act…3
お昼休み。
机を後ろへ向け未央の机と合体させて、私は鞄からコンビニのビニール袋を取り出し机の上に置いた。
いつもは母がお弁当を作ってくれているけれど、今日は家出中なので途中にあるコンビニでお昼ご飯を調達したのだ。
「燈子。今日はコンビニなの?」
自分の席から椅子を引き摺って私と未央の合体机までやってきた梨絵が袋を指差す。
一四八センチと小柄で華奢な梨絵が椅子を引き摺っていると、やけに椅子が重そうに見える。
「うん。今日はご飯よりパンかなって」
そう答えながら、私は手を伸ばし梨絵の椅子を掴んで引っ張った。
ありがとう。と、笑う梨絵に私も笑顔を返し、袋からメロンパン、サラダ、ヨーグルトを取り出す。
「今日それだけ?」
逆サイドから、右手にお弁当袋、左手に椅子を引いた茜が、合体机の上に自分のお弁当を置いて私のお昼を指差した。
「うん。一応……風邪気味だし……ね」
「休めばよかったのに」
私は風邪で遅刻した事になっている。
隠れオタクは身だしなみが命。その流儀を通すため、前髪にこだわり遅刻したせいで、みんなに心配をかけてしまった。
嘘ついて、心配までかけてごめん。
お昼ご飯も、本当はもっとガッツリと食べたい。けれど風邪で遅刻の人間があまりモリモリ食べるのもどうかと思い、メロンパンとサラダにヨーグルトのみで頑張ることにした。
基本、お昼はいつもこの四人。
未央、梨絵、茜、そして私。
お昼休みの教室には私達のようにいくつかの合体机ができ、お弁当の匂いとグループごとのお喋りが混ざりあっている。
そんな雑音が行き交う教室の中で、私は自分の右斜め後ろから聞こえてきた会話に胸を躍らせた。会話の主は、振り返らずとも話の内容と声で分かる。
三宅さんと、宗原さんだ!
彼女達は、自分がオタクである事を隠そうとしない真の勇者で、お昼休みに堂々と白熱したオタクトークを繰り広げているオタクの鑑だ。
尊敬する勇者お二人の今日の話題は、昨日から放送がはじまった深夜枠のアニメについてのようだった。
このアニメには神も出ているので、私もばっちり録画済みだ。勇者お二人は平日の深夜枠にも関わらず、きっちりとリアルタイム視聴されたご様子で尊敬する。
私のような隠れオタクごときとは、新番組に注ぐ情熱の量が違うのだ。この素晴らしき勇者様のご意見を頂戴しなければと私は意気込んだ。
幸いにも、私達の机は茜のダイエット話で盛り上がっている。私は時折、「マジで?」 と「すごいじゃん!」を話の間に挟むだけで、なんとかやり過ごせそうだ。
茜、許してごめん!
私はメロンパンの袋を折り畳んで小さくしながら、斜め後ろのお二人の声に全神経を集中させた。
「私は俳優を使わないで欲しい派なのよ」
これは宗原さんのお声。その言葉に私は首を縦に振る。そのご意見わかります。
昨日のアニメの主人公の声が、アイドルだった。最近では映画の吹き替え等に、俳優やアイドルが多用されている。
話題性もあり、集客力も見込めるのだろう。勿論なかには声優より声の質が良い人もいる。だけど私は、宗原さんと同じ考えだった。
声優学校で発声や声の使い分けを学び、オーディションを受け配役を手にしてきた本業の声優陣と比べ、アイドルさんや俳優さん達には技術以前に決定的に欠けているものがあると私は思っている。
声への執着。
それが足りない。
「でもどんなに上手い声優でも、自分のイメージと違っていたら、それで終わりだからね」
このお声は三宅さんだ。
そのご意見も重要です。
アニメオリジナル作品と違い、漫画がアニメ化されたものには、キャラ一人に対し、原作読者の人数と同じ数の『想像の声』が存在する。
読者全員の想像に適合した声を選ぶのは当然無理だろう。そうなってくると、声優だろうがアイドルだろうが、声の演技の上手い下手より、まずは自分のイメージとどれだけ近い声かが問題になる。
想像の声と違っていた。
この理由で、アニメを見ない原作ファンは沢山いる。原作からアニメ化というパターンには、原作オタやアニメオタ、それぞれのオタク達の熱い想いと作品への執着が交錯している。
私の場合、特定の人間の『声』そのものが萌えの最重要ポイントなので、この手の悩みはあまり無いけれど、原作好きにとってイメージは最も大切な事だと思った。
そして途中、アニメの制作会社の話題となり、オタクからの信頼の厚い作画監督であることや、その監督が外部から精鋭のイラストレーターを呼び寄せた最強作画班が結成されていることなど、貴重な情報をお二人の会話から入手する事ができ私はウキウキする。
SNSで、バトルシーンの動きが素晴らしく神作画だったという意見が多かったのは、それでなのかと納得した。
そして遂に、主人公について交わされていた論議が、私の神が声を担当しているキャラへとうつる。SNSの評判は上々で、安定のエロボイスとの意見が多かった。
勇者お二人は、神の声をどう判断したのだろう。
しかし、いよいよという所で茜がダイエットトークを中断してしまった。そして、私の斜め後ろにいる勇者お二人へと視線を向けている。気づくと、梨絵も未央もそちらを見ていた。
「さっきからずっと濃過ぎるアニメの話ばっか聞こえてくるの。 なんか気持ち悪い」
梨絵が身を乗り出し、 机の中心に顔を寄せて小声で話す。
「オタク増えたけど、ここまでディープだと引くよね」
そう言って未央も顔を顰めた。
勇者様の意見を頂戴する絶好の機を邪魔されて、私も同じように顔を顰める。
「なんかちょっと、嫌な気分だね」
三人は私の言葉に首を縦に振った。
彼女達は私のことを、自分達と同じ立ち位置だと思っているので、私の言葉を自分達と同じ意見として受け取っている。
けれど本当の私は、向こう側の人間なのだ。
それでも私はこの三人の事が好きだし、友達だと思っている。けれど三人に、私の本当の心は理解できない。この拒絶反応が全てを物語っている。
もしかすると、隠し事がある仲を友情とは言わないのかもしれない。隠し事を曝け出せば壊れる仲を、友達とは呼ばないのかもしれない。
それなら見せ掛けでもいい。
見せかけの自分と本当の自分、私は両方を手放したくなかった。
「でもさ。ディープなオタクも嫌だけど、ひたすら暗い奴も嫌だよね。あいつとか」
そう言って茜が指差した方向に、私は視線を向けた。 廊下側の一番後ろ。そこに座っている高杉が目に入る。
痩せ型の体に、きつい天然パーマなのか、耳の辺りの髪が激しくうねっている。その髪が俯く高杉の顔を半分覆っているせいで、どんな表情をしているのかは見えない。高杉は俯いたまま、ひたすらじっと固まっていた。
「高二になってもう二学期も終わりに近いのに、いまだにあいつの声聞いた事ないかも」
未央の言葉に私も頷く。
「そう言えば、聞いた事ないね」
それに、苗字は分かるけれど名前は思い出せない。春のクラス替え以降、高杉がずっとこの教室にいたのかさえよく分からなかった。苗字を覚えていた事が、まるで奇跡のように思える。
あいつだけ別世界にいるみたい。
沢山の笑い声が響く教室の中で、高杉の周りにだけ音がない。まるでそこだけ、時間が止まっているように見えた。
魂の抜け殻みたいだ。
そう思った瞬間、 小学生の時に校庭で見つけた蝉の抜け殻を思い出した。強く掴んだ途端、掌で乾いた音をたて粉々になった薄茶色の抜け殻。
今、誰かが高杉に触れたら......。あの時の抜け殻のように音を立て崩れそうな気がする。
蝉は、殻を捨てて一週間だけ鳴く事を許された。
高杉をじっと見つめる。
この蝉は、どんな声で鳴く?
そう思うと少しだけ、胸の奥が熱くなった。