10.2 感染
最初に感じたのは耐え難いほどの悪臭だった。
視界が黄色く染まり、思考がぼやける。
隣から唸り声が聞こえる。
「うーーーー!!」
「おい、どうした!?」
「ケベロ?何があったです?」
戸惑う声が聞こえ、俺はそちらに目を向ける。
そこには俺たちに戸惑いの目を向ける人間たちの姿があった。
頭ががんがんと痛み、視界が赤くかすむ。
人間・・・。
人間は倒さねば・・・。
「ぐああーーーーーー!!」
人間を睨みつけ、大きく吠える。
「そんな、煌太まで・・・」
「煌太!おい!しっかりしろ!煌太!!」
うっ・・・。
ずきんとした痛みを感じ、俺は一度硬く目を閉じた。
「わぉーーーん!!」
「彩苗!落ち着け!彩苗!!」
再びずきんとした痛みを感じた。
煌太、彩苗・・・。
激しい頭痛の中、わずかに残った思考にしがみつく。
その間にも俺の身体が人間へと向かいつつある。
そうだ、俺は煌太で右の首は彩苗で・・・。
だが、思考が侵食されつつある。
何故・・・?何が起こった・・・?
俺は必死に記憶をたどる。記憶も黄色い靄がかかったようにはっきりとしない。
確か、やたら強いオーガにベベがとどめを刺して、そして、視界が黄色く濁って・・・。
黄色い液体!
「うわっ!」
「明人!?」
「やめるですぅ!!」
ベベが攻撃を仕掛け、明人が跳ね飛ばされるのが見えた。
人間、倒す・・・。
再び頭痛が生じ、脳が人間に対する攻撃、という単純な思考で埋められていく。
俺は強く首を振った。
ダメだ。思考を奪われたら、終わりだ。
『ベベ!しっかりして!ベベ!』
彩苗が呼びかける声に、俺は勇気づけられた。彩苗も思考を保っているのだ。
だが、ベベは答えることなく、身体を卓へと向ける。
「くそっ!真ん中だけでも落とさないとダメか!?」
ベベを・・・、落とす?
そうすれば、収まるだろうか?
・・・いや、ダメだ!
俺は再び首を振る。
俺と彩苗の思考もいつまで保てるか分からない。それに、凶暴さを増したこの迷宮を、俺と彩苗の二首四脚で切り抜けられるとは到底思えない。
根本から原因を取り除かないと。
俺たちを黄色い液体が覆うことで、思考が奪われているとみて間違いない。ベベが完全に思考を奪われているのは、オーガにとどめを刺したことで、最も多くの液体を浴びたためだろう。
まとわりついている液体をどうにかできれば・・・、果たして戻るだろうか?
いや、迷っている時間はない。思いついたことからやってみなくては!
俺は魔法を放ち、炎が俺たちの身体全体を包み込んだ。
「うお!?」
剣を構えていた卓が驚いたような声を出した。
俺たちの身体から黄色い蒸気が立ち上り、つんと鼻を衝くような臭気が生じる。
これだけではダメだ。またすぐに液体がまとわりつくだろう。
そこで、俺はもう一つ、魔法を発動させた。
俺たちの身体の周りに薄い空気の膜を作る魔法。毒液のような液体を吐きかける攻撃に対する防御用の魔法である。これで身体を覆っておけば、黄色い液体が付着するのも防げると考えたのだ。
どうなる・・・?
無限とも思えるような一瞬の後、今にも卓に攻撃を仕掛けようとしていた俺たちの身体が止まった。
『あれ・・・?』
ベベの戸惑ったような声が聞こえる。
『何をして・・・』
きょろきょろとあたりを見回し、壁に打ち付けられ、雅也の治療を受けている明人に気付くと、びっくりしたような声を上げた。
『おい、何があったんだ!?』
「戻ったです?」
日葵が心配そうに俺たちを見ている。
「わう!」
「わう!」
俺と彩苗が同時に吠える。
「良かったですぅ~~~」
日葵の言葉と同時に、仲間たちが安堵の表情とともにその場にへたり込んだ。
***
『そうだったのか。すまなかった』
俺の説明を聴いて、ベベが素直に謝った。
『いや、ベベのせいじゃない。あの不快な黄色い液体だ』
ベベが、不安そうに細胞のような物体を見る。
『あれ浴びたらまたおかしくなるのか?』
『大丈夫。風の魔法で守ってるから』
『そう言えば、臭いもましになってるな』
ベベが安心したように言う。空気の膜を張った副次的な効果で、臭いが軽減されていた。
『ただ、魔法使う時は外さないと』
魔法を発動させていると別の魔法が使えない。だから、攻撃する際は一時的に守りを解く必要があった。少し不安だが、やるしかないだろう。
そう考えていると、空気の膜が厚みを増したような感覚があった。これって・・・?
『できた!私も使える!』
彩苗が嬉しそうに言う。
『おお、ありがたい!』
『普段は私がこれ使っておくね。戦闘時は分担すればいいよね』
『ああ』
「これ、凶暴化・・・、だよな。これ浴びたからか?」
卓がオーガの死体を調べながら言う。声がわずかに震えている。
冒険者も同意したし、俺たちも同意した。
やはりこの細胞はウイルスのようなものなのだろう。よく見ると、オーガから飛び散った液体は、床に付着すると、そこで蠢きながら細胞のような物を作り始めていた。こうして、迷宮の下層に広がって行っているのだ。
粘液にまとわりつかれると、凶暴化する。加えて、あらゆる能力が上がっているように見えた。
ただ・・・、と俺は冒険者たちを見る。
冒険者には影響がないようだった。彼らも粘液を多少の差はあれ浴びているが、変わった様子は見られない。種族の影響か、それともPCだからか。
「ケベロが戻ってくれて、助かったです」
「まったくだ。全滅するかと思ったぜ」
明人が同意し、俺たち三つの首が同時に項垂れた。




