25 皮膚の下の異物
最初、少女に気付いたのはエドだった。
警察署のオープンスペースの長椅子に1人、ポツンと座っていたのは、現場にいたあの少女である。置き忘れられた人形のように、行儀良くまっすぐ前を見て、みじろきひとつしない。
「リュウ、あの子現場にいた子じゃないか?」
リュウが答えるより早く、案内係りの若い警察官がエドを振り向いた。
「そのう、被疑者をここに留置してるんです。それで、家族が差し入れに来てまして。」
自分から説明を買って出たはずの若い警察官は、何故か目を逸らし言いにくそうに答えた。
「ふうん?」
この国の規則なら、殺人事件の被疑者は本来、ここでなく拘置所に留められるはずだ。それがここにいるというのは恐らく、規則を少し捻じ曲げられる地位にいる誰かが手配したことなのだろう。
「被害者は随分と人気者だったらしいですね。」
もの柔らかにそう言ったのはリュウである。エド相手に緊張しまくっていた若い警官は、あからさまにホッとした顔を見せた。〝知らねえってのは最強だぜ〟と少し皮肉な気分のエドである。
「はい、先生。彼はスポーツ選手として大人気でした。拘置所には、被害者のファンが多いんで、その…。」
「だとすると拘置所は加害者にとって、あまり居心地がよくないでしょうね。」
「あ、ハイ。」
〝そういうことか〟とエドは納得した。様々な国の拘置所という場所では、賭け事はしばしば重要な娯楽である。看守も被拘置人も分け隔てなく熱狂することは珍しくない。その対象はあらゆる分野に及ぶが、スポーツは賭けのネタとしては王道だ。
つまり、人気スポーツ選手を殺した犯人に対しては、どうしても当たりがキツくなりそうである。更に被疑者が警察官となれば、尚更居心地は良くあるまい。それを憂慮した誰かの采配なのだろう。拘置所内は閉ざされた世界であるから、外部の目は届きにくいし、面会規則も面倒だ。
〝あの男、それなりに人望があるんだろうな。〟とエドは結論付けた。
よく鍛えられた体だった。勤務の傍ら地道に鍛錬しなければ、ああはならない。
人間としてはかなり規格外のエドだから取り押さえられだが、普通の警官では手に負えないだろう。強烈な意志に支配されたあの男の、筋肉の感触がふと蘇る。
「ここに遺体が。ウチの監察医はすぐ来るはずです。」
安置室のドアの前で、若い警官は一礼して去って行った。
「こんなんでいいのかねー、オレら部外者だってのによ。ずっとこの調子だ。信用しすぎじゃね?」と、エドは肩をすくめだ。
「妾としては好都合じゃ。」
カミラは躊躇うことなくドアを開け中に入っていく。
「え、博士、ここのセンセイを待たないんすか?」染みついた公務員根性がエドを慌てさせたが、リュウはカミラを見送ってドアを閉めた。
「監察医が来たら俺が対応する。さほど時間を稼ぐ必要はあるまい。」
「あ〜、任せたワ。」
そんなわけで、男2人はドアの前で見張り番を始めたのだが、地元の監察医が来る前にカミラは出てきた。
「え、もう?さすがっすね。」
1分経ったかも怪しい早業である。
「観客が居ての。」
「はあ?」
エドが聞き返そうとしたその時、廊下の角から現れたのは、小太りの年配の男だった。手には今どき珍しい診療カバンを下げている。ここの監察医だろう。ふうふうと少し息を切らせて、人の良さそうな丸顔には汗が浮いていた。
「やっ、やっ、どーもどーも。監察医のマケインです。」見かけによらない、豊かなバリトンだ。話し方自体は見かけ通りせっかちで活気に溢れている。彼はぐるっと一行を見回し、リュウのゴーグルを見上げた。
「えーっと、あなたがその?」
リュウは握手の手を差し出し、愛想の良い笑みを浮かべた。
「連邦医療技官のリュウ・カンバラと申します。こちらは連邦外から研修にみえたカミラ・ヴォルティス博士。本日はお世話になります、マケイン先生。」
「ほう!ほうほう?カンバラ先生と仰いますか。ん?カンバラ…どこかで聞いたような?まあ、それは置いといてですな、先生方ご専門は?」
「私は外科で、博士は産婦人科ですが、ともに監察医資格はあります。」
「ほう?ほうほう、ウンそれでは早速!」
医師3人が入室したのを見届けて、エドも後に続こうとした時だった。
〝何だ…?〟
これは視線だろうか?反射的に振り向いたエドの視界の端を、何かが掠め過ぎたような気がした。が、咄嗟にリプレイモードに切り替えたサングラスのカメラアイには、何も映っていなかった。
〝気のせいか。〟
首を傾げながら3人に続いてドアを閉めた。監察医マケインは話好きらしく、早速リュウを相手に熱弁を奮っている。検死解剖はざっと終わっていて、その大半は監察医ではなく、検死を主な機能とするAIとロボットアームの仕事である。
死因は出血性ショック。原因は誰が見ても明らかだったが、AIは丹念に所見を綴っていた。人間と違って骨惜しみすることも先入観に左右されることめないから、死因と直接関係がない病気や外傷・内傷などの既往までが、事細かに記載されている。
監察医の仕事は、この詳細なデータの評価が主となる。その上で、更にAIと所見の擦り合わせを行うのだ。
「非常によく発達した筋肉です!骨格もまた均整が取れ素晴らしい。心肺機能はいうまてもなく」
滔々と語られる所見に相槌を打ちながら、リュウは一瞬で全てのデータを読み取った。傍目にはただ戯れるように、モニター画面をスクロールしただけにしか見えないであろうことは承知の上だ。AIは、先入観からの評価はしない。だから、データはムダに詳細で、死因と全く関係ないケガや既往症の痕跡までを網羅した膨大なものだった。
人間である監察医は通常、死因に直接関係する部分しか見ない。
更にカミラは、自分の前のモニターウインドウに触れさえしなかったが、同じくデータ全てのスキャンを終えたはずだ。
このケース、死因は論ずるまでもない。
ただ、龍一とそれにカミラも、気になることがない訳ではなかった。
「マケイン先生、この異物は何ですか?」
可憐な少女の声が、監察医のバリトンを遮る。
「ほうほう異物とは…ああ!これですな。ふむふむ。皮下のごく浅いところに入り込んでおったものです。現物をお見せしましょう。No.は、と。」
小さなプラスチックの袋に収められたそれは、淡いピンク色のカケラだった。
「これは、何ですか先生?」
マケイン医師は不思議そうにそのカケラを眺めた。
「さあ?皆目。」
それは、3ミリ×5ミリ程度の、ごく薄いプラスチック片のように見える。
「ちょっと見せてもらえませんかね?」
「ほう、ほうほう、どうぞ特別捜査官。」
エドはじっくりとカケラを眺めた。
「これが皮下にあっんですね。」
エドの声音に何を聞き取ったのか、マケインは当惑した様子で首肯し、リュウとカミラは顔を見合わせて頷いた。
「特別捜査官、それは何なんですかな?」
「マニキュアのカケラだと思います。別の事件で見たものと非常に似てます。」
「マ…?」
「その事件は、連続殺人でした。被害者はみな女性だった。犠牲者の1人が必死の抵抗を試みたんでしょう。犯人の皮下に残された、折れた爪の一部と特徴的なネイルアートの一部が、決定的な証拠となりました。」
瞬間、マケイン医師は凍り付いたかのように動きを止めた。
お読みいただきありがとうございます!
次回もお付き合いいただけたら嬉しいです。




