう施設は“利用者第一”が大前提だろうが」


 そう言い続けてきた男。

 黒田誠二。


 分厚い腹を揺らしながら、誰かの肩に寄りかかって座り、面倒な作業が回ってきそうになるとすぐに腰痛だの持病だのを持ち出す。


 ここ数日の空気の悪さも、半分くらいは彼の言動のせいだと言ってもいい。


(黒田さんの名前なら——書ける、と思った瞬間)


 晴人は、自分の胸の真ん中がひやりと冷えるのを感じた。


(俺の中にも、“選別する目”がある)


 誰ならいなくなってもいいか。

 誰なら、死んでも仕方ないと思えるか。


 そういう基準で、人を見てしまう自分。

 善人だと思っていた部分の奥に、小さな刃物のようなものが潜んでいる。


(きっと、みんなそうだ)


 誰も口にしないだけで、頭の中では何度も、人を順位づけしている。

 家族より他人。

 仲のいい友人より、ほとんど接点のない人。

 頼りになる人より、邪魔な人。


(システムは、その“目”を、あぶり出そうとしているんじゃないか)


 ペン先が、紙の上を宙ぶらりんに漂う。

 名前を書こうとするたび、インクが固まったように出てこない。


 視線を横にずらすと、南條は紙の上に何も書けずにいる。真壁も、眉間に皺を寄せたまま手が止まっていた。


 その一方で——


 黒田誠二だけは、退屈そうに欠伸をしていた。


「なあ、まだ終わんねえのかよ。どうせまた、何も決まらないで終わりだろ。だったらさっさと解散してくれっての」


 と、テーブルを指でトントン叩いている。


 晴人は、無意識に紙を裏返した。


(この人の名前を書きたいと思ってしまった。

 それを自覚した自分が、何より嫌だ)


「……時間だ」


 天童が、静かに言った。


「全員、一旦ペンを置いて。紙を折って、自分の前に置いておいて」


 ざわ、と椅子が軋む音がする。

 誰もまだ紙を見せていない。

 視線は互いの手元を盗み見しようとしては失敗し、戻ってくる。


「じゃあ、希望者だけ——紙を見せてほしい。これはあくまで試案だから、見せたくない人は見せなくていい」


 その瞬間、会議室を支配していた沈黙が、別の種類の重さに変わった。


 見せる、見せない。

 それ自体が、すでに「誰かの名前を書いたかどうか」の表明になってしまう。


「……俺は、見せる」


 そう言って、紙を持ち上げたのは大河内だった。


 紙には、名前が三つ並んでいた。


「大河内」

「天童」

「藤井」


「予想通りだな」


 天童が小さく笑い、藤井も苦い顔で頷く。


「自分を入れてるあたり、筋は通ってるよ」


「候補者は、“覚悟を示した三人”。それ以外に、書けなかった」


 大河内はあっさりと言った。


 南條が唇を噛む。


「……私は、誰の名前も書けませんでした」


「俺も」


「私も」


 そんな声がいくつか続く。


 誰も、自分から他人の名前を紙に刻む一歩を踏み出せなかった。

 書けたのは、自分を含めた三人の名前を並べた大河内だけ。


「じゃあ、逆に——」


 不意に、聞きたくなかった声がした。


 黒田誠二が、ニヤニヤしながら紙をひらひら振っている。


「俺も、見せてやるよ」


 その紙には、大きな字で一つだけ、名前が書かれていた。


「黒田誠二」


 ではなかった。


 そこに書かれていたのは、叶空の名前だった。


「は?」


 会議室の空気が、一瞬で凍りつく。


「おい、黒田さん。何で叶空くんの名前なんか——」


 真壁が声を上げるより早く、黒田は肩をすくめた。


「決まってんだろ。場をかき回してるのはあいつだからだよ。“年齢で決めません?”とか、“マシかどうかで言えば”とか、いちいち偉そうに言いやがって。そういう中途半端な理屈こねてるやつが一番邪魔なんだよ」


 叶空は、目を見開いたまま固まっていた。


「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。俺、別に——」


「何だよ、嫌なのか? “若いくせに生き延びたいんです”ってか?」


 黒田の言葉に、誰かが息を呑む。


 晴人は、思わずテーブルの下で拳を握りしめた。


(最悪だ。こういうやつが、真っ先に“誰なら死んでいいか”って考えを口に出せる)


「……黒田さん」


 天童が、静かに割って入った。


「さっきも言ったけど、これはあくまでシミュレーションだよ。本番の候補リスト登録は、これとは別に——」


 そのときだった。


 パネルが、唐突に点灯した。


 白い文字が、会議室の壁一面に浮かび上がる。


「候補者リスト案を検出しました。

 候補者人数:一名」


「は?」


 天童が思わず声を漏らす。


「ちょっと待て。俺、まだ何も——」


「候補人数が一名のため、特別ルールを適用します。

 リーダー候補=指名者とみなします」


「……指名者?」


 誰かが呟いた。


 次の瞬間、パネルに名前が表示される。


「リーダー候補:黒田誠二」


「ふざけんなよ!」


 黒田が立ち上がる。


「なんで俺なんだよ! 俺は候補に——」


「指名者、とは」


 晴人の背筋を、冷たいものが走り抜けた。


(誰かを候補に“名指しした者”。誰かに死んでほしいと、具体的な形にした者)


 パネルは、無慈悲に続ける。


「リーダー候補:黒田誠二

 就任を承認しますか? YES/NO」


 天童が慌ててコンソールに駆け寄る。


「待て、これはおかしい。候補リスト案なんて、正式に送信してない。紙に書いただけだ。どうやって——」


「システムは、この部屋のカメラとマイクを常時監視しています」


 冷たい合成音声が、天井から降ってくる。


「誰が、誰の名前を、どのような意図で口にしたか。

 重要なのは、“形式上の登録”ではありません」


 天童の指が、コンソールのキーの上で止まる。


 システムが、初めて“意思”めいた説明をした瞬間だった。


「……大丈夫だ。まだYESを押さなきゃ——」


 そう言いかけたとき、パネルの表示が変わった。


「全会一致の沈黙を確認。

 リーダー承認とみなします」


「は?」


 誰も、言葉を発する暇がなかった。


 黒田の足元が、青白く光る。


「待て、ふざけんな、俺は——」


 叫び声ごと、光が彼を包み込み、弾ける。


 残ったのは、椅子と、テーブルの上に残された紙きれ一枚だけだった。


「リーダー承認:完了。

 ペナルティは解除されました」


 アナウンスが、いつもの調子で告げる。


 誰一人、動けなかった。


 沈黙。

 誰かの喉が鳴る音。

 椅子の脚がかすかに震える。


「い、今の……」


 叶空が、真っ青な顔で呟く。


「今のって、“俺を殺そうとした人間”が、罰されたってことですよね……?」


 誰も「違う」と言えなかった。


 天童が、乾いた声で笑う。


「……どうやら、このシステムは“犠牲者”じゃなくて、“殺そうとする意思”のほうを、よく見ているらしい」


 晴人は、さっき握った紙をゆっくりと開く。


 そこには、何も書かれていない。

 名前一つない、ただの白紙。


 それでも——


(ここに、黒田さんの名前を書こうとした瞬間が、俺にはあった)


 ほんの一秒かもしれない。

 インクは落ちなかった。

 紙はきれいなままだ。


 けれど、天井のどこかにあるカメラは、その一瞬の表情も、視線の揺れも、脈拍の変化も、全部見ていたのかもしれない。


(“誰なら死んでいいか”と考えた、その目を)


 黒田誠二は、自分の手で他人を指名しようとした。

 その瞬間、システムは彼を「リーダー候補」にすり替えた。


 誰かを殺そうとした者が、罰された。


 それは、ある種の公平さのようにも思える。


 だが同時に——


(候補リストなんて、もう機能しない)


 誰が、自分の手で誰かの名前を書けるだろう。

 書いた瞬間、「リーダー候補=指名者」とみなされるかもしれないのに。


 システムが本当に欲しているのは、犠牲者の数ではない。


 誰が、どのタイミングで、どんな理由で、誰を選ぼうとするのか。

 その「意思」そのものを観察し、反応する何か。


 晴人は、肩に重くのしかかる視線を感じた。


 それは、同じ部屋にいる仲間たちのものではない。

 天井の奥、壁の向こう、見えないどこかから、自分たちをずっと見下ろしている「目」。


 このシェルター07という箱は、ただの避難施設でも、殺人装置でもない。


 もっと悪趣味で、もっと精密な——

 人間の“選ぶ心”を試す、巨大な実験場なのかもしれない、と。

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