29 豪雨
盟主妃が安置室に入って、わずか5分。
彼女の後ろにいたガーディアン、カイが合図に答えて一歩進み出た。今日は連邦軍情報将校の仕事着姿で、非常に寡黙である。
いつも作り物めいた姿が、より硬質に人形めいて見えていた。
ざわめき、舞い上がり、少しでも近くから盟主妃の顔を拝もうと挙動不審の署員らとは、少尉は全く異質の空気を纏っていた。感情の真空地帯とも形容したい姿である。
だが、エドは何となく感じていた。
〝少尉、むくれてやがんな〟
理由まではわからない。彼の愛するご主人様に叱られでもしたか、ひょっとしたら、前回の件で処刑まで覚悟したのを思い出したのかもしれない。
アレは完全にやらかした。
だが、悪いのはカイでも自分でもないはずだ、とエドは思う。強いて言えば、リュウと千絵が責任を負うべきであって…。
「エド。」
いつのまにか横に立っていたカミラが呟いた。
「増えておるの。」
「は?何がです?」
「ギャラリーじゃ。」エドはハッとして室内を見回したが、何も見えはしなかった。
幸いなことに。
見えなくて良かったと思う反面、胸の辺りがズゥンと重くなる。
照合結果から半ば予期したことではあるが、嬉しいはずはなかった。そうなのだ。やはり。
ナサニエルの手にかかった犠牲者の数は、一桁ではきかないのだろう。
カミラとカイにはギャラリーの姿がハッキリと見えており、会話は無理でも言葉か感情を聞くことは出来るだろう。
カイの不機嫌の原因はそれかもしれないな、とエドは思い当たった。たしかに楽しい体験であろうはずもない。
カミラはともかく、カイはまだ若い。人間であるエドより年下のドラゴンだから、長命種である種族特性からしたら、まだ赤ん坊のようなものだ。
よく見れば、部屋を埋めた警察幹部の中には真剣な表情を浮かべ、盟主妃どころでない様子の者も2、3人はいた。何かを見ているか或いは感じているのだろう。気の毒なことに。
少尉は、手にしたタブレットに入力するフリをしていた。実際に入力はしているのだろうが、少尉には端末を手にする必要がないことくらい、エドは知っている。
〝なかなか芸が細かいよな〟
電磁波を操る最強のドラゴン、カイ・エミリオ・バルトには、人間が使うインターフェースが要らない。情報の入出力全てにモニターもキーボードも必要ではないのだ。あの大浄霊の日、世界の能力者を騒がせた強大なドラゴンシールドは、彼の仕業である。
災厄級を遥かに通り越した化け物だ。
今は人間のフリをしているから、人間のツールを使っているだけの話なのだろう。
「うっ。」
押し殺したうめき声を上げたのは、あの捜査課長だった。顔色は蒼白だ。
その目は、手にしたタブレット型端末を凝視していた。少尉の持つ端末に入力された情報が送られて来て、それが既存の行方不明リストと照合されているのだろう。
一致を示す軽やかなアラームが鳴るたびに、捜査課長の顔はますます蒼白な仮面になっていく。エドは彼から目を逸らした。
これから彼と同僚たちには長く絶望に満ちた日々が待っている。そう考えると気が重かった。
だがそれでも、子供達を探し出して然るべきところに帰す必要はあるのだ。それがいかに辛く不毛な作業であろうとも。
「ん?」ふと、エドの視線が泳ぐ。何かを目で追うような動きにカミラが首を傾げた。
「いかが致した、エド?」
「あ、いや。すみませんが、オレちょっと外していいっすか?」
「トイレかの。大事ない。ここは妾とカイがおるゆえ。」
生理現象ではなかったが、それはどうでもいい。
「んじゃ。なる早で戻りますんで。」言うなりエドはスルリとドアを抜けた。
左右を見る。視界ギリギリを何かがよぎった。迷わずそちらへ駆け出し、階段の下に出る。遺体安置所は地下にあり、見上げた階段の先は1階だ。
他に道はないから、そのまま階段を駆け上った。1階への中間地点に踊り場がある。小さなドアの向こうはパイプスペースだろう。確認したが、ドアは開かない。施錠されている。ならば、とエドは上を見た。叩きつけるような雨音は、ここまでハッキリ聞こえる。
たしか、階段を上がった先は左手に非常口、右はロビーに続く廊下だったはずだが…。
嫌な予感がした。音が大きすぎる。それと、頬に感じる風。
エドは一気に階段を上がり、予感通りの光景を目にした。
非常口が開いている。
凄まじい雨音が、ほんの15センチもない隙間から聞こえていた。
〝まいったな…〟
しかし、躊躇したのは一瞬だ。エドは非常口から出ると周囲を見回した。今いる場所は署の裏手である。頭上には外付けの非常階段があるが、豪雨の雨除けとしてはあまりにも心許ない。
一瞬でエドはずぶ濡れになった。体に当たる雨は痛い。雨粒が落ちてくるというよりも、まさに滝の如き水が塊で落ちてくる感じだ。
息苦しさ。恐怖すら感じる。
こんな場所に小さな子供を放置するなどエドとしては絶対に無理だった。
〝あそこか!〟
まだ朝と言っていい時間だが、厚い雨雲が日光を遮り、豪雨の帳が全てを覆いつくして、まるで夕方か早朝のような薄暗さである。30メートルばかり向こうに裏門のゲートがあり、今それは開いていた。
普段ならここも施錠されているのだろうが。ゲートの向こう側には小さな姿が見えた。〝あの子だ〟と、エドは改めて確信した。
刺殺事件が起きたあの浜辺、そしてロビーの長椅子にいた女の子。ナサニエルの兄ライリーの娘なのだろう。しかしこんなとんでもない土砂降りの屋外に、子供が1人でいるなんて危険すぎる。母親は夫の差し入れ手続きに行ったのだろうか。
殺人犯となった夫。家族のこれからを思えば空恐ろしいほどの混乱と絶望感を感じるはずだ。しかも、彼女はまだ夢にも知らないだろうが、ナサニエルの罪までが白日の元に晒されようとしている。
正直、同情を禁じ得ないが、これは又別の問題である。今にも洪水が起きそうなこんな日に、10歳にも満たない子供を1人にするなんて、とエドは口元を引き結んだ。
少女に駆け寄りながら呼びかけようとしたが、名前は知らない。それに呼びかけたところでこの凄まじい雨音である。耳元で怒鳴ったって聞こえるかは怪しい。
ならばとりあえず少女の身柄を確保するしかない。そう決めて、ゲートまであと一歩のところまで到達した時だ。
エドは、見た。
少女の背後に…!?
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