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シナスタジア  作者: 残念パパいのっち
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必殺

俺は小さく股を開き、少し腰を落とす。右手を前に、左手を少し後ろに構える。


武道は基本が大事だ。


我流の構えは大抵の場合、隙だらけだ。


型は身につくまで何度でも繰り返す。身についても過信はしない。何度でも同じ型を繰り返す。


そして、今も短い時間ではあるけれど、定期的に鍛錬を行っている。


こんな体質じゃなければもっとしっかり柔道を続けていたかった。


……が、それはかなわない夢。


せめて、道場にいる時くらいは真摯に相手に向き合うべきだ。


怒りに身を任せてはいけない。


落ち着け。俺が持てる能力の全てを出して対応する。


「チッチッチッチッ……」


小さな音で舌打ちを繰り返す。これをできるだけ短い間隔で行う。


あまりに小さい音なので、江川には聞こえていないようだが、聞こえていたなら『指導』に該当する行為に違いはない。


こちらが動かないことに業を煮やしたのか、江川が突っ込んでくる。


この対格差だ。寝技に持ち込まれれば勝ち目はない。


だから、勝負は一瞬で決める。


江川に左襟を掴まれ、右腕の肘の部分をぐっと下に引かれる。


俺の身体の重心が右に崩れる。


いや、崩れたふりをする。


次の瞬間、俺の右足の踝に狙いを定めた江川の左足が迫ってくる。


「うっ!?」


江川は目を見開いた。


さっと、俺はすっと右足を引く。


出足払いがすかされ、片足立ちになった江川の身体は安定感を失っていた。


躱したその足ですかさず相手の足を払う。



ズダン。



江川の背中を畳の上に叩きつけた。


中上が手をあげる。



「一本!それまで!」



静かだった場内が柔道部員の歓声とどよめきに包まれる。


呆然とした江川の左腕を離すと、力なく畳の上にパタリと落ちた。


俺がもっとも得意とする燕返しという技だ。


シナスタジアを応用することで、相手の攻撃のタイミングは手に取るように理解できる。


舌打ちをしていたのは反射する音で相手の動きを先読みするためだ。


これを使わなくてもある程度は音で動きは読めるが精度が全然違う。声と音では声の方が感触がしっかりしているのだ。


舌打ちは声と音の中間。だから使い勝手が良い。


欠点は、静かな場所でないと使えないことと、有効範囲がせいぜい半径1メートル程度であることだ。


江川に右手を指し出す。


黙って江川も右手を差し出す。ぐっと引っ張って、立ち上がるのを手伝う。


お互い開始線の位置に立ち礼をする。


江川はぐっと口を結んで、悔しさに耐えているようだった。


江川は強かった。


俺の戦法は初見殺し。後10戦もしたら江川は対策を立てて、俺に勝てるようになるだろう。


だから、勝ち逃げさせてもらう。


江川は今にも泣き出すんじゃないかというくらい、情けない顔をしていた。


ふぅと、ため息を吐いた。


仕方ない……。


「あのな、江川……本当にひらきとは何でもないんだ。抱き合ってたとお前は言ったが少し違う」


江川がこちらの顔を見る。


「情けない話なんだが、少しショックな事があってな……慰めてもらってたんだ」


「本当ですか? 」


小さく頷く。


こんな小っ恥ずかしい話を何故江川にしなければならないのか……。


江川が深々と頭を下げた。


「藤井先輩、舐めた口をきいてすいませんでした」


江川は意外と素直な人間なのかもと思った。


「でも、何で俺に柔道勝負を挑んだんだ?俺が柔道やってたのは知ってたんだろうけどさ」


「たまに先輩から言われるんですよ。『お前のカウンターは凄いが、内弁慶と比べるとまだまだだ』って……」


言われてみれば、江川もカウンター狙いの裏投げを使っていた。


そうか、俺と同じタイプだから比較されて面白くなかったんだ。


「また、今度胸を貸してください」


「気が向いたらな」


苦笑いしながら答えた。


視線を場外に移すと、山下がまっすぐこちらを見ていた。


あっ……そうだ、柔道に夢中で山下が怒っていることを完全に忘れていた。


目を泳がせながら山下に近づく。


「……狡い。悟くんは狡い」


山下に言い訳をしようとしたが、よくわからないことを言われた。


「な、何がだよ? 」


「ちょっと…………ところ……」


山下が何を言っているのかよく聞こえなかった。


「山下もう一回言ってくれないか、よく聞き取れなかった」


山下は大きく目を見開いて、真っ赤な顔をしていた。


バシッと肩を山下に叩かれた。


「後でひらきちゃんと抱き合ってた理由をしっかり釈明してよね」


何が何だかわからないが、言い訳のチャンスは貰えたようだ。



「その前に約束は果たしたんだから、腕時計の話を聞かせてくれる?江川くん」


山下の視線は俺の背後にいる江川に向いていた。




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