53 魔女たちの宴
〝あいつを育てるなんて、苦労したんだろうな、ラグナロクも〟
などと変な同情心まで湧いてきたが、今はそれどころじゃない。
盟主正妃こと神原千絵は、軽い足取りで雪を踏み締め、聖杯に向かっていった。
彼女以外の一行は立ち止まったままである。聖杯が怯えていると彼女は言ったが、それがトマの言う〝悪意〟の原因だったのだろうか。
真実がどうであろうとも、エドは全く何も感じない。
その方面の才能がないのがありがたい場合もあるのだ。
トマとシドを見るかかなり、今は少尉が影響を遮断してくれている訳だろうが、エドはその前も何一つ異変は感じなかった。
聖杯そのものに関しては、であるが。
『アリス。それでどうすんだ、アレ?』
『私は傍観するわ。』
『はあっ?』
『排除するのは簡単だけど、殺しちゃいそうだもの。』
『イヤだからって、お前さんじゃなきゃもっと殺しちまいそうなメンツばっかじゃねえか!リュウなんかサイアクだし!』
『そおねェ。マスターはその気がなくたって殺しかねないわ。少尉は、聖杯のとんでもない力を抑えながら何種類もシールドを展開しているし。だからね、エド?』
アリス=ラグナロクは満面の笑みで、エドの両肩に手を置いた。
『あなたの出番てわけ。よろしくね。』
『はああぁ〜っ!!待てコラぁ!』
何の話かというと。
エドが最初それに気づいたのは、シューズリーン森林の外れに辿り着いたときだった。
シドが、雪の下を流れる小川の話をしていた頃だ。突然エドの警戒網の端っこに引っかかったものがあった。
〝人間?スノーモービルか?かなりの速さだが…。〟
高速でこちらに近づいてくる気配。
ラグナに施された、マシンアイの改良実験のおかげで、並みの人間とはかけ離れた知覚を得たエドだが、最初は気にも留めなかった。
何故なら、エドに感知できるものならば、ここにいる人外どももとっくに把握済みに決まっているからだ。
だから、何となく傍観者の立場を決め込んでいた訳である。
それが。
『じ、冗談じゃねーぜ、ラグナさんよっ!あんなモン、オレっちにどうしろと!?』
『あらあ、簡単よ。制圧なさいな。あ、でも、傷つけないでね。相手は連邦市民だから特に気をつけて。あなたも知っての通り盟主陛下は、公務員の品位保持と法令遵守にはうるさい方だから。』
『んなっ!?だ、だって今のアレは市民ってか、つまり、雪女だろがっ!』
そうなのだ。
そいつ、つまり雪原の魔女だか雪女だかは今、視認可能なところまで近づいていたのだ。そしてなおも近づいてくる。
とはいえ、通常の視覚ては、それはただのモヤの塊にしか見えないだろう。トマがスノーキャラバンで遭遇した、宙を飛ぶ魔女は、丁度こんな感じだったに違いない。
シルフェリに憑かれた人間であることは間違いないのだろうし、リュウに抱きつこうとしていたあの女と同じ化け物でもある。どっちにしても、瞬時に人間を凍らせる能力を持つ妖物だ。
〝ジョーダンじゃねえっ!正体が何だろうが、あんなモヤみてーなモン、どうやって拘束すんだ!?しかも殺すな傷つけるなって!?そりゃ無理ゲーってモンじゃね?〟
が、そいつはもはや岩山の直近まで来ていた。
〝目的は何だ?〟
聖杯の奪還?まずはそれなのだろう。立ち止まったソイツは、今はモヤではなく明らかに女の姿をしていた。だが、そのディテールは妙に曖昧だ。
はっきりしているのは、長い金髪。
ソレは、一瞬、雪の上に立ち尽くした。
戸惑っている様子である。聖杯を目指してきたのならば、地下にあるべきそれが地上にあること自体に混乱しているのだろう。
が、それは一瞬の逡巡に過ぎなかった。
岩山の断面から真っ直ぐに聖杯に突進する。聖杯以外何一つ目に入っていないようだ。ドラゴンすらも。
「危ないっ!」
叫んだのは誰の声だったのだろうか。
ソイツの突進経路には、防寒着に包まれた華奢な少女の姿があった。千絵である。
彼女の姿も目に入らない様子のソレは、ただ聖杯めがけて突進する。その足は、全く雪原に触れていない。
あわや衝突、そう思われた時。
パシッ!
音と共に、魔女の体が弾かれた。魔女は雪に落ちたが、全く怯まない。
ばね仕掛けみたいに積もった雪から跳ね上がり、再度聖杯へ突進する。とんでもない身体能力である。
更に2度、3度。
エドにはそれが、少尉のシールドに弾かれた結果だと分かっていたが、魔女には理解できないらしい。
その気になれば簡単に、そして永久に彼女を排除できる力の前で、尚も虚しい捨て身の突進をやめないのだ。
考える前にエドは駆け出していた。
少尉のシールドは弾力があり、それが魔女の身体へのダメージを軽減しているようだが、こんな突進を繰り返しては、憑かれた人間の女性が保たない。
後先無視して飛び出してから、ようやくエドの思考が体に追いついた。
だがもう止まれない!
「少尉っ!」
叫ぶと同時に、エドは魔女に組みついた。女は長身だ。小柄なエドよりもずっと背が高く、しかも人間離れした怪力と反射神経の持ち主である。
魔女の体に触れようとした瞬間、その長い腕の強烈なバックスイングに肩を強打されたが、それで怯むエドではない。返す腕の、凶悪な爪を避けつつ、躊躇いなく相手の懐に飛び込み、更なる攻撃をいなしつつ制圧にかかる。
問題は、あの冷凍能力である。そのことを思えば、無謀なタックルだったが。
『了解。』
少尉の涼しい声が頭に響いた時には、エドは後ろ手に回した魔女の両手に拘束具を嵌めてロックしていた。更に、その両膝をも拘束する。
僅か数秒の出来事であった。
この特殊な拘束具、相手が肉体を持つ限りは脱出困難な優れものである。とりあえずは制圧完了だ。
エドは、雪の上に尻餅をついた。呼吸が荒い。強打された肩にズキンと痛みが走る。当分、潰れた筋肉の痛みに苦しみそうだが、骨は折れてはいないようだ。まあ、ヒビくらいは仕方ないだろう。
しかし、これでは女の骨が心配だが。
「よう、ありがとさん少尉。」
と、これは、魔女の冷凍能力封じへの礼である。
「けど、大丈夫かね、このヒトの手?」
『大丈夫でしょう。シルフェリの支配下では、すべての組織に強力なバフがかかっていたようですから。』
「ならいいか。まあ、ここにゃお医者様が2人もいるしな。…イテッ!!」
「これ動くでない、エド。筋肉が一部挫滅しておる。重傷じゃ。」
いつのまにかエドの背後にカミラがいた。単に居ただけではなくて、痛めた肩を慎重に治療中である。
エドはすっかり忘れていたが、カミラ・ヴォルティス博士は、死者すら蘇生させる魔界の名医であった。
ただし、死にたてに限るらしいが。
「あ…。」
「これでどうじゃ?」
「ハイ。ありがとうございます、博士。」
と素直に礼を言ったのだが、エドはやや釈然としなかった。
「ようアリス、オレに制圧させなくても、お前さんがサクッと殺って生き返らせた方が…」
「お黙りなさいな。博士に失礼よ。それに、私が手を下せば、そもそも蘇生させる体が残るかしらね?」
「う…。」
その通りである。アリスは暗殺用などではなく、大規模戦闘に特化したアンドロイドだ。
場合によっては、チリすら残らない。
「ま、まあそれもそうだな…。」
やっぱりどこか釈然としないか、アリスに逆らっても勝ち目はない。
だがしかしだ。
「アリスさんよ、あの、ちょっと聞いていいかい?」
「接近してる気配のことかしら?」
「ああ。あれって?」似ている。スピードも、サイズ感も。
「お仕事よ、あなたの。」
「エッ!?たしか、魔女って、3人なんだろ?んで、今のコレと、リュウが殺ったのどで2体だから、後は1人じゃ…?」
だが、接近する気配は複数である。
「捜査官。それなんだが。」
咳払いして、トマ・カーソンが口を挟んだ。
「魔女が3人というのは、比喩だ。この地方の人間の外見は、見ての通り、非常に似通っている。薄い色の体毛、虹彩。違うのは身長と体重くらいだ。その上シルフェリの影響下にある魔女の外見は、妙に曖昧になるから、過去魔女を目撃した者が、便宜上大まかに3タイプに分類したのだろうが、実のところ…。」
エドには結論が見えていた。何とも許容し難い結論だが、納得するしかない。
「つまり、カーソン氏。魔女は何人いるかわからないってコトだよな。」
「ああ。その通り。」
首をしっかり縦に振られてしまうと、もはや諦めしかない。
聖杯めがけて殺到して来る気配は、今6体ある。
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