58 くらやみの散歩道
その闇はあまりに深かった。
エドの目は火傷によって光を失って久しい。代わりに機械的にさまざまな波長を〝視る〟ことができるマシン・アイを持っているのだが、この闇の中では、それすらまともに役に立たない。
ナビは完全に沈黙している。
視覚を暗視モードに切り替えても、事態はあまり変わらなかった。だが、カミラは全く動じていない。
ここでは、躊躇なく歩む彼女の後に従うしかないようだ。そしてその姿を見失う恐れはなかった。
不思議なことに、ねっとりと均一な黒を塗り込んだような闇の中、彼女の姿だけがくっきりと見えるのだ。
光ではない光が、闇に溶けそうなその黒髪までを照らし出している。
まるで彼女自身が燐光を放っているかのようにも見えた。
エドは周囲の闇の気配に耳を澄ませる。
宮殿の盟主執務室を囲繞する闇のエリア、通称〝内陣〟と同じく、この闇はさまざまな気配を内包していた。
中には、実戦の場数を踏んだエドですら、ゾッとするほど危険なものもある。これも内陣と同じだ。
いつだったかリュウに聞いたことがある。この闇はいったいどこに続いているのかと。彼の答えでは、内陣の闇はどこにも属さない宙ぶらりんの空間であり、いまどこに続くかはわからないとのことだった。
突然!
濃密な闇の気配が右手前方から迫ってきた。闇の巨大な一角が、突如生命を得てこちらに流れ出てくるような、異様な感覚である。
同時に形容し難い生臭さと、嗅いだことのない不快な臭気が、生暖かい風に乗って吹き付け、吹きすぎる。
〝これ、ヤバい奴だ〟
そう認識して体が臨戦体制をとる寸前、視界にヒラっと小さな白いものが閃いた。
〝ん?蝶がこんなとこに…?〟
一瞬そう思ったほどに、軽やかで重さを感じさせない動きだが。
〝博士の、手!?〟
白い指先が優雅に舞った時。
殺到してきた闇の気配が、ばさり、と崩れた。瞬間エドの耳に届いた低周波の異様な物音は、悲鳴だったのか?
それが何だったのかもわからないが、とりあえず危険は回避されたようだ。
彼女は最初から最後まで、そいつに目もくれなかった。
「んで博士、目的地は?」
「案ずるな。〝道〟があるわ。散歩道じゃの。」
ということは、この通路は頻繁に使われていたのだろう。
「遺体処理のためですか?この辺りに放り出しときゃ簡単そうですが。」
「そうではあるまい。この空間は不安定じゃ。発見されたくないものを確実に処理することには向かぬ。」
「ということは、手入れ逃れ用か。」
「そのようじゃの。だが、最近〝道〟に手が加えられたあとがある。」
「道標がいじられた?」
「ふむ。そのようじゃ。妾は初めから〝踏みならされた道〟を辿ったが、人間ならば道標が頼りであろうよ。」
だとしたら、それはかなりタチの悪いトラップだ。追跡をかわすためか?
視覚もナビも全く役に立たないから、この中では距離も方向も見定めることはできない。道標か、案内人なしで歩ける場所ではないのだ。
ふとカミラが立ち止まる。
「ここじゃの。」
呟いて、向きを変えて二、三歩踏み出し、片手を軽く前に突き出した。
キイっと小さな軋みが上がる。それと共に、闇が長方形に切り取られた。長方形の白い布を黒い壁に貼り付けたような、現実感のない光景が現れる。
出口だ。
〝やっぱ、内陣と似てるぜ〟
のっぺりと均一な白はただ白いだけで、その先は見えない。
入り口では、ただ黒くフラットに見えたのと同じで、知らなければその先にすすめるとは思えないだろう。
カミラと共に明るい場所へと踏み出し、振り向いたエドは、自分たちが作り付けのクローゼットから出て来たことに気づいた。安っぽい造りの、ありふれたタイプ。
クローゼットの中はからだ。なぜか今の今まで2人がいたはずの闇はどこにも見えない。代わりにあったのは、何の変哲もない、クローゼットの奥の壁だけだ。
「一方通行のようじゃの。」
「なるほど。」
機能を取り戻したナビによれば、ここは旧スラムの一角である。入り口のあった156番街の空き店舗からほんの50メートルあまりの場所だ。
実際には闇の通路を500メートル以上は歩いたはずだが、ゴールは出発点からわずかしか離れていなかった。
エドは室内を見回した。チープな家具に手狭な造りは、よくある公営の集合住宅の一室らしい。
この部屋、火事は免れたようだが、破壊のあとは至る所に見受けられた。
壁には縦横に亀裂が走り、床には物が散乱していたが、建物自体は倒壊をまぬがれたらしい。小さなはめ殺し窓は汚れているが割れていないし、ドアは閉まっている。 ナビによれば、地上から15メートル。
20年以上前によく見られた団地の、3階あたりだろうか。
他の部屋はどうかわからないが、少なくともここはまだ雨風を凌げる状態である。
カミラは物珍しそうに周囲を見回した。
そういえば彼女はこの世界に来てから、庶民の住居を見たことはないはずだ。
故郷の世界では強大な力を持つ大公だから、城とか大邸宅しか知らないだろうし。
「そなたの家より狭い造りじゃの。」
「これで普通。リマノじゃ、家賃がバカ高いんですってば。オレの住んでるとこは、官舎でも広い方なんです、あれでも。」
「なるほどのう。小鳥の小屋かと思うたが。」
「こ…」反論しかけて諦めた。
初手から常識が違いすぎる。カミラは大真面目だ。
リュウや千絵なら違和感のない庶民感覚があるが、カミラは全くの別物である。
「どんな世界なんですかね、お国は。」
「こことさほど変わらぬ。ただ、建前というものをあまり重視しないかもしれぬ。」
実力主義。弱肉強食の世界。
弱者はハナから相手にもされず、わざわざ蹂躙する価値もないと見なされているだろう。
様々な仕事を担う人材としての個人は、社会共通の財産だ。従ってそれなりに法律などで保護されてはいるはずで、そうでなければ国家の維持など不可能だ。
逆に強者であっても、加齢や病いなどにより力を失えばそれまで。家族や親戚であろうとも、利用価値がなければ容赦なく切り捨てられる。
かつて不当な扱いをした部下や、虐げてきた家族に復讐されても仕方がないだろう。
他者を正当に扱って来たなら、それなりに庇護を申し出る者もあるかもしれない。
どちらも自己責任だ。
だから、建前だとか綺麗事なと不要だ。
護りたいモノがあるなら力で護る。要らないなら捨て去る。
いたってシンプルな話だ。だが、人類の基準からすれば生き辛い。
「ふむ?ここまでは追えたが、この先は難しいの。痕跡が薄い。」
カミラの言葉にエドは頷いた。
彼女のいう〝痕跡〟がどのようなものか知る由もない。ざっと床を調べてみたが、エドに追えるものは見当たらないようだ。
が。
エドは屈むと、床から小さな黒いものを摘み上げた。
指先ほどの大きさの正六面体だ。
「何じゃ?」
「ゲーム用のダイスですが、この材質、禁製品ですね。」
「…動物の骨のようじゃの。」
「魔獣のツノです。たぶん双角のマモンゴート。博士には何でもないと思いますが、人間にはすこしヤバい品物ですかね。」
カミラは不思議そうに首を傾げた。
「妾は何も感じぬが?」
そうだろうなとエドは頷いた。
ギャンブラーにはゲン担ぎの本能があるから、希少な材料で作られた賽子は格好のお守りだ。効力の有無など関係ない。
「このサイコロには二つ名ってのがありましてね、〝奈落のみちしるべ〟っていうのが通り名です。」
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