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エドと博士のはみ出し日記  作者: WR-140


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52 イドの聖杯

 岩塊がその全容を現した。

 サイズとしては、ただの岩ではなく岩山というに相応しい。平らな雪原にいきなり出現し、その大きさの前にはドラゴンすら小さく見える。

 それは、文字通り地中から引き摺り出されたのだ。これほどの大質量が失われれば大地は陥没するはずだが、なぜか雪原は平らなままで、どこも凹んではいない。

 どうやったかは不明だが、これも少尉の仕業なんだろう、とエドは思考を放棄した。

〝ん?あれは…?〟


 いつのまにか、リュウの手に握られていたのは、鈍い光を帯びた金属の杖だった。

 長さ20センチ程度、太さは指ほどもない。全体は雪雲似た鉛色て、先細りになっている。

〝アレか。〟

 エドはそれに見覚えがあった。

 今まで何度か目にしたことがあるが、そのたびに姿形は違った。

 ならば何故同一物とわかるかと言うと。

〝博士の日記帳の同類だよな、アレ。〟

 その神出鬼没ぶりである。

 タメの動作一つなく、彼は無造作にそれ

を前方に突き出した。単に棒切れで何かを指し示すような、脱力した動作である。

 が、その効果は絶大であった。


『お、おいアリス、あれって…?オレの目がどうかしちまったのか?』

『あなた何が見えてるのかしら、エド?』

 エドはほぽ無意識のうちに、袖でサングラスを拭った。カメラアイにゴミがついたのかと思ったわけだが、そうではなかったらしい。

『消えた。岩山の、こっち側半分がそっくり。』

『なら、貴方の目は正常ね。』

 こともなげな返事である。

『いや、おかしいって!どこいっちまったんだよ、岩山の半分!?ガワだけだが、量にしたらとんでもねーだろっ!質量保存の法則とかはどうなっちまったんだ?』

『消えたのよ。それだけたわ。』

『き、消えたって…。』

 質量が消えた。

 それは見ればわかる。

 普通なら質量がエネルギーだとか、何か別のものに変換されたということになるのだろうが。

 熱や光。

 そんなものは全く感じなかった。

 更に一瞬の間に巨大質量が失われたならば(あるいは現れたならば)、それだけでも何らかの異変が起こらなければならない。

 先ほど少尉が本来のドラゴンに変化した時、強力なシールドを介しても風は吹いたのである。それは多分少尉の権能で、ほんの微風程度になるよう調整されていたはずだが、それでも閃光と突風は存在した。


『なあアリス?』

『どうしたの、改まって?』

『リュウは、よくまともに育ったなあ。』

『は、はあっ?』

 いつも冷徹なアリス=ラグナロクだが、なぜだかエドの言葉に動揺したらしい。

 戦闘端末〝アリス〟は全くの無表情である。しかし全機能で、エドに注目しているのがわかる。人間なら驚愕からのガン見だろうか。

 エドにとっては、かなり意外な反応だ。面くらいはしたが、考えは変わらない。


『いや、だってよ、あんなチカラがあったら、オレだったらガキんときに自滅してらあな。そしたら、世界の半分くらいは道連れになりそうなもんだけどな。』

『半分では済まなかったでしょうね。』

 そうぽつんと呟いて、アリスは岩山の方を向いた。

『行くわよ、エド・カリス。』

『お?おう。』

 気がつけば、リュウと千絵は既に数メートル歩き出している。その後ろにカミラ。彼女はふわふわと、数センチ浮いたまま2人の後を追っていたが、ふと首だけ振り返りエドを見た。

 何だか意味深な目付きである。

 だがカミラは何も言わずに、また正面を向いた。


 近づくにつれ、異変の細部が明らかになる。岩山全体が中空のドーム型なのはわかっていたのだが、そのこちら側半分の壁が綺麗さっぱり消えていた。

 切断面は非常に滑らかである。

 まるでガラスかプラスチックでコーティングしたかのようだ。

『あるいは高熱でガラス化したか。』

『熱ではないわね。分子構造を変化させただけだわ。』

『…。』だけ?その方が熱よりずっと怖い。音も熱も光も何もなく、ただ一瞬の内に。

 どうした物理法則!?


 化け物、と言うは容易いが。


 エドは、前を行くリュウの肩のあたりを見た。リュウの幼い頃の話は断片的にしか知らないが、それが恐ろしく孤独で過酷なものであったことはわかる。

 こいつは神族の基準からしても、ガチの化け物だ。だから実の父親が、生まれる前に抹殺しようとしたのは当然だ。

 生まれてからも、いまアリスが口にしたようなリスクがあったのなら、幼い日、リュウの養育を担った人外の化け物どもすら命懸けであったのだろう。


 不用意な力の行使を防ぐため、赤ん坊の五感を切り離し神経系を遮断し…。

 完全な暗闇の中、身動き一つ出来ないままに、ラグナロクや、父親の腹心である異世界の怪物、ケルベロス将軍らによって養育されたのがリュウだ。

〝そんなで、よくもまあまともに育ったよな、コイツ。いや、マトモか?〟

 まとも、とは言い切れないところは多々あるが、多少のことは許されていいとも思う。例えば、妻に対するエグいまでの執着だが、それは相手が許容しているし。


〝いやほんとにそうかねえ?千絵ちゃんは赤ん坊の頃からコイツに育てられたわけだし、彼女に逃げ道なんぞハナっからなかったんじゃねえか?〟

 と思った瞬間、何故だかリュウが振り向いて、目が合った。

 それは一瞬だったが、リュウの目元が確かに笑っていたのを、エドのマシンアイは見てとった。

〝か、確信犯だ、コイツ…。

 同情して損したぜ。

 どーせこちとら、女房はオロカ彼女すらいねーよっ!〟


「おお…。確かにイドの聖杯じゃ。」


 カミラの呟きを合図にしたかのように、一行は立ち止まった。

 岩山の、消えたこちら側の壁まで、およそ距離10メートル。

 あらわになった内部は、滑らかな壁で囲まれただだっ広い空間である。綺麗な左右対称形。どう見ても天然の洞窟ではない。

 その中央、まるで台座のような型に地面から突き出した石柱の上に、何かが置かれていた。


〝あれが聖杯か〟


 距離はまだあるが、それは確かにカップの形をしている。実用サイズだ。

『案外小せえな。しかも地味じゃね?』

『そうね。でも、バリアが消えたから私にもわかる。あれがとんでもないメカニズムで動いてるってこと。』

『メカニズムって…?』

 エドにとってそれは、ただの大きめのカップに過ぎなかった。鈍い青緑色の、足付きのカップである。材質は半透明で、正体はよくわからない。貴石か宝石の類いかもしれないが、それだけのことだ。

 つまり、単なる食器というか器物に過ぎないから、メカニズムと言われても戸惑うしかない。

 ふと振り向いたエドは、青ざめたトマとシドの2人と目が合った。

「…大丈夫かあんたら?だいぶ具合が悪そうにみえるぜ?」

 シドが首を左右に振る。

「俺は大したことないけんど、爺様が。」

 確かに。

 顔色はトマの方がよほど悪い。立っていられるのが不思議なほどだ。

「…あれから強い敵意を感じる。私はこれ以上近付かないほうが良さそうだ。」


「おーい少尉!何とかならねーのか?」

 エドの言葉に、ドラゴンがこちらを向いた。

『失礼。』

 〝内緒話モード〟と似ているが、その〝声〟は、全員に聞こえているようだ。つまり、カイは発声した訳ではなく、ダイレクトに言葉を伝えたらしい。

「お…。」

 トマが声を出した。

「楽になったようだ。ありがとう、黒猫くん。」

『どういたしまして。』

 そう言いながら銀のドラゴンは、確かに笑った。

〝黒猫くんって…。かなり度胸はありそうだぜこの爺さん〟

 確かに少尉は少尉に違いないのだが、ドラゴンの圧倒的な威容を前にそう呼びかけるなど、並の神経ではない。


「それじゃ、私の出番だよね。」

 千絵が一歩踏み出した。

「大丈夫か?何なら俺が。」

 彼女は振り向きざま、夫の鼻先に人差し指を突きつけた。

「ダメに決まってるでしょ。聖杯が溜め込んだ穢れを浄化するのが私の仕事。だからそこから動かないで!龍ちゃんて、ホント壊すことだけが得意すぎるもん。聖杯は怯えてるわ。」

 サラリと言い捨て、彼女は歩き出した。

「千絵…。頼むから…。」情けない呟きは綺麗に無視された。リュウはその場から動かない。

 結局、手玉に取られているのはいつも男の方かもしれないな、とエドは思う。

 女ってのはまあ、肝が据わっているというか、いざとなると男より度胸があるというのか。

 あの暴動の日、エドが奇跡的に生き延びたのは、祖母と伯母のおかげだった。彼女らはその引き換えに命を落としたようなものだが。

〝オレにあんな度胸があるかな?婆ちゃんらは躊躇いさえしなかった…。〟

 それに引き換え。 

〝コイツですらこうだからな〟

 その地位も能力も、人類と呼ぶにはあまりにかけ離れた怪物だが、今は愛する女の身を案じてオロオロする、いたって普通の男にしか見えない。

 カミラの忠告を退け、本人の意志に任せるだとか、カッコのいいセリフをほざいておきながら、いざとなったらこれだ。

 まあそれだから、エドは彼が気に入ったわけでもある。

 


お読みいただきありがとうございます!

雪女の物語は、あと数回で終わりますので、でうか最後までお付き合い下さい。

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