43 魔女の呪い?
宿泊希望を告げられたフロント係は一瞬躊躇したが、内線で問い合わせてはくれた。
もはや危機は存在しないが、この地の人々がそれを確信するには、今しばらくの時間が必要であろう。
カイはご主人の肩に乗り、内線通話を〝聞いて〟いたのだが、問い合わせ先もまだ混乱していて、中々埒があきそうにない。
「部屋は急がないので、しばらくここにいさせて下さい。」
そう穏やかに告げ、龍一はロビーの木の椅子に掛けた。カウンターの男は承諾の印に頷きつつ、軽く片手を上げたが、端末の画面から目を上げない。観光客の応対どころではなく、あちこちに連絡しながらの情報収集に追われている様子だ。
白夜だから、外はさほど暗くないのだが、時刻はすでに夜だ。どちらにせよ、交通手段が限られている厳寒の戸外に、旅人を放り出すわけにはいかないだろう。
だから、彼はのんびりとロビーを見渡した。辺りには建材である針葉樹の、清々しい香りが満ちている。
カイのオペレーションの詳細はとっくにラグナロクに連絡済みだが、その内容を普通の人間がすぐに理解するのは不可能だ。
専門家のチームを立ち上げて、時間をかけ綿密な検証でも加えない限りは。
「ここでも寝られそうだな。」
上半身を捻り、彼の長い指が硬い木の背もたれをなぞる。
椅子は大ぶりで、しっかりした造りだった。この土地の人々の体格を受け止めるには、こうである必要があるのだろう。座面には毛皮が敷かれていて、座ったままの窮屈さを我慢すれば、充分寝られそうだ。
「しかし龍一様、お疲れでは?」
必要ならば戸外で野宿することも可能だ。環境などカイにとってはどうとでもなるから、この建物の中より快適な環境を整えるなど造作もない。
「はは。とにかく千絵に会えるまで待つさ。彼女はどうせ俺に気付いただろう。」
他の者はいざ知らず、盟主妃だけは間違いなくそのはずだ。不思議なことに、カイすらトレース不能なご主人様の隠蔽能力も、彼女を欺くことはできない。
〝だからあの映像に気付いたんだろうな〟
一瞬映り込んだだけなのに。
普通ならあり得ない。
カイのご主人様は、フードを目深に被ったまま、半ばうとうとしはじめた。カイは幸せな気分で、その膝に丸まる。姫のことは好きだけど、ご主人さまを独り占め出来る機会は滅多にないから、今は精一杯楽しむつもりだ。
領主館のロビーには次々と人が訪れた。
多くは地元民で、皆不安そうだ。今調査中との知らせを受けてとりあえず自宅やコミュニティに連絡をしているようだ。
そのまま一旦帰宅する人もいれば、ロビーの椅子に座って次の情報を待つ人もいる。最新の情報をいち早く知りたいのだろう。必要なら、ここで夜明かしする覚悟の人々で、ロビーは徐々に混雑し始めた。
椅子からあぶれた者は、躊躇いなく床に腰を下ろしている。
男もいれば女もいる。厳しい土地柄のせいか、皆頑健な体つきで磊落、細かいことには拘らないようだ。
シルフェリアル・ギガントの暴走は、この地方の人々にとっては、大きな災害なのだろう。あちらでもこちらでも、忙しく意見交換する人の輪ができている。
突然、正面玄関に近い場所でざわめきが起こった。カイは、ご主人の膝の上で閉じていた目を開けた。
「呪いだ!」
その声はざわめきを圧して、ひときわ高く響く。吠えるような男の声。
「がルーの呪いだ!シルフェリアル・ギガントの発情も、全ては繋がっている!」
その尋常でない声音に、一瞬しずまったロビーのざわめき。
だが、次の瞬間には、幾つもの反論の声が上がる。中でも他を圧して、別の男の朗々と響く声が、複数の賛同を勝ち取ったようだ。
「馬鹿も休み休み言えっ!言うに事欠いてがルーだと!?いいか、トマ爺さん、今俺たちは現実の災害について知るためにここにいる。伝説の魔女など捨てておくがいいさ。みんながアンタみたいに暇じゃねえんだ!」
だが、トマと呼ばれた男は怯まない。
「いいや!全部繋がっているんだ!わからないのかお前たち?10年前の惨劇も、今回の時ならぬ発情暴走も、それに、20年前の件も!」
「何だそりゃ?俺はその頃まだ5才にもなってねえよ。昔話なら暇な時に聞くから、今は引っ込んでろジジイ!」
1人の若者がそういいざま、トマを強かに突き飛ばした。よほど気が立っていたのだろう。
老人はドアの前に尻餅をついた。低いうめき声が漏れる。
若者は尚も威嚇のポーズを崩さないが、周囲の連中に宥められながら、ロビーの隅に連れて行かれた。トマ老人は別の男に助け起こされ、ドア脇の壁にもたれた。
そのまま項垂れて、片手で顔を覆う。ひどく打ちひしがれた様子だ。
「カイ、20年前何があった?」
突然そう尋ねられたカイは、首を傾げざるを得なかった。てっきりシド・パースの依頼の件を知って、ご主人がここに来たと思っていたのだが。
そうでないとすると。
「戦争犯罪取り締まり局のシド・パースという局員が、カリス特別捜査官を訪ねてきたそうです。その来意は…」
と、知る限りの情報をかいつまんで話した。主君は黙って聞き終え、頷いた。
「ところで、龍一様は何故ここに?」
「別件だ。転移した途端にお前の解析用電磁波を感じたからそれを辿って来たんだ。お前がいるから千絵もここにいるだろうと思ってな。しかし、どうやらエドが依頼されたという事件とも無関係ではないようだな。」
「別件、と仰いますと?」
「オルテア殿の依頼だ。説明は後にしようか。今はついてこい。」
カイは、立ち上がる主人の膝からヒラリと飛び降りた。
オルテア殿、とご主人様が親しげに呼ぶのは、魔剣アビスブリンガーの主人かつ魔界の大公カミラの主君。他でもない、魔皇その人である。
彼直々の依頼となると、内容は見当もつかないが、簡単な話ではなさそうだ。
人でごった返すロビーを抜けて、1人と1匹はあの老人の前に辿り着いた。
この地方の人らしく、大柄で筋骨隆々たる身体の彼は、ジジイなどと罵られるにはまだ若々しく見える。
ただし、彼の表情には深刻な憂慮が暗い陰を落としていた。服装はシンプルで装飾は一切ないものの、質が良さそうなのは一目瞭然である。それなりに地位か金銭的余裕のある人物のようだ。
カイがそこまで見てとった時、ご主人様は前置きなしにトマというその男に話しかけていた。
「呪いとは穏やかでない。」
男はハッとしたように顔を上げる。
「…あんたは?この辺じゃ見かけないお人のようだが?」
「リュウ・カンバラ。リマノから来た。あなたは?」
「トマ・カーソン。」
短く答えて、彼はため息をついた。
「旅行者か。出来るだけ早くここから離れろ。今は危険だ。」
ごく薄い青ともグレーともつかない目。
本来親切な人柄なのだろう、自分自身の心配事は一旦置いて、若い旅人の身を案じているらしい。
「シルフェリアル・ギガントの暴走なら片付いたようだが?」
トマ・カーソンは一瞬キョトンとした表情を浮かべた。
「そうなのか?ならば喜ばしいことだ。まあその件はともかく、それだけでは終わらない。とにかく、可能な限り早くここから離れた方がいいんだ。」
「まだ何か起こると?」
「ああ。必ずな。」とうなずいて、彼は周囲の人々を見回した。悲痛な表情だ。まるで、今にも死にゆく人を見るかのような。
「女主人のゾラに連絡しようとしたが、取り次いでさえもらえなかった。まあ、取り次いでくれたとしても、私がここでは招かれざる客に過ぎない。」
「がルーとは何です?」
「…ガルーとは、この辺りの言い伝えにある魔女だ。ガルーとテグー、メルーは三姉妹の好色な魔物で、雪原の魔女だとか森を彷徨うものとも呼ばれている。問題は、それがただの伝説ではないことだ。」
「そのお話、私たちにも聞かせていただけますか?」
突然の女性の声に、トマは首を傾げた。彼にとっては見知らぬ、小柄で痩せっぽちの少女がそこにいたが、彼女の背後には、トマがよく知る顔があった。
「シド!久しぶりだ。…大きくなった。」
シド・パースは簡単に頷いたが、その目は強い光を込めて、トマを見つめている。
「フロントが俺に連絡をくれた。彼は爺さまの教え子だからな。久しぶりだ爺さま。15年?いや、もっとだなあ。」
「そうだな…。」
「爺さま。俺も聞きたい、その話。一緒に来てもらえるかい?」
トマは一瞬躊躇い、それから深く頷いた。
「ああ。是非。」
「では、私のお部屋にいらして。カイ、お願い。」
「御意。」あーあ、と内心ため息をついて
カイは遮蔽シールドを拡張展開する。完全なものではなくて、他人の認識を曖昧にするタイプのものだ。ご主人様と遭遇して以来ずっと使っていたのだが、どうやらここではトマは、あまり歓迎されざる客のようだから。
「ね、猫が喋った?」
「喋る以外のこともできます。ついてきて下さい。」
澄まして答え、カイは先頭に立って歩き出した。
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