32 ナサニエル
リスベットがナサニエルによって突き落とされようとした時、必死に抗う彼女の指がナサニエルの上腕に食い込んで、皮下にマニキュアのカケラを残した。
ナサニエルはマケイン医師に対して、その傷を〝記念碑〟と称し、治療を拒否したわけだが。
「エド、その言葉、そなたはどう解釈するかの?」
「そりゃあ、ナサニエルの連続殺人の、最初の犠牲者ってことじゃないんですか?」
「それもあったかもしれぬ。じゃがのう、ナサニエルは彼なりに苦しんでおったのじゃ。両親の暴力、逃げ出した兄、先行きの見えない絶望的な状況の中彼はリスベットを崖から突き落としたが、それが偶発的なものだったか、はっきりした意図があったものかはわらかぬ。だがリスベットは死に、ナサニエルは気付いたのじゃ。邪魔者がいるなら排除てきるという事実にの。」
邪魔者。ナサニエルにとっては両親こそがそれだ。
まさか…!?
「気付いたようじゃの。リスベットの死後数年の間、ナサニエルは成長しながらじっと時を待ったのじゃ。やがてスポーツで頭角を表した彼は、長年暖めてきた計画を実行に移した。事故に見せかけて両親を抹殺するという計画をな。」
「ナサニエルの身上調書には、接地走行車の事故で両親死亡となったましたが…、」
そういうことだったのか。だから、記念碑なのだ。ナサニエルという絶望した子供が、希望を見出した記念碑。
それは凄惨な希望だ。
殺すことができる。排除することができる。非力な子供に過ぎなかったナサニエルにとって、その認識は、どれほど強烈だったのだろうか。
八方塞がりの現実から、どうしても逃れられないと絶望していた幼い少年は、その希望に縋り、酔いしれ、唯一の生きる意味とし…。
「ゾッとするぜ…。」
そして、ナサニエルはそのチャンスをモノにした。だが。
「そうじゃ。そこで止めることが出来なかった。ナサニエルは壊れてしまっていたのかも知れぬ。リスベットの姿はナサニエルには見えていなかったが、リスベットはずっと彼のそばにいた。そして壊れていくナサニエルを見ていた。彼女がどんなに望んでも、ナサニエルは彼女を見ることはなかったのじゃ。リスベットは、彼が壊れたのは自分のせいだと考えていた。」
エドは首を捻る。
「そりゃヘンだ。リスベットには何の責任もないじゃないっすか。強いて言やあ被害者だ。」
「客観的にはそうなるの。したが、リスベットは誰からも必要とされない子供じゃった。そうした子供の自己評価は、ボトムラインより更に落ち込む。かつての妾のようにのう。」
「は?」
意味がわからない。
カミラ・ヴォルティスは魔界の大公である。大公とは、通常王位継承権を持つ者の中でも最高位であり、称号のようなものだとエドは理解している。爵位でいえば公爵だろうが、さらに別格の存在であるということだ。公爵が複数人存在しても、大公は不在ということもある。
「昔の話じゃ。我ら魔族の繁殖率は極めて低い。長い長い生涯に亘り、1人の子どもも持てなかった者が多数派となれば、種は衰退するしかない。妾の両親は、やっとの思いで妾を産んだが、その妾は生まれつき生殖能力を持たなかった。」
淡々とした口調だった。
「いやしかし、博士はその、実力者なんでしょ?」
「確かにのう。両親もかなりの権能を持ってはおったが、彼らの基準では妾は化け物じゃ。それゆえに、妾は捨てられた。」
「…!?」
更に意味不明である。
魔族とは徹底した実力至上主義者ではないのか?ずば抜けた力を持つ継承者が誕生したなら、他の勢力に対抗する意味でも手放すなどあり得ない。
エドの言葉に、カミラは頷く。
「通常ならばの。しかし妾の力は、強力な両親をして恐怖せしめるほどに規格外じゃ。そもそも、我らの親族関係はそなたらとはかなり異なるのかも知れぬ。我が子であろうとも潜在的な脅威と見做すのじゃ。特にその子が規格外であれば余計に警戒対象となろう。更に将来に血を残すことすらできぬとなれば、生かしておく必要はないと判定されることもある。故に妾は捨てられた。ふむ、それでは婉曲表現じゃのう。どう説明すれば…。」
カミラはうーんと首を捻る。
「おお、そうじゃ。」と、ポンっと手を打った。
「この世界流に言えば、野生動物のエサにしようとされた。5体をバラバラにした上での。」
「んなっ!?そ、それ、そんなニコニコしながらいうことかっ!」エドは思わずカミラをガン見した。
「落ち着け。何という顔じゃ。」カミラはほほ、と笑う。
「昔話に過ぎぬわ。それに妾は、バラバラにされたくらいでは死なぬ。」
「…は?」
「父上母上もご苦労なことじゃ。わざわざ最も危険な野生動物、そなたらがいうところの超災害級の魔獣の生息地に、妾を捨てに行かねばならなかったからの。」
「…。」エドは絶句するしかなかった。
カミラはただ微笑んで続ける。
「家臣に託すのは危険じゃった。バラバラにされた妾は、何重にも封印を施されカゴに詰められては居たが、それでもかなり暴れたからのう。両親は道中必死で結界を張り続けねばならなかった。」
想像するだに、どうにもコメントが出ない状況である。傍から見れば凄惨でありながら、どこか現実離れしたコメディのようでもあるが、当事者は必死であったろう。
「あのう、博士?」
「何じゃ?」
「お幾つでした、そのとき?」
「この世界の標準時に換算して…5歳か6歳じゃの。」
「あ…。」
「ほら、またそのような顔をする。妾なら大事ない。むしろ大変だったのは両親かのう。苦労して捨てたはいいが、結局、妾は拾われた。ま、その辺りは長い話になるので、今度にしよう。」
いつのまにか取り出したピンクの日記帳をパタンと閉じて、カミラはそれを消した。
どこかに仕舞ったのだろうが、いくら出し入れの瞬間目を凝らしても、ピンクの日記帳は忽然と現れ、消える。
「脱線したが、妾が言いたかったのは、リスベットがナサニエルに対して強い罪悪感を持ってしまっていたということじゃ。ナサニエルのそばにいた彼女は、その犯行の全てを目にしたであろう。彼女は、必死に止めようとした。ナサニエルには自分が見えないなら、被害者に警告すれば良いと考えた。だが、被害者には彼女が見えなかった。」
エドは意外に感じた。
「だって、クストー一家以外の人間には見えてたじゃないっすか?」
「そうじゃな。そこのところが妾にもよくわからぬ。しかし、マケイン医師にはリスベットが見えていたかの?」
「え?そりゃ当然…」と言いかけて、エドは口籠る。マケインは監察医だ。リスベットがずっとナサニエルのそばにいたのなら、何度か彼女を目にしていてもおかしくはないのだが、そんな様子はなかった。見ていないと断言はできない。しかし、見えていたという証拠もないのである。
「リスベットの姿は、クストー一家に強く因縁のある者には見えていなかったようじゃ。運命、いや、因果律の強制力めいた力が働いていたのかも知れぬの。従って、ナサニエルの被害者となる運命の子供らにもリスベットの姿は見えなかった。」
「そりゃあ、何つーか、ひでぇ話っスね。オレだったらおかしくなっちまうだろうなって…。」だから、リスベットは…。
「自分を責めるしかなかったのじゃ。哀れよの。リスベットのせいではないのに。」
しばし2人とも無言になる。




