act…20(本編最終話)
昨日の晴天から一転して、今日は土砂降りの雨だった。授業中も雨は勢いを増し、時折窓を叩きつける程に勢いを増している。
そっと心臓に手をあてた。
なぜか胸騒ぎがする。その正体は分からない。けれどこの教室で、自分にとって大きな何かが起こるような気がした。
ざわつく心を鎮めようと、私は昨日の高杉との出来事を思い返す。あの後、高杉に送ってもらう事になり、二人で話をしながら家までの道を歩いた。
高杉は猫派で私は犬派だったり、高杉は甘い物が好きで私は辛い物が好きだったり、私の中に高杉の情報が増えていく事が嬉しい。
そんな風に高杉と並んで歩く途中、不意に私と高杉の手の甲が触れて、お互いぎこちなく距離をとった。
二人の間に微妙な隙間ができてしまい、私は歩きながらまた少しずつ高杉のそばに寄っていく。
「寂しいん……だけど」
「え?」
「手が、寂しいって言ってるの」
前を向いたまま右手を差し出すと、高杉の手が遠慮がちに触れては離れを繰り返し、それからギュッと私の手を握り締めた。
全神経が指先に集中して、手の温かさが照れ臭い。途端に二人とも無口になって、そこから私の家に着くまでの数分間を、私と高杉は前だけを見つめて歩き続けた。
胸の奥ではずっと、サイダーみたいにキュンの欠片が弾けていた。
そんな昨夜の出来事を思い返すと、それだけで自然と顔がニヤけてくる。私は教科書で顔を隠しながらそんなキュンの余韻に浸っていた。
そして午後。
私の覚悟を問う事態が起こる……。
*
未央たちと学食に行き戻ってくると、高杉がクラスメイトの井上くんに蹴りを入れられていた。
井上くんは金髪に近い茶髪で、ブレザーの下に派手な柄シャツを着ている不良くんだ。
扉の近くにいた子に話を聞くと、自席でお弁当を食べていた高杉の机に井上くんがぶつかり、井上くんの悪趣味なシャツにソースが飛んでしまったのが原因らしい。
どう考えても高杉に非は無い。
それでもみんな、井上くんを含む三人の男子達に何も言えずにいるようだった。
「土・下・座! 土・下・座!」
三人の中の一人が、手拍子しながら土下座コールで煽りだす。
「こいつ、ぶっ倒れ方まで存在感薄くね」
「俺の服にクッサイ汁なんかつけやがって!」
床に倒れ込んだ高杉のお腹に、井上くんが足を乗せる。
どうしよう。
このままじゃ、高杉がやられちゃう。
『井上くん、許してあげて! これ以上見ていられないの!』
優しい女のお願いモードで止めに入るか。
『先にシャツ洗った方がいいよ! 臭いが染みついちゃう! 私が洗ってあげるね』
思わせぶりな行動で気をひくか。
でも……、それじゃダメだ。どちらもその場凌ぎにしかならない。この場を切り抜けても、この先ずっと高杉は井上くん達に目をつけられる事になる。
虐められた経験から、高杉は寂しいよりも標的になる方が辛いと言った。そして、高校では教室の中で空気のような存在になる事を選んだ。ずっと一人で、うつむいて声を押し殺し、毎日毎日ただ時が過ぎるのを待っていた。
この教室にどれだけの音が響いても、高杉の周りにだけ音が無い。そして家にも居場所が無いまま、高杉は誕生日に死のうとしていた。
誰にも、助けてと言えないまま……。
『必ず来ます』
不意に、私を助けてくれたあの夜の言葉が脳裏をよぎる。
高杉は、私が初めて助けを求めた人。
私に、助けてと言わせてくれた人。
今度は、私の番だ。
私は入口から奥へ進み机の上に立つ。
そして深呼吸してから叫んだ。
「いい加減にしなさいよっ!」
私の叫びで、教室中の動きが止まる。
クラス全員の視線が、机に立つ私に集中していた。その他大勢の視線を無視して、私は床に転がる高杉を見る。
『スマホ、取り返しました!』
弟に立ち向かってくれた日の事を思い出した。
高杉が必死に立ち向かう時は、いつも私の為だった。自分の為には湧いてこない勇気を、私の為に振り絞ってくれていたのだ。
「ねぇ、高杉。私が初めてその声を聞いた日に、高杉に言った言葉を覚えてる?」
私の問い掛けに、高杉はすぐに首を縦に振った。
『その声は、死なせない』
私は高杉の目を見つめて、あの日の言葉を上書きする。
「あなたは、死なせない」
絶対に。
守ってみせるよ。
私の言葉を聞いた高杉が、目を見開き、それから顔をくしゃくしゃにして泣き笑いする。そんな高杉に微笑んでから、私は覚悟を決めて井上くんを見据えた。そして、机からジャンプして井上くんの前に着地する。
「そこに転がってる人、私の大事なヒーローなんですけど」
井上くんや周りはみんな、理解できない言語を聞いたかのような戸惑った表情を浮かべている。
「今後一切、私のヒーローに近づかないで! 自分が高杉の机にぶつかったくせに、八つ当たりも大概にしてくれる? 超格好悪いんだけど。理不尽な暴力振るう奴が、私はこの世で一番嫌いなの!」
井上くんに言い放ってから、私は高杉に手を差し出した。
「行くよ、高杉!」
「い、行くって……どこに?」
そんなの決まっている。
私達の秘密基地、旧校舎の理科準備室だ。そこには可愛い人体模型も待っている。高校生活残り一年三ヶ月を、無事に生き抜く為の作戦会議をしなければいけない。
「立って高杉。行くよ!」
周りが呆気に取られている間に、私は高杉の手を引き走り出した。遠巻きにこちらを見ていたクラスメイトの輪をかき分け教室を飛び出し、お昼休みで人の多い廊下をすり抜けていく。
大変なのは、これからだ。
まず初めに、井上くん対策として柔道黒帯のハックに相談しよう。ハックは女子の頼み事なら絶対に聞いてくれるから、私達を気に掛けて守ってくれるはずだ。ハックの歯が臭いのは、鼻で息をしなければ問題ない。
それでも駄目なら、担任にも、教頭にも、校長にだって助けを求める。放送室から全校生徒に向かって、井上くんから暴力を受けています。助けて下さいと叫んだっていい。
私はもう、助けを求める事を躊躇わない。
自分と大切な人を、何があっても守りたいから。
ずっと隠し続けていた仮面も、もういらない。
まずは未央達三人に、謝りたい。
ごめんなさいを受け取ってもらえるかは分からないけれど、私が本当に好きな事、好きな人について、三人に知ってもらいたい。
拒否されるかもしれない。
架空彼氏設定など、散々嘘の仮面をつけてきた。最低だと言われるかもしれない。けれどそれが、嘘の代償なら、私はそれを受けとめる必要がある。
『隠れ』オタクは卒業だ。
私は堂々と、ただのオタクになる。
まずは勇者である宗原さんと三宅さんに弟子入りしたい。門前払いを受けるかもしれないけれど、二人をどれだけ尊敬しているか真剣に説明しよう。
ほら、少し考えただけで方法なんていくらでもある。自分を変えるのに必要な事は、変わると決める覚悟だった。
どんな状況だって、自力で乗り越えてみせる。
だけど、一つ。
神様、一つだけお願いです。
どうか三年のクラス替えも、高杉と同じクラスになれますように……。
そしてようやくたどり着いた理科準備室の扉の前で、私は立ち止まった。二人して、膝に手をつき乱れた呼吸を整える。
「たか、すぎ。大丈夫?」
「だ……いっ……じょばないです」
「え?」
「だいじょう……ぶじゃな、い……です」
「フフッ。でも……なんか……楽しかったね」
二人で手を繋いで、周りの生徒をかき分けながら疾走する。ただ走っているだけなのに、なぜか不思議なほどワクワクした。
「なんで……か、僕もっ……楽しかっただす」
高杉が、肝心な所で語尾を噛んだ。
二人で顔を見合わせて、思い切り笑い出す。
私達は、満足するまで笑い転げた。
そして、理科準備室の扉に手をかけ、ゆっくりと力を込める。鈍い音をたてて、スライドしていく扉。その向こう側の景色は、汚れた準備室だったけれど……。
「高杉見て!」
私は準備室の窓を指差した。
土砂降りだった雨が止み、一転して、青空の中に太陽が顔を出している。雨に濡れたグラウンドや校舎や遠くの街並みが、日の光に照らされてキラキラと輝いていた。
「きれいだね」
「はい」
高杉と見つめ合って微笑む。
それからもう一度、二人で見上げた空は青。
心と同じ、文句なしの快晴!
(了)
*燈子視点の本編完結です。
ここまで読んで頂きありがとうございました!
*あと高杉視点のサイドストーリーと後日談を投稿して、すべて完結となります!




