41 シルフェリアル・ギガント
シルフェリアル・ギガント。
それは、この広大な雪原の支配者である。つまり、人間を除けばこの地でパワーヒエラルキーの頂点に立つ生き物だということだ。
シルフェリアルという、一見して優雅なネーミングに反して、その姿はかなり恐ろしいものである。
まず、成体は巨大だ。
大蛇というか巨大なミミズというか、基本は直径20〜50メートル、体長は時に1500メートルにもなる、円筒形の身体。その両端は、まるで機械のような、左右に180度回転する円盤に守られていた。円盤の表面には、硬くて鈍いトゲのような突起が乱立している。円盤は強靭な腱によって、強力な筋肉に連結されており、中央には体内に続く穴が開いていた。これは口であり、総排泄口にもなるという特異な器官である。この他に主として水分を排泄する小さな排泄口が代表に螺旋状に配置していた。
つまり、この円盤の回転によって破砕した岩石を体内に吸い込み、栄養となるわずかな成分を摂取して残りを反対の口から吐き出す。
トンネルを掘削するためのシールドマシンと呼ばれる巨大掘削機があるが、シルフェリアル・ギガントは、両端に掘削機を備えた自律型のシールドマシンのようなものだ。
普段は地下深部に単独で生息していて、ゆっくりと岩を喰み、移動しながらのんびりと生きている、のだが…。
およそ普通の生き物とかけ離れた彼らにも、発情期というものがある。
生物である以上、当たり前と言えば当たり前だ。それは通常、20年〜30年に一度の割合で起こるとされていた。
普段なら大深度の地下でゆっくり活動する彼らだが、発情期には暴走する。凄まじいスピードで地下を縦横無尽に掘り進み、時に勢い余って地上にまで出現する個体も存在する。
浅いところで彼らが活動すると群発地震が起きるが、それはまだ良い。
10年前、数体のシルフェリアル・ギガントが地上に現れた。
本来暖かい地下を好み、寒さを嫌う彼らだが、地上で活動できないわけではない。
まるで大蛇のように身をくねらせて、地下よりも更に早い速度で移動する。
雪原でその巨体が通った後には、破砕された雪と氷と土が残されていく。森林ならば、まるでパルプみたいに砕かれたり、ひしゃげて原型を失った木々が撒き散らされる。
そこに村や町があっても、彼らは止まらない。ただ本能のまま暴走を続けるのみなのだ。
だから10年前、その暴走が地上に達したとき、複数の村が消滅した。
この地方の人口密度は高くないが、たまたま暴走のコースがそれらの所在地と被った結果である。
この地の住人は、一次防御として、彼らが嫌う化学物質の層を地下に設けたり、人工的に作った空洞に彼らが忌避する音波を流したりして、防衛ラインを構築していた。
その一つを突破して、彼らの一部が地上に向かっているというのだ。
彼らは、硬い。とにかく硬い。
その体表は、並の兵器を受け付けない。
痛覚はあるのだが、発情期ともなればバラバラに破壊でもしない限り、その動きを止めることはない。
他方で、シルフェリアル・ギガントの活動により、この地の火山活動に由来する希少な鉱物資源が濃縮される。その開発が、貴重な外貨獲得の手段となっていた。
「お客様。誠に恐縮ではございますが、非常事態です。速やかに待避いただけますようお願い致します。」
青ざめながらも、ゾラ夫人が頭を下げた。この一行に特殊な移動手段があることはシドから聞いているのだろう。
「あなた方は避難なさらないのですか?」
静かで澄んだ声が尋ねる。今の今までぼんやりとして、心ここに在らざる様子だった神原千絵が立ち上がっていた。
外見はそのままだが、今の彼女はただの痩せっぽちのティーンエイジャーには見えない。凛とした佇まいには気品と、周囲を圧倒する威厳までが感じられる。
ゾラ夫人は驚いた様子ながら、気丈な微笑みを返した。
「私たちは、領民の命を預かる義務を負うものです。逃げるわけにはいきません。」
彼女の子供たち、それにシドも、皆が申し合わせたように頷いた。
「ですから、お客様方は速やかに待避されますように。」
「いいえ。」
千絵はキッパリと答える。
先ほどまでの半ば存在を消したような様子は微塵もない。
「私にも義務があるのです。連邦加盟国の皆様の命をお守りする義務が。…少尉。」
人形のような少年が、その場に跪く。サラサラしたプラチナブロンドが揺れた。
「私の名において、事態の収拾を命じます。あなたの権能の使用を許可します。」
「御意。」
そう答えて一礼した瞬間、彼の姿が消えた。そしてそこにいたのは…?
「はあぁ?」
シド・パースが間抜けな声を上げた。
彼の家族、それに伝令にやって来た2人の男たちの全員が絶句していた。
その表情は、みな同じ。
「?」
顔の真ん中に特大の疑問符が貼り付いている。
〝普通こうなるよな〟
と、エドは納得した。
何故なら床の上にちょこんと座っていたのは、1匹の猫だったからだ。
ちっぽけな黒猫は、鮮やかなエメラルドのまんまるな目で周囲を見回し、ちょっと首を傾げると、トコトコと出口に向かって歩き出した。
「カイ。」
と、千絵が呼び止める。
「はい?」
「やりすぎないで。殺してはだめよ。」
黒猫は、小さなため息をひとつ。
「御意。ご下命しかと承りました。」
そう言って、黒猫がトコトコ食堂から出ていくまで、誰も動かない。パース一家とその家臣らしい男たちは、申し合わせたように黒猫の後ろ姿を目で追っていた。
「ね、猫が喋った…。」と誰かが呟いた。
「アンドロイドじゃなかったんか…。」
と、シドが呟く。
〝そこかよ!〟内心ツッコミを入れたエドだったが、少尉が出た以上、脅威は何とかなるだろう。頼りになると言えば、これほど頼りになる猫もいないだろうし。
「あの。これはどういうことですか?」
至ってマトモな疑問である。エドとアリスは素早く視線を交わし、アリスがゾラ夫人に向き合った。
「避難の必要はないということですわ。あの黒猫は連邦職員です。彼が対応する以上、被害が出ることはあり得ません。」
地元民の顔の「?」が更に増加したようだが、誰も何をどう突っ込んでいいのか決めかねていた。ここでシド・パースが、発言を求めて片手を挙げた。
「あんのお、ちょっといいっすか?監察官、司法省の偉いさんであるあんたが大丈夫ってんならそうなんだろうけど、でも、ありゃあ猫だよな?人間に化けてたってことはよ、普通の猫じゃないんだろうけど。」
「そうね。もっともな疑問だわ。」
『いやちょい待てアリス!何で…』
エドの内緒話を黙殺して、アリスは厳粛に続ける。
「彼は神秘と伝説の生き物よ。猫の姿はただのお遊び。」
『いや、オレはアレが奴の本質に近いと思う。イテっ!』
テーブルの陰で、強かにエドの足を踏みつけつつ、アリスは華麗な笑みを浮かべた。まさに絢爛豪華とはこういうことだ。
シドの弟と家臣らの顔は一瞬で蕩けた。
ゾラ夫人と娘たちの表情が和む。双子の娘たちは、明らかな憧れの視線でウットリとアリスを見つめていた。
こういうワザは、完璧な外見と現場経験によってこそ破壊的インパクトを得る。
ただ、なぜかシド・パースには不発だったのだが。
「シルフェリアル・ギガントの暴走は、私達にもこの土地にも、なんらダメージを与えはしないでしょう。ですから、私たちは避難する必要もないこと。そんなことより、この素晴らしいお食事をいただきたいわ。」
堂々としたアリスの宣言に、ゾラ夫人は頷いた。もとより、この客たちが連邦の賓客を含んでいることや、アリスとエドが盟主直々にその接遇を任された上級公務員であることは聞いていたのだ。
〝釈然としねーが、ウソじゃないってとこがもっと納得いかねーぜ。〟
かくして、エド(とカイ)の気苦労と受難は、まだまだ続くのだった。
地下に棲む怪物。個人的に大好きです。
次回もよろしくお願いします。




