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エドと博士のはみ出し日記  作者: WR-140


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58 くらやみの散歩道

 その闇はあまりに深かった。

 エドの目は火傷によって光を失って久しい。代わりに機械的にさまざまな波長を〝視る〟ことができるマシン・アイを持っているのだが、この闇の中では、それすらまともに役に立たない。

 ナビは完全に沈黙している。

 視覚を暗視モードに切り替えても、事態はあまり変わらなかった。だが、カミラは全く動じていない。

 ここでは、躊躇なく歩む彼女の後に従うしかないようだ。そしてその姿を見失う恐れはなかった。

 不思議なことに、ねっとりと均一な黒を塗り込んだような闇の中、彼女の姿だけがくっきりと見えるのだ。

 光ではない光が、闇に溶けそうなその黒髪までを照らし出している。

 まるで彼女自身が燐光を放っているかのようにも見えた。

 エドは周囲の闇の気配に耳を澄ませる。

 宮殿の盟主執務室を囲繞する闇のエリア、通称〝内陣〟と同じく、この闇はさまざまな気配を内包していた。

 中には、実戦の場数を踏んだエドですら、ゾッとするほど危険なものもある。これも内陣と同じだ。

 いつだったかリュウに聞いたことがある。この闇はいったいどこに続いているのかと。彼の答えでは、内陣の闇はどこにも属さない宙ぶらりんの空間であり、いまどこに続くかはわからないとのことだった。


 突然!


 濃密な闇の気配が右手前方から迫ってきた。闇の巨大な一角が、突如生命を得てこちらに流れ出てくるような、異様な感覚である。

 同時に形容し難い生臭さと、嗅いだことのない不快な臭気が、生暖かい風に乗って吹き付け、吹きすぎる。

〝これ、ヤバい奴だ〟

 そう認識して体が臨戦体制をとる寸前、視界にヒラっと小さな白いものが閃いた。


〝ん?蝶がこんなとこに…?〟


 一瞬そう思ったほどに、軽やかで重さを感じさせない動きだが。

〝博士の、手!?〟

 白い指先が優雅に舞った時。

 殺到してきた闇の気配が、ばさり、と崩れた。瞬間エドの耳に届いた低周波の異様な物音は、悲鳴だったのか?

 それが何だったのかもわからないが、とりあえず危険は回避されたようだ。

 彼女は最初から最後まで、そいつに目もくれなかった。


「んで博士、目的地は?」

「案ずるな。〝道〟があるわ。散歩道じゃの。」

 ということは、この通路は頻繁に使われていたのだろう。

「遺体処理のためですか?この辺りに放り出しときゃ簡単そうですが。」

「そうではあるまい。この空間は不安定じゃ。発見されたくないものを確実に処理することには向かぬ。」

「ということは、手入れ逃れ用か。」

「そのようじゃの。だが、最近〝道〟に手が加えられたあとがある。」

「道標がいじられた?」

「ふむ。そのようじゃ。妾は初めから〝踏みならされた道〟を辿ったが、人間ならば道標が頼りであろうよ。」

 だとしたら、それはかなりタチの悪いトラップだ。追跡をかわすためか?

 視覚もナビも全く役に立たないから、この中では距離も方向も見定めることはできない。道標か、案内人なしで歩ける場所ではないのだ。


 ふとカミラが立ち止まる。

「ここじゃの。」

 呟いて、向きを変えて二、三歩踏み出し、片手を軽く前に突き出した。

 キイっと小さな軋みが上がる。それと共に、闇が長方形に切り取られた。長方形の白い布を黒い壁に貼り付けたような、現実感のない光景が現れる。

 出口だ。

〝やっぱ、内陣と似てるぜ〟

 のっぺりと均一な白はただ白いだけで、その先は見えない。

 入り口では、ただ黒くフラットに見えたのと同じで、知らなければその先にすすめるとは思えないだろう。


 カミラと共に明るい場所へと踏み出し、振り向いたエドは、自分たちが作り付けのクローゼットから出て来たことに気づいた。安っぽい造りの、ありふれたタイプ。

 クローゼットの中はからだ。なぜか今の今まで2人がいたはずの闇はどこにも見えない。代わりにあったのは、何の変哲もない、クローゼットの奥の壁だけだ。

「一方通行のようじゃの。」

「なるほど。」

 機能を取り戻したナビによれば、ここは旧スラムの一角である。入り口のあった156番街の空き店舗からほんの50メートルあまりの場所だ。

 実際には闇の通路を500メートル以上は歩いたはずだが、ゴールは出発点からわずかしか離れていなかった。

 エドは室内を見回した。チープな家具に手狭な造りは、よくある公営の集合住宅の一室らしい。

 この部屋、火事は免れたようだが、破壊のあとは至る所に見受けられた。

 壁には縦横に亀裂が走り、床には物が散乱していたが、建物自体は倒壊をまぬがれたらしい。小さなはめ殺し窓は汚れているが割れていないし、ドアは閉まっている。 ナビによれば、地上から15メートル。

 20年以上前によく見られた団地の、3階あたりだろうか。

 他の部屋はどうかわからないが、少なくともここはまだ雨風を凌げる状態である。


 カミラは物珍しそうに周囲を見回した。

 そういえば彼女はこの世界に来てから、庶民の住居を見たことはないはずだ。

 故郷の世界では強大な力を持つ大公だから、城とか大邸宅しか知らないだろうし。


「そなたの家より狭い造りじゃの。」

「これで普通。リマノじゃ、家賃がバカ高いんですってば。オレの住んでるとこは、官舎でも広い方なんです、あれでも。」

「なるほどのう。小鳥の小屋かと思うたが。」

「こ…」反論しかけて諦めた。

 初手から常識が違いすぎる。カミラは大真面目だ。

 リュウや千絵なら違和感のない庶民感覚があるが、カミラは全くの別物である。

「どんな世界なんですかね、お国は。」

「こことさほど変わらぬ。ただ、建前というものをあまり重視しないかもしれぬ。」

 実力主義。弱肉強食の世界。

 弱者はハナから相手にもされず、わざわざ蹂躙する価値もないと見なされているだろう。

 様々な仕事を担う人材としての個人は、社会共通の財産だ。従ってそれなりに法律などで保護されてはいるはずで、そうでなければ国家の維持など不可能だ。

 逆に強者であっても、加齢や病いなどにより力を失えばそれまで。家族や親戚であろうとも、利用価値がなければ容赦なく切り捨てられる。

 かつて不当な扱いをした部下や、虐げてきた家族に復讐されても仕方がないだろう。

 他者を正当に扱って来たなら、それなりに庇護を申し出る者もあるかもしれない。

 どちらも自己責任だ。

 だから、建前だとか綺麗事なと不要だ。

 護りたいモノがあるなら力で護る。要らないなら捨て去る。

 いたってシンプルな話だ。だが、人類の基準からすれば生き辛い。


「ふむ?ここまでは追えたが、この先は難しいの。痕跡が薄い。」

 カミラの言葉にエドは頷いた。

 彼女のいう〝痕跡〟がどのようなものか知る由もない。ざっと床を調べてみたが、エドに追えるものは見当たらないようだ。


 が。

 エドは屈むと、床から小さな黒いものを摘み上げた。

 指先ほどの大きさの正六面体だ。

「何じゃ?」

「ゲーム用のダイスですが、この材質、禁製品ですね。」

「…動物の骨のようじゃの。」

「魔獣のツノです。たぶん双角のマモンゴート。博士には何でもないと思いますが、人間にはすこしヤバい品物ですかね。」

 カミラは不思議そうに首を傾げた。

「妾は何も感じぬが?」

 そうだろうなとエドは頷いた。

 ギャンブラーにはゲン担ぎの本能があるから、希少な材料で作られた賽子は格好のお守りだ。効力の有無など関係ない。

「このサイコロには二つ名ってのがありましてね、〝奈落のみちしるべ〟っていうのが通り名です。」


お付き合いいただき、感謝、感謝です!

宜しかったら、評価お願いいたします。

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