42 黒猫とご主人
「やっぱ、ボクって雑用係…。」
雪原にトボトボと小さな足跡を刻みながら、小さな黒猫は白夜の空を見上げて、ため息をついた。
雪は舞っていないが、空気にはピリリとした冷気が満ちている。肉球がかじかんで凍えそうな気温だ。
猫なら、だが。
シルフェリアル・ギガントの位置はとっくに把握済みである。カイの権能はとんでもなく強力だが、今回の任務ときたら、ただの野生動物を数匹追い払うだけだ。
「とうせ殺しちゃダメって言われるんだ。わかってたけど、逆に面倒なんだよね。」
全然、全く、気が進まない。
だから、この姿でトボトボ歩いている。
それに。
「姫様が落ち込んでるのはわかるけど、何でいきなりこんなトコ来るかな…?ボク、出張から帰ってから、まだご主人様にも会えてないんだ。」
もう一つため息。
「ボクは龍一さまのドラゴンなのに…。」
その出張は、隕石衝突により滅亡の危機にある星から、住民の全てを緊急避難させるという、とんでもないオペレーションだったのだが。
「衝突する前に連絡してよね。そしたら、隕石いっこ破壊するだけで済んだのに。」
小惑星程度のサイズの鉄隕石だった。衝突の衝撃で、まずは惑星の半分が壊滅した。今にも砕けそうな惑星の地殻をキープしつつ、ズレた公転と自転を補正、残された数億人が生存しかつ安全に避難できるように重力、温度、大気などあらゆる環境因子を微調整する。
同時に、連邦各地から緊急で徴発した、星間航行可能な大型船舶の管制と、避難民誘導の指揮、物流管制、火事場泥棒の取り締まりからテロの粛清まで。
全てはカイの基準て〝雑用〟に過ぎない。
再びため息。
「ボク、こんな雑用ばっかなんだもん。」
ご主人様に会いたいなあ、と思う。あのしなやかだが強靭な肩に飛び乗って、甘えたくてたまらない。
きっとそのせいもあって、この姿になったのだろう。
だって、彼本来の姿は巨大すぎて、絶対そんな甘え方はできないから。
「ボク、神皇家のペットなのに…。」
エドの指摘通り、カイの本質はドラゴンよりも、こっちの姿に近いのかもしれなかった。
「カイ。」
黒猫は、ハッとして顔を上げた。
この声!ビロードの滑らかさと、奥深い霧の木霊。聞き違うなんてあり得ない!
「ご主人さま!」
カイは、目の前に忽然と現れた人影に飛び付いた。躊躇いなんか微塵もない。泣きそうなくらい嬉しい。
「ご苦労。出張の報告は受けた。よくやった。」
力強い腕に抱き止められて、そう言葉を掛けられただけで、ほかに何一つなくてもよかった。ただその言葉を聞いて、ご主人のそばにいられさえすれば、何も要らないのだ。
それが主人とドラゴンの関係である。
理屈ではない。
「千絵はどうしている?」
「ショックを受けて、落ち込んておられます。」
カイは理由を説明した。
あの動画についても。
「そうか…。嘘をついたつもりはなかったのだが。」
「龍一さま、なぜここが?」
ラグナロクが教えたはずはないだろう。
カミラやエドも同じだ。カイは連絡したかったのだが、千絵に禁止されていたから逆らえない。
ご主人から与えられた命令は、彼女のいかなる無茶振りにも応えて、不可能であろうともその身を守り抜け、なのだから。
単純明快。
つまり必要なら死ね、ということだ。
カイはそれで本望だった。こんな無茶苦茶な命令を与えられるということこそが、最強の竜たる誇りだから。
「説明は後にしよう。お前にはやることがあったのではないか?」
「あー。」
野生動物を追い払わなければならない。
殺さずに。
カイはちょっと首を傾げて考える。プランはすでにいくつかあった。あとはどれを選ぶか、だが。
プランBで行こう、と決めたらあとは早い。発情期にあるすべてのシルフェリアル・ギガントの神経系と内分泌腺に、ちょっと働きかけるだけのこと。
だが、これを報告書に書けば、数千ページの論文になる。先の惑星脱出オペの報告書が数万ページだがら、どちらも結構なボリュームだ。
〝報告書なんかキライ…。〟なカイだった。
「完了です。」
劇的な展開など何もなく、黒猫は呟く。
「ああ。微調整が上手くなったな。」
労いの言葉とともに頭を撫でられて、カイの表情がぱああっとかがやいた。
「宿はパース館か?」
「はい。あれ、それもご存知でした?」
「前回この近くに来たとき、酒を飲んだ。日帰りだったが、この近くには宿は他にないと聞いた。」
エメラルドの丸い目が主人を見上げた。
「やっぱり来てたんだ。まさか、森林の名前を知らなかったとか言いませんよね?」
彼の主人は黙って目を逸らす。
「図星なんだ。」と、カイ。こんなことじゃないかとは思っていた。
彼は彼でかなり率直かつ容赦ない。
「ダメじゃないですか!姫のお体に障りでもしたらどうするんです!あの姫がご馳走を前にして手もつけないなんて!」
「面目ない。」
彼は、カイを抱えたまま歩き始める。
「泊まれるかな?」
「さあね。満室ではなかったみたいですけど、カミラ様が何と仰るか。」
「なに。博士はあれでなかなか面倒見がいいんだ。彼女の主君から頼まれた伝言もあるし。」
黒猫の背中の毛がさあっと逆だった。カミラの主君。それは、アビスブリンガーと呼ばれる巨大な貝の主人だ。アビスブリンガーは、普段は時空の狭間に住まう怪物であるが、その正体は一振りの剣である。
カイの主人である龍一が、包丁の代わりに使っている神剣カルバウィング。時にはナタ、時にはサバイバルナイフやペーパーナイフ、ワインオープナー代わりにも重宝している、形を自在に変える剣である。
対になる魔剣・アビスブリンガーとともに、太古、異世界からもたらされた伝説の宝剣、らしい。龍一はその片割れをあまりにも粗末に扱っているが、その剣ならばドラゴンすら斬れる。
核の直撃に耐えるドラゴンを。
カルバウィングとアビスブリンガーは、共に意志ある剣だ。彼らを剣として具現化できるのは、剣に主人と認められた者だけである。カイは、自分の主の、底知れない力を知っていたが、アビスブリンガーと魔大公カミラの主君ならば、少なくともそれと匹敵する力の持ち主だろう。
或いは、それ以上の。
〝優しげな外見の方だったけどね〟
一度だけ会ったことのあるその人、つまり魔王は、人間と同じ姿を持っていた。固く閉じた両の瞼が開くのを見たことはないが、それ以外は華奢な若い男性にしか見えない。長いストレートの金髪と、心地よく穏やかな声、静かな物腰。カイは、彼から何の力も感じ取れなかったが、その事実自体が恐ろしかった。普通どれだけ完璧に偽装したって、力の余韻というか、電子の流れを取り巻く磁場のような、空間の微かな歪みまで偽装することは不可能なはず。
あのカミラでさえ、カイの目は誤魔化せないというのに、だ。
〝ボクでも怖い。あのひとが姫や龍一さまの敵じゃなくて本当に良かった。〟
恐れを知らぬはずの、最強のドラゴン騎士カイだが、それが本音である。怖いものはやっぱり怖いのだ。ただその基準が少しおかしいだけで。
1人と1匹は、ほどなくパース館に到着した。
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