49 魔女と聖杯
はみ出し者。
確かにそうども言えるのだろう。この地の魔女は、本来のライフサイクルから切り離されてしまった存在なのだから。
「博士、その、何とかの聖杯ってのが、オレは気になるんすけど?」
「イドの聖杯じゃ。我らの言葉にいうイドとは、そのまま生命を意味する。」
つまり、生命の聖杯。それは先ほどカミラも口にした通りである。
「おそらく妾が考える通りのことが起きている。魔女が遺体を捧げる対象こそがイドの聖杯であろうの。」
小さくため息をついて、カミラは龍一と千絵を交互に見た。
「龍一さま、我が君が貴方様に伝言を託されましたのは、おそらくこの事態を見越しておられた故でありましょう。」
この事態?
戸惑いが広がった。エドにも他のものにも意味不明だ。しかし、龍一はゆっくりと頷いた。その声は穏やかだが、圧倒的な深みを帯びて響いた。
「そうだな。これ以上の〝事故〟は望まぬ。妻を傷つけたくはないのだ。だが博士、聖杯が誤った使い方をされて来たのであれば、カーソン氏が懸念されている通りに、第二第三の暴走程度ては済まず、地脈にも影響があろう。故に尋ねる。あなたはこの地の壊滅までに、どれほどの時が残されていると思うのだ?」
一瞬、空気が凍りつく。
今まではただ、少し風変わりな生き物についての情報交換がされていたのではなかったか?
シドは不安げに顔から顔へと視線を走らせ、トマは目を伏せて険しい表情だ。アリスは何ごとか〝考えて〟いる。カミラは無表情だが龍一から視線を外し、千絵はカミラを見ていた。
〝わけはわからんがつまり、実は非常事態ってことかよ〟
と、エドは納得した。
今すぐここから立ち去ることを強く勧めたトマ・カーソン。
今の彼の表情を見る限り、懸念が最悪の形で裏付けられたらしい。
リュウは相変わらずポーカーフェイスだが、ごくわすかながらその存在感が重さを増している。
〝神気…?ヤバい!〟
エドが身構える前に、リュウの膝の黒猫が瞬きした。不可視のドラゴンシールドが、彼のご主人を包む。
同時に、つと彼に歩み寄った千絵がその肩に手を置いた。自然な動きだが、それが牽制であることはエドにもわかる。
リュウ。最強神族〝紫の宮〟を鎮めることができるものは彼女をおいて他にない。
「火山活動程度ならば暫くは抑えられましょう。されど、聖杯はあまりにも強力な神器にございますゆえ、地殻自体が捻じ曲げられ砕けて混沌に帰するまで、持って3日かと。その影響は、速やかにこの大陸全土に波及いたしましょう。」
「わかった。聖杯が眠りから覚めたとオルテア殿が気付かれたのがあの動画の日だが、事態が動きそうだと2度目の伝言があったのが今日だ。さて、どうする千絵?」
「聞くまでもないでしょ。そんな危ないものさっさと回収するしかないわ。」
カミラが素早く立ち上がった。表情はエドが見たこともないほど険しく、しかもその全身から放射されたのは…!?
〝魔気!?うわわわっ!マジキツいぜ!今度はコレかよっ!〟
だが、再び黒猫が瞬きした。
〝あーあ。ボクこんなのばっかり…〟
そんなカイの嘆きなど知る由もなく、カミラは険しい視線をリュウ達に向けた。
「恐れながら、両陛下!今聖杯に妃殿下が近付かれれば、お子様方にどのような影響があるかは未知数です!」
千絵は、柔らかに微笑んだ。
「大丈夫。私たちの子供ですから。それにその聖杯はかつて私のものでもあったのでしょう?」
エドは仰天した。
『ど、どういうことだよアリス〜?!』
『後でね。』
「千絵とお腹の子は俺が守る。あなたも力を貸してくれ、ヴォルティス大公。」
そう言われては、さすがのカミラもその場に跪くしかなかった。
「御意、陛下。御心のままに。」
「あー、つまりリュウと千絵ちゃん、その、あんたらおめでたってこと?」
「そうなんだけど、色々あって。生まれるのはまだずうっと先よ。」
「だな。内密に、エド。」
「ああ。オレはいいけどよ。」
エドはチラッと部外者2人を見た。2人とも何故か正面を見たまま固まっている。単なる茫然自失というより、何が別の状態に見えた。ただショックを受けただけという感じではない。
『あ。さっきのアレのせいか。魔気に当てられちまったんだな?』
『だわね。免疫のない、しかも感受性の高い人間にはかなり効くわよ。前後数分の記憶が綺麗に飛ぶくらいにはね。』
『あ〜。気の毒に。』
カミラの存在に慣れ、そっち方面の感受性がほぼゼロのエドは、正直ホッとした。
『なあ、アリスよ、聖杯が千絵ちゃんのものだったってどういう意味?』
『聖杯を贈られた皇后は、人間だったの。その人が現在の魔皇陛下の母上ね。実は略奪婚の被害者なんだけど。要は姫は、ほぼその女性と同じ遺伝子を持ってるってことね。もちろん別人だから、個人的に記憶はないわけだけど、ゲノムパターンは正当な所有者として、聖杯に刻印されているはずよ。強大な魔力を持つものが宝物を贈る場合は、それが普通なの。』
『あー。盗難防止だか追跡だかのタグか!それで聖杯探しに千絵ちゃんてわけな。うん、了解。』
しかし、魔族の皇帝が半分人間だなんてとんでもない情報だった。
〝ま、オレにゃかんけーねーが〟
茫然自失の2人に改めて説明がなされたが、人外どもが当然としていたことがエドには色々わかっていなかった。
なので、エドとしては解説がありがたかったのである。
まず、イドの聖杯なるものは本来なら命を与える神器である。
生命体が負った傷を治しその寿命すらのばすという、生命の器なのだ。
遥か昔からシューズリーン森林のどこかに、それは存在していた。
人間に誤って入り込んでしまったシルフェリは、聖杯の近くに行くことで命を繋ぐことができたのだが、所詮は人とは相容れない生命体である。だから、満たされない繁殖の衝動が、人間の本能と奇妙に混ざり合った結果、〝魔女〟が生まれたのだ。
若く美しい男を好む化け物が。
シルフェリは、男性には入り込むことができない。仮に入り込んでも待つのは速やかな死のみである。
だから、生まれるのは魔女のみなのだ。
満たされぬ衝動から、魔女は若い男を求めるのだが、結局は男の死で短い恋は終わる。本来ならば正しい相手と一体化するために必要な物質変換の能力が、間違った相手には誤作動してしまう結果である。
これが〝雪女〟のカラクリだった。
そして、意味もなく殺された男の遺体を魔女たちは聖杯への捧げ物とした。その動機はよくわからないが、自分にとって価値あるものを、崇拝対象に献じるという、単純な衝動が元だったのかもしれない。
だが、聖杯は遺体を嫌う。嫌うというよりも、死の汚れそのものが徐々に聖杯を汚染していってしまう。
ヒトの体内に蓄積する毒のように。そしてそれがある一定の水準を超える時、生命の器が溢れてしまうのだ。
最初の頃は特に問題にはならなかっただろう。聖杯はそれだけ巨大なな容量をもつ。さらには、神器と呼ばれる器物の一部に付与される不壊属性のお陰で、キズひとつつくこともなく、ただまどろみ続けていたはずだ。
しかし穢れの供物が度重なるにつれ、溢れる力はより無差別に世界を揺さぶる。
この数100年、理由のわからない不気味な現象の頻度が、明らかに上がっていた。
活発化する火山活動や、シューズリーン森林の拡大、度重なる群発地震…。
異常現象はシューズリーン森林周辺から次第に広がっている。トマ・カーソンはこれらの現象の関連性を、朧げにだが感知していたのだ。
それが〝魔女〟に関係していることも。
だから〝呪い〟なる形容が出たわけだ。
ミア・パースに何が起きたかは、エドにもおおよその見当はつく。
ミアはおそらく、誰かの体内に隠れていたシルフェリに気付いてしまったのではなかったか。そして、相手を強く追い詰めてしまったのではないか、と。
ミアは、トマと同じく、何か不気味なものが迫りつつある気配を感知していただろう。
真相はもはやわからない。
だが、ミアは相手を人間ではないと思ったはずだ。その存在と不吉の影を結びつけるのも頷ける
トマは黒猫に巨大な影を見はしたが、それが何かを特定するには至らなかった。ミアが彼より少し強い力を持っていたところで、全てを見抜くことはできなかっただろう。
ミアから、「お前は人間ではない」と言われた相手にしてみれば、全く理不尽で不当な言い掛かりである。
彼女にはシルフェリ憑きの自覚などないし、最初は困惑しかなかったはずた。相手の頭がどうかしたとでも思ったことだろう。
しかし、異類を見分ける能力に自信を持っていたミアにしてみれば、人間のフリをした得体の知れないモノがそこにいるなど、とんでもない脅威だ。
当然2人の衝突は回を重ねるごとにエスカレートしたことだろう。正体を現せ、おまえの目的は何だと一方的に迫る相手に、反発が募るのは必至である。
そして。あの悲劇が起きた。
ミアの追求が一線を越えたとき、相手は身の危険を感じたのだろう。
シルフェリとそれに憑かれた女の恐怖が一致してしまった時、ミアは死んだ。これはある意味、悲劇的な偶然が招いた事故に近い。
ここまで聞いて、シドは目を閉じ深くうなだれた。
「シド、あんたはその相手を恨むかい?」
エドの率直な問いに、シドは首を横に振った。
「今更そんな気はねえ。俺はただ知りたかっただけだ。なんで母ちゃんにあんなことが起きたのか。なあ、聞いていいか?」
「何だ?」
「母ちゃん、苦しんだのかな?」
一瞬の沈黙。
「オレにはわからん。けどよ、同じことが出来る奴に聞くのはどうだい?」
「同じことが…?」
シドは目を上げた。視線は黒猫を見る。
「ボクで良ければお答えします。」
カイは名残惜しげに膝の持ち主をチラ見して、床に飛び降りた。エメラルドの目がシドを見上げる。
「一瞬のうちに、体内の全ての化学反応が止まり、神経の伝達もオフとなります。苦痛を感じる時間などなかったでしょう。」
「そうか…そうなんだな…。」
シドは何度も頷く。どこか吹っ切れた表情である。
『こいつ、母親を殺した相手が誰か知ってたんじゃないかな。』
『え?なぜ?』
『そんな気がするんだ。捜査官のカンみたいなもんかな。』
『そう…。』
『何だ、馬鹿にしないのか?今日はやけに素直だなアリスさんよ?』
『だって、カンって単なるデータの集積だけじゃない気がするのよ。研究に値するテーマね。』
『そりゃそうだな。』
その魔女は、まだ生きているのか。
この件が片付いたら、彼女に何が起きるのだろう。
疑問は尽きない。
しかし、今考えるべきはそれではない。
少し長くなりました。
お付き合い頂きありがとうございます。
次回もどうぞ宜しくお願いします。




