第4話「自主リーダー案と名指しの夜」
人口が十一になったシェルターは、数字以上に狭く、息苦しく感じられた。
食堂に並ぶメニューは、昨日までとほとんど変わらない。
真空パックのパン、レトルトのシチュー、粉末ジュース。
物資残量のグラフも、人数が減ったぶんだけ「余裕あり」の表示に振れている。
けれど、誰も「余裕」という言葉を口にできなかった。
粉っぽいパンをかじるたびに、晴人は喉の奥に砂を流し込まれているような感覚を覚える。
(味がしない……)
それは料理のせいでも、レトルトの品質のせいでもない。
この場にいる誰もが、心のどこかで同じ計算をしていた。
——次に消えるのは、誰だろう。
いつ、どのタイミングで、自分の視界から誰かの姿が消えるのか。
それを想像するたび、口の中が干からびていく。
食後、会議室に集合するよう館内放送が流れた。
ホワイトノイズ混じりのスピーカーが、「全員、会議室へ」という無機質な声を繰り返す。
晴人が会議室に入ると、佐久間の空席が真っ先に目に入った。
背もたれにかかったままの上着は片付けられず、ホワイトボードの隅には、彼が昨日まで使っていたペンが一本だけ差さったままだ。
それが、逆に痛々しい。
(本当なら、今ここで議事を整理して、落ち着いた声でまとめてくれる人だったのに)
佐久間の不在は、シェルター全体の「話し合いの質」を目に見えて落としていた。
会議室の中央に立った大河内が、腕を組んだまま低く言う。
「……今度こそ、誰か一人をリーダーに選ぶしかない」
開口一番、その言葉だった。
「二日続けてリーダー不在のペナルティを食らった。三人死んで、十一人だ。このままランダムに任せてたら、いずれ全員いなくなる」
その言い方は乱暴だが、事実でもあった。
「本来こういう時は、能力のある人間が前に出るべきだ」
大河内は言葉を区切り、全員を見渡す。
その視線は、自分の中にある迷いを押し殺したような鋭さを帯びていた。
「……俺が引き受けてもいい」
一瞬、空気が止まる。
「大河内さん……」
最初に声を上げたのは、藤井結衣だった。
「つまり……死ぬかもしれない役を、自分から?」
「死ぬと決まったわけじゃない」
大河内はきっぱりと否定する。
「外は、少しずつ安全になっているかもしれない。片桐やあの主婦、それに佐久間が転送された先で、状況がマシになってる可能性だってある。誰かが確かめなきゃ、俺たちはずっとこの箱の中で朽ちるだけだ」
その言葉は、理屈としては通っている。
命令でもなく、押し付けでもない。自分から手を挙げる、自己犠牲の申し出。
晴人は、一瞬だけ「リーダーにふさわしい」と思ってしまう。
恐怖を押し込め、前に出る勇気。
場の空気を締め、危険を自分に引き受けようとする覚悟。
(でも——)
同時に、別の疑問も浮かぶ。
(本当に、自分の意志だけで決めていいのか?)
大河内がいなくなった後、このシェルターはどうなる。
力仕事は誰がやる。外部センサーの警告音が鳴ったとき、冷静に対処できる大人は何人残る。
彼が前に出ることは、希望になるのか。
それとも、残された側をもっと不安定にするのか。
晴人の迷いを代弁するように、南條カナが言葉をぶつけた。
「そんなの、駄目だよ」
声が震えているのに、ちゃんと大河内をまっすぐ見ている。
「死ぬかもしれないのに、格好つけて勝手に決めないでよ。みんなで一緒に生き残る方法を考えようって言ってたのに、どうしてそこで“一人で背負うヒーロー”みたいな真似するの」
「別に、格好つけてるつもりは——」
「してるよ!」
カナが椅子から立ち上がる。
「そんな風に言われたらさ、“止めたら自分が卑怯者になる”みたいじゃん。“じゃあお前が行けよ”って暗に言われてるみたいじゃん。そんなのズルいよ!」
その言葉に、数人が小さく頷いた。
真壁志織も、苦い顔で口を開く。
「それにもし、大河内さんが消えたら……力仕事は誰がやるの? 危険があったとき、私たちを守ってくれる人がいなくなる。リスクの高い区域の調査だって、あなたが率先してやってくれてたのに」
「俺一人がいなくなったところで、何とか回すしかないだろ」
「その“何とか”を、今から考えろって話をしてるの」
真壁の声には苛立ちと、不安と、責めきれない優しさが混ざっていた。
議論は、いつの間にか「自己犠牲を受け入れるかどうか」から、「誰を失いたくないか」という感情論にすり替わっていく。
「大河内さんがいなくなったら困る」
「藤井さんだって、医療知識あるから必要だよ」
「天童がいなかったらシステム触れる人いないし」
「南條ちゃんは、みんなのメンタル潰れるからいなきゃダメ」
そんな言葉が次々に出る。
そして、決定的な一言が大河内の口から漏れた。
「じゃあ——誰ならいいんだ?」
その問いが、会議室の空気を凍らせた。
誰も答えない。
だが、誰もが頭の中で、同じ検索作業を始めていた。
自分との関わりが薄い人。
頼りにしていない人。
いなくなっても、生活に大きな影響がなさそうな人。
そんな“候補”の顔が、瞬間的に脳裏をよぎる。
(考えた瞬間、もう後戻りできない)
晴人は、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
佐久間がいたら、この空気をなだめ、議論の方向を軌道修正してくれただろう。
「誰なら死んでもいいか」ではなく、「どうすれば誰も死なないで済むか」を、言葉の力でテーブルの上に戻してくれたかもしれない。
その調整役がいない今、会議は簡単に感情の泥沼へ落ちていく。
「……じゃあさ」
沈黙の中で、叶空がぽつりと呟いた。
「年齢で決めるってのは?」
視線が一斉に彼に向かう。
「一番若い僕じゃなくてさ、一番歳がいってる人とか。……ほら、ドラマとかでも、“先に逝くのは年寄りからだ”みたいな感じあるし」
「ちょっと」
その瞬間、老婦人が顔を上げた。
白髪をひとつにまとめたその女性は、これまで会議ではあまり発言してこなかったが、今だけは別だった。
「年寄りだからって、死んでいいって言うのかい」
「ち、違いますよ! そういうつもりじゃなくて——」
「どういうつもりだったのさ」
老婦人の目は怒りというより、深い失望で濡れていた。
「若い人を生かすために、年寄りは黙って死ねって。そう聞こえるよ。そういうのを、“年齢で差別する”って言うんだよ」
叶空は慌てて手を振る。
「違う、本当に違いますって! ただ、何か基準があったほうが納得できるかなって思っただけで——」
一度出た言葉は、もう元には戻らない。
誰かの心を刺してしまった後で、「そんなつもりじゃなかった」は、ほとんど意味を持たない。
議論はそこからしばらく空回りし、誰も「これだ」という案を出せないまま時間だけが過ぎていった。
やがて、天童が時計をちらりと見て言う。
「……もうすぐ照明の減光時間だ。あと数時間で“夜”になる。今日中にリーダーを決めるのは、正直厳しいと思う」
その言葉に、全員がどこかホッとしたような、そして絶望したような表情を浮かべる。
決められなかった安堵と、決められなかった罰が、同時に胸に積もる。
結局、この日も「具体的な名前」を出せないまま、会議は解散した。
廊下に出る直前、パネルがふいに点灯した。
白い文字が、壁一面に広がる。
「特別提案:
リーダー指名にあたり、複数名を候補として登録することができます。
候補者リストから、ランダムにひとりを選出します」
「……は?」
南條が、思わず声に出した。
「なにそれ。ガチャ?」
天童は苦い顔で歯を食いしばり、ゆっくりと説明する。
「システムが、“候補リスト”を作らせようとしてるんだよ。つまり、“誰が死ぬか”を俺たちに直接は決めさせないようにして、罪悪感を薄める仕組みだ」
「罪悪感を……薄める?」
「候補リストに名前を書いたのは自分たちだけど、“最終的に誰になるか決めたのはシステム”って形にすることで、“殺したのは俺たちじゃない”って錯覚させる」
天童は、スクロールする説明文を睨みつける。
「責任の分散。集団で行う殺人を、誰のせいでもないことにするための仕組みだ」
晴人は、その構図を理解した瞬間、背筋から冷たいものが駆け上がるのを感じた。
(そうか——)
誰か一人の手でレバーを引かせるのではなく、十三人それぞれに少しずつレバーを触らせる。
そして「全員で決めた」と思わせる。
誰か一人を罪人にしない。
代わりに、全員を少しずつ共犯者にする。
(“シェルター07”は、俺たちの良心を試しながら削ってる……)
その考えが頭をよぎり、思わず額に手を当てた。
夜、各自が寝室に戻る前。
廊下の薄暗がりで、真壁志織は天井をぼんやり見上げながら立ち尽くしていた。
晴人が通りかかると、彼女は小さく笑う。
「ねえ、遠野くん」
「……はい」
「もしさ。候補リストに、私の名前が書かれてたら——どうする?」
問われた意味を咀嚼するのに、数秒かかった。
真壁は、自分の腕を抱きしめるようにして続ける。
「誰かが、紙に“真壁志織”って書いて、天童くんがそれをリストに打ち込んで……それがランダムで選ばれて、私がリーダーとして転送される。そうなったらさ——私、ちゃんと“納得して死ねる”と思う?」
娘の話をする時の、柔らかい目とは違う、乾いた瞳だった。
「たぶん無理だよね。絶対に、誰かを恨むよね。“あんたが書いたんでしょ”って、顔も知らない誰かに向かってね」
晴人は、返す言葉を見つけられない。
もし、自分が誰かの名前を書いたとして。
その誰かが光に包まれて消えたとして。
その人の家族が、友人が、自分を責める未来を想像したとき——
喉の奥が、ひどく乾いた。
「……寝よっか」
真壁は無理やり明るい声を出し、そのまま自室へ戻っていった。
晴人も自分のベッドに横になったが、眠気は一向に訪れない。
天井に埋め込まれた人工太陽灯の裏側を想像する。
ケーブルと制御回路、そのどこかに、彼らを見下ろす“設計者”の意図が、冷たく走っている気がした。
やがて、微かな振動とともに、照明が少しずつ明るさを落としていく。
夜が来る。
そして、その先にあるのは——また、夜明けだ。
◇
夜明け前。
ふたたび、全館放送が鳴る。
「リーダー候補リスト:未登録。ペナルティを実行します」
声は変わらず無機質で、感情というものが一切感じられない。
晴人は跳ね起きると、半ば反射的に廊下へ飛び出した。
昨日と同じように、人の気配が集まる場所がある。
今回は廊下の中ほど——掃除当番の持ち場だ。
そこにあったのは、壁にもたれかかったモップと、バケツと——
水の跡が途中でぷつりと途切れた床だけだった。
留学生の青年が、どこを探してもいない。
日本語があまり得意ではなく、会議でもほとんど発言しなかった、あの無口な青年だ。
「うそ……」
藤井が、口元を押さえる。
「よりによって、どうして彼が……。なんで、一番何も言えない人から順番に——」
南條が目を赤くしながら言う。
「あの子、いつも食堂でお皿洗ってくれてたのに……誰よりも働いてたのに……」
天童は監視カメラの映像を巻き戻し、昨日と同じパターンを確認した。
ひとコマだけ乱れた映像。
ノイズが走った次の瞬間には、青年の姿はどこにもない。
「……二回目も、同じ」
天童は息を吐く。
「これはデモでも、脅しでもない。完全なルールだ」
シェルターの人口は、十一から十に減った。
曖昧だった“ルール”は、もはや疑いようのない“現実”として全員の前に突きつけられている。
(このまま、“成り行きのランダム”に任せてたら——)
晴人は、留学生の青年の顔を思い浮かべる。
拙い日本語で「アリガト」と言っていた姿。
食器を丁寧に並べていた手。
(弱い立場の人から順番に、静かに消えていくだけだ)
議論に強くない人。
言葉で反論できない人。
誰かに庇ってもらうことが少ない人。
そういう“声の小さい人”から、システムの「ランダム」は順番に飲み込んでいく。
(だけど——)
そこで今度は、別の重さが胸にのしかかる。
(誰か具体的な名前を書くことは。それは、ランダムじゃなくて、“自分の意思で引き金を引く”ことになる)
どちらを選んでも、誰かが消える。
違うのは、そこに「自分の手」がどれだけ関わっているか、だけだ。
「……次こそ、決めないと」
誰かが、震えた声で呟いた。
「誰かの名前を、実際に書かないと」
その言葉は、誰も否定できなかった。
シェルター07は、ゆっくりと、しかし確実に姿を変えつつある。
「誰も選べない場所」から。
——「誰かを選ばなければならない場所」へ。




