56 事件現場
「血痕って言ったか、アリス?どこに?」
「156番街の外れの空き店舗よ。」
「てーと、ニュースラムとの境界あたりか?」
「いえ。ニュースラムと〝廃墟〟との境界ね。何度も店主が入れ替わっているけど、ある日突然いなくなるか逃げ出すかって場所らしいわ。」
「アッチがわか。そりゃヤバいな。」
昼前の、エドのオフィスである。
外出から戻ったエドを迎えたのは、アリスとカミラだった。
156番街は商業区画だが、華やかな高級ブランド店が立ちなぶ中心街からはかなり離れている。
かつての〝暴動〟で壊滅した旧スラムの廃墟を囲むように広がる、商業地区の一部は、現在新たなスラム街とみなされていた。
いわゆる〝危険な〟場所である。
156番街は、これを貫くように伸びる街区だ。
隣接している商業区の一部を含めて、リマノきっての歓楽街として知られていた。
性風俗店各種や飲食店、クラブ、違法合法様々なカジノまで、およそ快楽の提供に関しては欠けるもののない場所だ。
観光客が身ぐるみ剥がれるのはまだいい方で、傷害事件やら殺人事件などは日常茶飯の出来事である。人身売買と当局による摘発は、「年中行事」と陰口を叩かれるほどのイタチごっこだった。
一つの違法組織が摘発されれば、すぐに別の組織がそれに取って代わる。
事件絡みの〝行方不明者〟の大半は生存しているはずもない。いくら人が死んでも新しい人材はふんだんに調達できるから、命の値段は暴落の一途だった。
巨大な国家連合体である〝連邦〟の津々浦々から、首都惑星リマノへと流入する人々の奔流は、止まることを知らない。
移民受け入れには厳しい制限があるものの、ありとあらゆる手を使ってリマノに渡ろうとする者はカウントすら不能の数だった。
「あれても97%までは、水際で阻止しているのだけど。」
とは、アリス・デュラハンことリマノの支配者ラグナロクの言である。
「しかしなあ。血痕、か。」
旧スラムの周辺で行方不明者が多いのには理由がある。
遺体の処理が、驚くほど簡単なのだ。更に言うと、殺すまでもない。
生きたまま手足を縛って、旧スラムの廃墟に放り込んでおけばいい。昼の間なら、さほどの危険なく行える〝作業〟である。 やがて夜ともなれば、何者かが、哀れな犠牲者をどこかへ持ち去ってくれる。
完璧に。跡形もなく。
旧スラムが壊滅し、今も廃墟のままなのは、そこに棲みついた、あるいは夜毎訪れる異形のものとものせいだ。
だから、今アリスが言ったような血痕などは、むしろ珍しい部類なのだ。
「鑑識は、それがあの男のものだと断定したんだな?」
「ええ。以前受けた遺伝疾患の治療の際にDNAが登録されてたの。」
「ああ。それでか。血液の状態は?」
「〝フレッシュ〟よ。血痕の形状からも、偽装の恐れはないわね、なんらかの事情で、その男はあの場で大量に出血したってわけ。」
エドは頷く。アリスの言う〝フレッシュ〟とは、血液に混ぜ物がないことを指していた。保存料や、基準値を超えるアルコール、麻薬や睡眠薬、向精神薬ほかのあ薬剤の類は検出されなかったということだ。
まあこれも、次々に新しい薬物が現れるこのご時世、絶対とは言いきれないが。
「となると…、その男、アダム・ジャグラーは事件に巻き込まれたと見るべきだろうな。」
ジャグラー。ふざけた名だが、リマノでは何でもありだ。まあともかくそれが失踪したギャンブラー伊達男の本名らしい。
「ん?何を熱心に書いてんです、博士?」
「エドよ、面白そうではないか?」
カミラはなぜだかこの一件に興味を持ってしまったらしい。
「いやその、オレの管轄じゃねーし。」
「あらあ、管轄だなんて!今更何を言ってるのかしらね、エド・カリス?」
早速逃げを打つエドだが、アリスは冷たく笑って、エドの背後に回った。長身にハイヒールだから、立った状態では頭ひとつ分はエドより背が高いのだ。
そのまま後ろからエドの首のあたりを抱きしめる。頬に頬をつけながら、恋人同士の内緒話でもするみたいに甘く囁いた。
「業務命令♡」
「パワハラです、監察官どの。」
「なあに?バカなのかしらうちの坊やは。あなたには選択権などなくてよ?」
知っていた。
身に染みて。
そんなわけで、30分後、エドとカミラの姿は例の空き店舗前にあった。
まだ真っ昼間だから、あたりには人影がまばらである。そのほとんどがお上りさんの観光客みたいだ。
ここは歓楽街の外れ。まだお寝みの時間だ。現場の空き店舗の近くの店もほとんどが閉まっていた。
「ここか。」
何の変哲もない空き店舗である。コロコロとオーナーが変わっているらしいが、特に古びた感じはしない。
この区画、奥行きのある店舗の建物が、ビッシリと立ち並んでいる。裏口があったとしても、そのまま旧スラムの廃墟に面しているため、厳重に閉め切られているだろう。大半の建物には最初から裏口は作られていまい。
眠ったような昼下がりでる。
通りには何の危険も見当たらず、怖いもの見たさの観光客もどこか拍子抜けしたみたいな表情だ。
なんか、フツー過ぎ?
ほんとにここがそうなのか?
そんな声がちらほら聞こえてもくる。
だが、夜ともなれば、通りはまばゆい照明看板に照らし出された不夜城と化す。
思わせぶりや露骨なもの。空中に照らし出される店の看板に描かれた言葉や動画の全ては、〝快楽〟を約束していた。
156番街でも、廃墟から遠い方には、華やかな高級風俗店が軒を連ねているが、廃墟と接するこの辺りは場末とされている。
比較的安価かつインスタントに提供されるコンテンツのメインはズバリ〝性〟である。おおかたはそれぞれの性的嗜好に合わせた、それなりで露骨で比較的安価な〝商品〟を提供しているのだが。
一部では、言うも憚られるような商品を取り扱っていると噂されていた。
そうした店は、一見客には秘蔵の商品を匂わせもしない。
店によっては、ただのバーだとかを装ったり、そもそも営業していないフリをすることもある。
当然、違法だ。
だからひどく高価でもある。
この時代、大抵の常軌を逸した欲望ならば、精巧な有機アンドロイドのお相手でこと足りるのだ。そういう〝プレイ〟はかなり高くつくが、違法ではない。更に〝ホンモノ〟と見分けがつかないバーチャルプレイなら、もっと安価で楽しめる。
だが。
この場末には、そんなものに飽き足らなくなった連中を満足させる、特別な〝市場〟があるのだ。別名〝人肉市場〟。
つまり、違法な人身売買の拠点の一つである。
人身売買は、いつの時代もとにかく儲かるのだ。多くは性的な、もしくは労働搾取を目的とするが、臓器などパーツを目的とする場合や、頭脳や芸術などの特別な才能を目的とする場合もある。
いずれに商品と客を正しくマッチングさせられれば、そこには利益が見込めるから、取り締まる側とブローカーは際限のない追いかけっこを繰り広げることになるのだった。
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