44 トマ・カーソン
トマ・カーソンは、シド・パースの祖母である、エマの弟だ。
このエマが20年前、不可解な凍死体として発見されたミア・パース、つまりはエドの実母の母であり、父がリマノの名門貴族ベルゲンハルトの出だったという関係である。
トマは、若い頃から変わり者として通っていたらしい。質実剛健の実利主義を尊ぶこの辺りの人々から見ると、夢想家の穀潰しという扱いであったという。
つまり彼は数学者だった。
この地方の首都にある大学で教鞭をとったこともある。本来ならここに戻ることはなかったはずだ。だが、10年前の惨劇が彼の運命を変えた。
滅亡した村の一つが、彼の一族の領地だったのである。シルフェリアル・ギガントの暴走により破壊された館には、たまたま次期領主の結婚式のため、一族の全員が集まっていたのだ。
トマを除く全員が。
彼も招待されなかった訳ではなかったのだが、招待状が届いた時、学会のためリマノにいた。
だから、間に合わなかったのだ。
帰郷した彼が見たのは、壊滅した村の姿だった。
淡々と語られる経緯を聞いていたのは、今回リマノから来た全員だった。
『アリス、千絵ちゃんかなり怒ってんなあ。リュウを無視しすぎじゃね?』
『透明人間扱いだわね。龍一さまはポーカーフェイスだけど。』
『いや、あれで結構堪えちゃいるぜ。だけどなあ、アイツが浮気なんぞする訳ないしなあ。』
『それはそうだけど。いい薬だわ。大体マスターは奥様に甘えすぎよ。』
『妾も同感じゃの。』
ピンクの日記帳から顔も上げずにカミラが同意する。
『そうですわよね、大公閣下。配慮が足りないわ。ねえエド、家族というものは、私にはよくわからないけど、家族なら全部理解してて当然だなんて、龍一さまったらバカなのかしら。』
『正に。』
〝家族がいないのはオレも同じだかよ。〟
アリスもカミラもずっとこんな調子で、手厳しいことこの上ない。
ラグナロクの基本設計者は、リュウの実父と聞いている。幼少時からリュウを教育したラグナロクが厳しいのはまだわかるが、カミラについてはよくわからない。ただ、魔王の側近であるだけではなく、リュウ達と、もう少し深い因縁はありそうだった。
しかし、この人外どもに責められるのは、いくら何でも気の毒すぎるのだが。
〝オレだったら泣き出しそうだ…。〟
というのがエドの偽らざる心情である。
さて、10年前の悲劇で、トマは帰郷して、実家の立て直しに奔走しなければならなくなった。一族は死に絶えても、領地は他にもあり、領民の大半は現在だったからである。
しかも主要産業である、クヘナベリーワインの醸造所が半壊するなど、状況はあまりにも厳しいものであった。
領地経営が軌道に乗り始めるまで数年。
彼は、無我夢中で働いた。
ようやく復旧の目処が立ったころ。
「領地で行方不明者が出た。」
「観光客じゃなかったっけ、爺さま?」
「その通りだ。ハンユニゾからの旅行者で、若い男だった。」
「大騒ぎだったのは覚えてる。たしか父親が政治家とかだったよな?」
トマは頷いた。「ハンユニゾの市長だった。本人はモデルだ。」
「あー、そうだった。若い女が特に騒いでたよな。この辺じゃ見ない感じのヒョロヒョロっとした男で…」
と、シドの視線は自然にリュウに向かう。彼の膝には黒猫。猫も彼もゆったりと寛いでいる。
だがその顔は、とんでもなく有名だ。
ニュース界隈は今も炎上中で、彼の画像が出ない日はない。メディア露出に相応しい、稀有な美貌というならその通りだ。しかし、炎上の理由はそれではない。
彼、リマノ本宮の上級医療技官リュウ・カンバラの正体について、がその主な理由である。
盟主妃の愛人?兄?それとも両方?
なぜか、彼が15代連邦盟主であるとの説は、正妃の愛人とか恋人説に比べて魅力がないらしく、棚上げされていた。普通に正妃の夫であるだけでは、大衆受けしないようだ。
それをいいことに、本人はあえて明言を避けている。一連の騒動を面白がっているフシさえある。
彼にしてみれば素顔がバレようがバレまいが、やることは変わらないし、さっさと退位したいのも同じだ。妻は1人で十分。側室など持つ気はないし、リマノ貴族とのしがらみなどもっと願い下げである。
だから、自称『パートタイム公務員』としては、騒ぎたい者は騒がせておくつもりなのだ。
彼にとっては、スキャンダルなど痛くも痒くもない。
強いて言うなら、話題性が必要になったときに利用する、つまらないカードの一枚にすぎない。
彼のこのスタンス、エドには充分理解できるのだが、リマノ貴族は100年経ってもわかるまい。格式がどうの前例がこうのと
不毛極まりないしがらみ沼に、どっぷり浸っているような愚か者には決して。
だが、シドにしてもトマにしても、今はこの顔について悩んでいる暇など、ありはしないのだった。
シルフェリアル・ギガントの発情期暴走はさておき、トマの不吉な確信は揺るがないようだ。それにはそれなりの根拠があるはずだと、エドは見ていた。
「呪い、というのは極端な言い方かもしれない。しかし、今後も別の形で災厄はやって来る。何かが起きているんだ。」
その行方不明事件が騒ぎになったのは、たまたま失踪者が外国人で、有名人であった点が大きい。
だが、トマの見解では、他にも失踪者はいた。それはずっとずっと昔から、この地方で連綿と続いていた不可解な事件の、ほんの一部にすぎない。
「不可思議な形で姿を消すのは、決まって若く美しい若者だ。この土地では、雪原の魔女に魅入られたと言われてきた。伝説の秘境だなんだと呼ばれるこの土地だが、それはまんざら根拠のないことではないのだ。」
と、トマ・カーソン。
「まるで雪女の怪談ね。」
千絵の呟きは日本語だったから、エドには理解できない。それよりも、一瞬前までカミラの前にあったはずの日記帳が忽然と消えた事実の方が、気になっていた。
見回せば、シドとトマも面食らった表情である。日記帳の消失に気づいたらしい。だが、2人とも今はそれどころではないだろう。
「どこから話せば良いのか…。そうだな。あれはもう40年以上前になる。私は、雪原の魔女の1人と出会ったことがあるのだ…。」
少し短くなりました。
次回はもう少し長くなります。
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