世界平和はカウンセリングのあとに
「せ、先生! すごい人から予約が入りましたよ!」
扉の向こうから声が響いた。いかにも興奮を隠しきれない様子で、スリッパの床を叩く音が慌ただしく迫ってくる。
(まるでカバが突進してきたみたいね)
失礼極まりない感想を抱きながら聖良は席を立った。長い漆黒の髪と白衣のコントラストが鮮やかだ。巷で『美人すぎるカウンセラー』と噂される彼女だったが、その整った顔は困惑の色を帯びていた。
やがて扉が勢いよく開いた。現れた恰幅の良い中年女性は、
「先生! なんと、明日の朝10時にですね……はぁはぁ」
そこまで言って息をついた。今にもはち切れそうな事務の制服が激しい運動のせいで、いよいよその局面を迎えそうだった。
「加運さん、落ち着いて。はい、お水」
「あ、ありがとうございます」
ペットボトルに入った水を渡すと、加運と呼ばれた女性は礼を言って口をつける。喧しい音を立てながら変形していくペットボトルを見て、聖良は眉をひそめた。
「一気飲みは良くないわよ」
「すみません、つい……。って、それどころじゃないんですよ!」
息を整えるやいなや、待ちに待った重大発表と言わんばかりに加運は声をあげた。
「明日の朝10時になんとあの、エンブシルバーさんがいらっしゃるんです!」
得意げに言い放つ。どうです驚いたでしょう、と顔に書いてある。
「……ごめんなさい、もう1回言ってくれるかしら」
しかし、肝心の聖良の反応は彼女の望むものではなかった。
「だから!」
加運の言葉にいっそう熱がこもる。何を思ったのか、両手を伸ばして勢いよく体を捻った。それがとどめとなって布の千切れる音がした。
「光る七色、虹の色! 紋章戦隊エンブレンジャー! ……の、エンブシルバーさんが来るんです」
「名乗りポーズいらないから。あと、背中破れてるわよ」
「ああああっ!?」
「エンブレンジャーのことは知ってるわよ。そんな凄い人がうちを受診するってことに驚いてたってだけ」
聖良が運営するこの『聖良カウンセリングオフィス』では、毎日様々な相談者の話を聴いている。とはいえ、流石に。
「正義のヒーローのカウンセリングなんて初めてだけど、大丈夫かしら」
果たして適切な対応が出来るのか、と聖良は不安な表情を浮かべた。対して受付事務の加運は楽しそうだ。
「うちの子が大ファンなんですよ、エンブレンジャー。番組も毎週欠かさず観てて。明日、サインとかもらえちゃったりしますかねぇ」
地球侵略を目論む悪の組織デビルスサインと戦う彼らの勇姿は、毎週日曜日の朝9:30から30分間、ドキュメンタリー番組として放送されている。
「もう、加運さん。公私混同はしないでね」
「わかってますって。でも、戦隊ヒーローがカウンセリングかぁ……。きっと我々一般市民じゃ想像もつかない、戦いの苦しさとかそういうお悩みなんでしょうね」
◆
しかし翌日、エンブシルバーこと銀華が開口一番告げたのは加運の予想を大いに裏切るものだった。
「すみません。もう一度よろしいですか?」
聖良は思わず訊き返した。自身の耳の不調を疑ったが、
「はい。その、同僚のセクハラが本当にひどくて……」
すぐに正常なことが証明された。
言葉に詰まった聖良は改めて銀華の容姿に目をやる。ポニーテールの似合う可愛らしい女性だ。その顔立ちもさることながら、同性の聖良ですら息を呑むほど抜群のスタイルの持ち主だった。
やがて、銀華がおずおずと口を開いた。
「……ここでの話って、内緒にしてもらえるんですか」
「ええ、もちろん。守秘義務がございますので」
聖良は力強く頷いた。ハラスメント被害を相談に来る依頼者は、加害者たる同僚や上司にその内容が漏れることを恐れている場合が多い。カウンセラーとして秘密の保持を約束するのは当然だった。
銀華の緊張が若干和らいだのを確認し、ゆっくりと聖良は切り出した。
「ちなみにその、同僚というのは?」
「ブルーをのぞいた全員です」
エンブレンジャーは初期メンバー5人が赤、青、黒、緑、紫色となっており、追加メンバーの2人が金と銀の構成だ。女性戦士はブルーとシルバーの2人だけで、残りは全員男性となっている。
(そんな人たちがよく地球の平和を守れるわね)
聖良は頭を抱えたくなったが、表面上は平静を保っていた。相談者の感情に寄り添うことは大事だが、感情に巻き込まれてはいけない。
「思い出すのもお辛いでしょうが、詳細をお伺いします。それと、今後のためにメモを取らせていただいてもよろしいですか?」
銀華は一度うなずくと、震える声でぽつりぽつりと語り始めた。
「レッドがしょっちゅう『彼氏できたか?』って訊いてきたり、ブラックが『今日調子悪いね。もしかして、●理?』とかほざくのは序の口で、どいつもこいつも戦闘中にわざと胸とかお尻触ってきたり……。1番ひどいのが、戦隊もののパロディ●Vってあるじゃないですか。そのDVDを私の目につくところに置いてたりするんです。それから……」
適度に相槌を打ちながら、具体的な被害内容をパソコンに打ち込む。聖良は自身の気分が悪くなっていくのを感じた。しかし、まずは相談者の苦しみをしっかり受け止めなければならない。
「想像以上にひどいですね」
とうとう銀華の目から堰をきったように涙が溢れた。
「もし、もしですよ? 私がレッドたちを訴えるじゃないですか。そしたら、スポンサーがイメージダウンを恐れて皆手を引いちゃうと思うんですよね」
紋章戦隊の活動資金は国の防衛費からも一部賄われているが、そのほとんどを提供しているのは一般のスポンサー企業だ。銀華の懸念点はもっともだった。
「そしたら地球の平和を守れなくなっちゃう、って思ったら誰にも打ち明けられなくて……。もう、自分でもどうすればいいかわからないんです」
「……それで本日はご相談に来られたということですね。話してくださり、ありがとうございます」
聖良はその後も銀華の話を聴き続け、やがて次回の日程を決めたところで50分という相談時間は終わりを迎えた。1度でヒアリングが終わることはそうそうない。相談者の心が疲弊している場合はなおさらだ。
「正義の味方ってのも大変ね」
仕事終わりに一人つぶやく。今日の相談内容について振り返りながら、流石にここまで特殊な相談者はなかなか来ないだろうと高を括っていた。
しかし、その予想はあっさりと裏切られることになる。
◆
「上司のパワハラがひどくて困っている」
翌日、聖良のもとを訪れたのは悪の組織デビルスサインの幹部デスマークだった。
(あんたもかい!)
聖良はため息をつきたくなったが必死にこらえた。
予約電話の時点では偽名を使われていたうえ、入室の直前まで変装で正体を隠す徹底ぶりだ。ただの成人男性だと思っていたら、いきなりその姿が崩れて醜悪な鎧に身を包んだ怪人が現れて度肝を抜かれた。
(なんで地球侵略なんか企んでる奴らがカウンセリングなんて来るのよ)
すぐに警察か紋章戦隊本部に連絡しようか悩んだが、下手に刺激するのも危険だと思い直し、とりあえずヒアリングを行うことにした。
「それでは、お話を伺います。差し支えなければ……メモを取らせていただいてもよろしいですか?」
「かまわん。上司というのは無論、首領の――」
「ちょ、ちょっと待ってください! 名前はまずいですって!」
血相を変えて聖良は制止の声をかけた。
デビルスサインの首領たる『不死身の魔女』は、その真の名を知った者に呪いをかけることで有名だ。
「ああ、すまん。そうであったな」
聖良の慌てぶりに、デスマークは意外なほど素直に頭を下げた。
「――あのパワハラババアがな」
言い直すまで0.1秒もかからなかった。
(絶対、普段からそう呼んでるんだろうな)
「エンブレンジャーに負けるたび、グチグチいびってくるのだ。やれ『負けたのは全てお前のせい』だの、やれ『何度も同じことを言わせるな、低能』だの……。最近は制裁と称して暴力まで振るってくるのだ。そのくせ、予算はケチって人員もまともに配置してくれんときた。挙句の果てには、給料まで減らしてくる始末だ」
「……お辛かったですね」
声のトーンが低くなっていくデスマークに合わせて、聖良も声のトーンを落とす。
「そもそもこの侵略自体が、パワハラババアの独断によるものだ。奴さえいなくなれば大人しく我らは故郷の星に帰るというのに!」
激しい口調でまくし立てると幾分スッキリしたのか、次回の予約をしてデスマークは帰っていった。
「悪の組織も悪の組織で、いろいろあるのね」
今日も聖良は仕事終わりに一人つぶやく。
「それにしても、あの2人……鉢合わせたりしなきゃいいけど」
◆
聖良の願いは叶わなかった。
あれから何度もカウンセリングを重ね、銀華とデスマーク双方から信頼してもらえるようになってきた。そうやって数か月がすぎたある日、とうとう加運の予約ミスによって2人は出会ってしまった。
「なっ! お前は!?」
「むっ、エンブレンジャー! ここで会ったが百年目!」
銀華は瞬時にエンブシルバーに変身し、デスマークも戦闘態勢に入る。
直後、2人はなぜか聖良のそばに駆け寄って彼女の両腕をそれぞれ握った。
(えっ、なんで私?)
事態が呑み込めず、聖良は困惑する。
「ちょっと放しなさいよ! 聖良先生には紋章戦隊の顧問カウンセラーになってもらうの!」
「貴様こそ放せ! 聖良殿にはデビルスサインの新幹部ドクターセラとして活躍してもらう!」
「きゃあっ、痛い痛い痛いっ!」
体が縦に真っ二つになりそうな痛みに耐えながら、聖良は息を大きく吸い込んだ。まさか、ドラマや漫画で有名なこの台詞を言う日が来るとは思わなかった。
「やめて! 私のために争わないで!」
その言葉で我に返った銀華とデスマークは慌てて手を放した。
「あ、すみません。つい……」
「すまぬ。我としたことが」
「全く、もう。……ん?」
痛みから解放された聖良の双眸は、2人の人物をそれぞれ捉えていた。
正義のヒーローと、悪の組織の幹部。
片やセクハラの被害者、片やパワハラの被害者。
悪の組織が健在な限り、銀華はセクハラを訴えることができない。一方でデスマークはパワハラばかりする首領に強い憎しみを持っている。
(ひょっとしたら、いけるんじゃないかしら)
聖良は白衣を翻し、おもむろに口を開いた。
「――お二人に、提案したいことがあります」
◆
「すっかり世の中も平和になりましたねぇ」
お茶を飲みながら、呑気な声で加運がしみじみ言う。
「そうね。私もまさか、こんなに上手くいくなんて思わなかったわ」
聖良も穏やかな口調で応える。彼女の手には2通の手紙があった。
あの騒動のあと、デビルスサインの本拠地を発見したエンブレンジャーは最終決戦へと突入した。本拠地の情報はエンブシルバーがもたらしたものだが、なんと彼女はもう1つ重大な情報を握っていた。首領、『不死身の魔女』の弱点である。
その甲斐あって、激闘の末に見事エンブレンジャーは『不死身の魔女』を倒すことに成功した。ドキュメンタリー番組も最終回を迎え、紋章戦隊も解散が決まった。
それを機に”元”エンブシルバーとなった銀華は弁護士に相談のもと、かつての同僚たちの行為を訴えた。いずれも有罪となり、男メンバー全員が法の裁きを受けた。
「とりあえず、一件落着ってところかしらね」
「いずれまた、第2第3のデビルスサインが現れるかもしれません。そのときはまた先生の出番ですよ」
「何言ってるの。私は、ただのしがないカウンセラーよ」
「でもエンブシルバーさんとデスマークを協力させて、結果的にデビルスサイン壊滅のきっかけを作ったのは先生じゃないですか。先生が救ったのは2人の心だけじゃありません。地球そのものですよ」
良いことを言った、とばかりに得意げな笑みを加運は浮かべる。
聖良は2人からの感謝の手紙を丁寧に机にしまうと、席を立った。その耳は心なしか赤く染まっていた。
「さ、そろそろ休憩時間も終わりよ。午後からまた頑張りましょう」
そんな彼女のもとには、今日も悩みを抱えた相談者が予約の電話を入れる。
電話をとった加運が自信に満ちた声で告げた。
「はい、こちら聖良カウンセリングオフィスです!」
聖良「最後を加運さんで〆るのおかしくない?」
加運「いいじゃないですか。なんだったら冒頭も私の台詞からですし。加運で始まり、加運で終わる物語ってね」
聖良「そのドヤ顔むかつくわね、執筆前に急遽追加されたインスタントキャラのくせに。知ってる? プロット段階だと貴女いなかったのよ」
加運「それは言わない約束!」