第2話「最初の候補者と壊れた多数決」
ひとりが本当に消えた。その瞬間から、会議室に集まった十二人の表情は、まるで別人のようになっていた。
今までは「話し合えば何とかなる」と、薄い期待があった。
だが、あの台所で湯気だけを残して跡形もなく消えた主婦の姿が、その甘さを焼き払った。
“リーダーを選ばないまま夜明けを迎えたら、誰かが消える。”
それは、画面に表示された文字ではなく、現実になった。
会議室には、ホワイトボードが立てられ、佐久間宗一郎が議長役として前に立っていた。死ぬ直前まで片桐が触っていた椅子が、まだ温度だけを残している。
「……では、あらためて議題に戻ります。リーダー選出の方法について」
ホワイトボードには、太いマーカーで四つの案が書かれていた。
・立候補制
・多数決による推薦
・くじ引き
・持ち回り制
「立候補なんて、するわけないでしょう」
真壁志織が即座に言った。手を組む指が白くなるほど力が入っている。
「リーダーになった瞬間、全員の不満の矛先になるのが目に見えてるもの。こんな圧のかかった環境で、責任なんてまともに負える人いないわよ」
「責任から逃げたいだけだろ」
大河内が噛みつくように言う。
「俺は自衛隊で、リーダーが曖昧な組織ほど崩壊しやすいって何度も見た」
「でも……」
南條カナが控えめに言葉を継ぐ。
「自衛隊は指揮系統があって、訓練された人たちのグループでしょ? ここは……ただの寄せ集めだよ?」
その通りだった。
彼らは避難壕に逃げ込んだ民間人の集まり。
リーダーの役割は、誰もが“押し付けられる”のを怖がっている。
佐久間が話を続ける。
「くじ引きは、運任せで命を差し出すことと同じだということで、ほとんどの人が反対しました。持ち回り制も、リスクの均等化には見えますが……」
「途中で誰かが拒否する。絶対に」
晴人はぼそっとつぶやいた。
「そう。だから現実的ではありません」
佐久間は頷く。
残るのはひとつ――“多数決による推薦”。
「多数決は……一番フェアな方法だと思うんだ」
佐久間は言う。
「無記名の投票形式にする。名前を書くのが怖いなら、誰が誰に入れたかはわからないようにする」
だがその瞬間、会議室の空気がざらついた。
晴人は、手元のペンを握りながら心の中で考える。
(無記名でも、十三人の人間関係なんてすぐ推理できる。
“誰が誰を裏切ったか”を互いに探り始めるだけじゃないか……)
けれど、その懸念を口に出す勇気はなかった。
誰も彼もが、常に周囲の顔色をうかがい、死人が出た直後の空気に押されていた。
「では、投票を始めましょう」
佐久間が白紙のメモを全員に配る。
晴人の手元にも白紙。名前を書く欄などない、ごく普通のメモだ。
――誰に入れる?
晴人のペン先は、紙の上で迷い続けた。
(適任者……じゃない。
“自分の矛先が向きにくくなる名前”だ)
そう考えてしまう自分に、晴人は小さな嫌悪を覚える。
守りに入っている。
誰かの死を前にしてなお、正義ではなく保身を考える自分の弱さ。
最終的に、晴人は「大河内」の名前を書いた。
強くて、責任感もあって、まともに動ける。
そして何より――自分にヘイトが向きにくい。
(……最低だな、俺)
紙を三つ折りにして箱へ入れ、席に戻る。
全員の視線はわずかに沈んでいて、誰も自分の票に誇りを持っている顔をしていない。
集計が始まる。
ひとつ、またひとつ、名前が読み上げられるたび、微妙な表情が会議室を揺らす。
「……最多得票は、佐久間宗一郎さんです」
「え、私?」
佐久間が目を丸くした。
「いやいや、私はあくまで調整役で……」
口では謙遜しているが、晴人には、佐久間がほんの少しだけ“悪くない”という感情を隠しきれていないのが見えた。
その瞬間、次の文字が読み上げられる。
「大河内さんにも、三票」
「藤井さんにも二票入ってます」
空気が、一気に変わった。
「……誰だよ、俺に入れたの」
大河内が低い声で言う。
「え、わたし? なんで……?」
藤井結衣も困惑している。
「自衛隊だからって、便利に使わないでくれる?」
大河内は全体へ向けて吐き捨てるように言った。
「待ってくれ」
佐久間が両手を上げた。
「落ち着こう。この結果をどう受け止めるかは、個々の自由だが……大切なのは“システムがどう判定するか”だ。恐らく、形式的にリーダーが決まれば、それでいいはずだ」
佐久間は深く息を吸った。
「私が、リーダーとして名乗り出るよ。
……ただし、“形式上”だ。実務はみんなで分担する。いいね?」
しぶしぶではあるが、全員が頷いた。
そのとき、パネルが光る。
「リーダー候補:佐久間宗一郎
就任を承認しますか? YES/NO」
「ほら、やっぱり形式上の確認だ」
佐久間は軽く笑ってみせる。
「ここでNOを押せば、また誰かが消えるだけだよ。
私は今まで通りの調整役を続ける。それでいいならYESを押そう」
天童がコンソールに手を伸ばし、「YES」を選択する。
次の瞬間、パネルに「承認」と表示され――
佐久間の足元の床が、青白い光を放ちはじめた。
「……え?」
「佐久間さん、動かないで!」
晴人が叫ぶのと、光が弾けるのはほぼ同時だった。
光が収束した瞬間、そこには“何も”なかった。
ペンだけが、カランと床に転がっていた。
「な……」
南條カナが絶句する。
「リーダー承認:完了。
ペナルティは解除されました。
※新たなリーダーが死亡・消去した場合、本プロトコルは再起動します」
アナウンスは淡々としていた。
その音声は、冷たい地下コンクリートに吸い込まれていく。
誰も動けなかった。
大河内の視線が彷徨う。「……リーダーになるってことは、死ぬってことか?」
天童は唇を噛んで言った。
「違う。さっき言っただろ……ログの言葉をそのまま訳すなら、“消去”じゃなくて、“転送”だ。多分、別のエリアに送られた」
「それって……安全なの?」
藤井が問う。
「わからない。ただ……」
天童はモニターの隅に残る数値を指差した。
「シェルターの外部環境の数値が、一瞬だけ変わったんだ。
たぶん、誰かが“外へ出た”ことを示す反応だと思う」
「つまり……あの光は、“外”に送られたってこと?」
「かもしれない」
天童の声は震えていた。
晴人は、画面の文言の一部が頭から離れなかった。
「新たなリーダーが死亡・消去した場合、再起動」
(……死亡・消去。
つまり、このプロトコルは“リーダーが死ぬ”ことを前提に作られている……?)
そして、もうひとつ気づく。
“生存”が前提になっていないシステムに、なぜ「リーダー」という機能が存在するのか。
なぜ“選ばせる”必要があるのか。
自分たちは、本当に“避難”させられているのか。
それとも――
(俺たちは“選別”されてる……?)
喉の奥が冷たく塞がれた。
しかしその違和感の正体に気づくには、まだ材料が足りない。
十二人の沈黙の中、誰かが絞り出すように言った。
「……次の夜明けまでに、新しいリーダーを、また選ばなきゃいけないってこと?」
晴人は、答えられなかった。
けれど、答えは誰よりも早く――画面が告げた。
「次の夜明けまで:17時間02分」
すでに、新しい“死のカウントダウン”は始まっていた。




