act…8
死なせないと啖呵を切った翌日、私は教室に入ってすぐに高杉の生存確認をした。
「良かったぁ。生きてる」
生きていた事に安堵の息を吐いた時、高杉が俯いていた顔を上げてこちらを見た。視線が重なり、途端に心臓が跳ねる。そのまま目をそらせずにいると、未央に声をかけられ私は焦って自席に向かった。
授業が始まってからも背中に視線を感じる。恐る恐る振り返ると、やっぱり高杉と目があった。
確かに昨日の私はガン見されても仕方のない事をやった。けれどそれにしたって、こんなに見つめられては背中に穴が開きそうだ。
先程からずっと背中の辺りがゾワゾワとして、結局私も斜め後ろを何度も振り返っていた。
「燈子どうしたの?」
未央が不思議そうに私が振り返っていたのと同じ方向に目を向ける。
「うわ! 高杉がこっち凝視してない? あいつ、燈子のこと見てるのかな?」
「さ、さぁ? たまたまでしょ」
「いや、なんか目ヤバいよ?」
「そ、それより! 明日からテスト一週間前だよ。未央、ちゃんとノート書いてる?」
何とか学期末試験で話題を逸らした。
「そうだ! もうテスト前だった。ノート書いてないよぉ〜」
「私も」
「誰に借りよっか?」
今日は二学期末試験の時間割が発表になる試験一週間前で、それは同時に、授業中に携帯を弄ったり眠ったりしている生徒が、お利口軍団にノートを借りるため、ちょっとだけヘコヘコする期間でもある。
「蓮見さんにお願いしよう」
今も熱心にノートを書いている蓮見さんを見る。彼女はいつも分かりやすくノートをまとめている学年成績三位の才女で、腰まである長い黒髪を一つにまとめ黒縁眼鏡を掛けている。
私や未央のようにヘアセットやメイクはせず、オシャレに気を使っている様子はないけれど、私はいつも蓮見さんのことを綺麗だなと思っていた。
手を加えていない。そのままの美しさみたいなものを感じる。何より彼女の声は、凛とした響きをしていてとても心地良いのだ。
不意に、高杉は蓮見さんみたいなタイプが好きそうだなと思った。きっと私みたいなタイプは好きじゃない。むしろ苦手だろう。
そこまで考えて、なぜ私が高杉のタイプを気にしなければいけないのかと腹が立った。
高杉に好かれたい訳じゃないし、高杉の事が好きな訳でもない。私はただ、高杉の声だけ大好きなのだ。
きっと高杉の艶のある低音には、毒舌ちょいエロな台詞がよく似合う。ふと、蓮見さんの透明感のある凛とした声と非常に相性が良いのではないかと気付いた。
そうだ。二人の声は、孤高系不良男子とまじめ委員長の設定がヤバいほどマッチしている。
私はすぐに二人の『声』で、エモい台詞を脳内再生し始めた。
『ちょっと高杉くん! また屋上で授業サボって!』
『ん?……なんだ委員長か』
『もう! どうして授業に出ないの?』
『蓮見さんこそ、なんでそんなに俺に構うんだよ?』
『それは……私は委員長だから、みんなの風紀が乱れないように』
『それだけ?』
『それだけよ。他に何があるって言うの?』
『例えば、蓮見さんが俺のこと好き。とか?』
『……な、なな何言ってるの! 私はただ委員長の責務を!』
『ふふ、耳まで真っ赤だよ。きっと気付いてないだけで……蓮見さんはもう、俺が好きだよ』
『た、高杉くんの馬鹿!』
あぁ……尊い!!!!!
場所は、王道な屋上。二次元設定では欠かせない萌えスポットだ。現実では立入禁止にされている事がほとんどだけど、そんな現実は知ったこっちゃない。
学園モノにおいて、屋上を制する者は青春を制する。恋も絆も喧嘩も仲直りも、屋上に始まり屋上に終わると言っても過言ではない。古から語り継がれる王道の設定は、どんなに時代が流れても変わらず最高なのだ。
試験前にも関わらず、授業中にたっぷり声の妄想を楽しんだ私は、上機嫌で白いままのノートを閉じた。
*
休み時間になってすぐ未央と同時に席を立ち、蓮見さんの座席に向かう。蓮見さんのノートは競争率が高いので急がなければ借りる事が出来なくなってしまう。
彼女に声を掛けようとしたその時、視界の端に教室から出ていく高杉の姿が見えた。
奴が、動いた!
「未央ごめん。蓮見さんに頼んでおいてくれない? 私、由加里に呼ばれて三組まで行かなきゃ行かないの忘れてたよ」
急いで廊下に出ると、ちょうど男子トイレに入る直前の高杉の後ろ姿が見え、私は全力で走って高杉にわざとぶつかり耳打ちした。
「昼休みに昨日の場所に来て!」
それだけ言ってすぐに離れる。高杉は、また来てくれるだろうか。
普通なら、突然胸倉を掴んでくる女に再び呼び出しを受けても来てくれるとは思えない。けれど高杉も、私の言動が気になっているはず。
だから、きっと来てくれる。
そう信じて教室に戻ることにした。
「燈子さん! 大丈夫っスか? 今、高杉にぶつかったよね?」
先程の行動を横山くんに見られていたらしく、こちらに走り寄ってきた。
「肩がちょっと当たっただけで、大丈夫だよ」
「マジっスか?」
「マジマジ。全然、大丈夫!」
「でも……」
まだ何か言いたげな横山くんの言葉を遮るように、私は横山くんのツンツンヘアーに手を伸ばす。
「髪型、今日もいい感じだね」
毛先に少しだけ触れると、横山くんが嬉しそうに破顔した。人懐っこい大型犬みたいな笑顔だ。
「マジっスか? 燈子さんに褒められるとかヤバいんスけど! 今ので、今年一年分の運つかい果たしたかも」
お尻にブンブンと揺れる尻尾が見えそうなほど、横山くんの声が弾んでいる。もう十二月なので、普通に生活してるだけで一年分の運を使い果たす時期だよ。という突っ込みは心に留めておいた。
とりあえず、高杉への接触についてはすでに頭に無いようだ。私はホッとして横山くんと一緒に教室に戻った。
視線で未央を探すと、スマホで必死にノートの写真を撮っている後ろ姿が目に入った。
どうやらこちらも良い感じに、蓮見さんのノートをゲットできたらしい。後で画像を送ってもらおう。
よし。今の所とても順調だ。
あとは昼休みに、高杉に昨日の逆ギレを謝り、死ぬのを思い止まらせる。そして少し落ち着いた頃合いで、教室であんなに見つめないでと釘を刺しておこう。
今度は逆ギレしたりしないように、私は高杉に話す順序を心の中で繰り返した。
逆ギレごめん。死ぬな。そして見つめるな。
うん。この順番でいこう。
頷いてから、もう一度確かめるように私は呟いた。
「逆ギレで死ぬのを見つめるな」
繋げて言うと凄い事になり、私はうつむいて笑いを咬み殺す。きっと、昼休みになればまたあの声が聞ける。
早く聞きたい。
そう思うとやっぱり、胸の奥がキュンとなった。