act…19
空と地面の境界線が溶けあう夕暮れ時。
世界が、深い藍色に染まる。
私は、高杉・弟の元へ向かっていた。
完全に日が沈む直前の刹那の時間を、『逢魔が時』と言うらしい。一番交通事故が多い時間なのだと、横山くんが誇らしげに教えてくれた事を頭の片隅に思い出した。
魔に逢う時間か……。
覚悟しなきゃ。
先程の電話で「確かめたい事があるんだけど、いいかな?」と言われ、私は高杉弟に教えられた道を歩いている。目的の曲がり角まで来ると、私はいったん足を止めた。
これから弟とご対面だ。
深呼吸して、私は角を曲がる。その先に、長身の爽やかなイケメンが立っていた。彼は私を見て一瞬驚いた表情をし、それから笑顔になって手を振ってくる。そんな弟に軽く頭を下げてから、私は本題に入った。
「はじめまして、確かめたい事って何ですか」
「どうも。君が、トーコさん?」
「はい、若槻燈子です」
初対面でしかも年下なのに、電話の時からずっとタメ口で話してくる高杉弟に、私は嫌味なくらい丁寧な敬語を使う事にした。
もちろん敬意ではなく、距離を置くためだ。
「てっきりあいつを女にしたような、残念な子が来るのかと思って、怖いもの見たさで呼んだのにさ。これは予想外で、ビビるよね」
高杉弟は、外見を確認する為だけに私を家の前まで呼んだらしい。何様だよ。
けれど、高杉の自宅を眺めるというストーカー的な願望は、うまい具合に達成された。どうやら高杉のお住まいは、この八階建てのマンションの一室らしい。
ここから、全速力で自転車を漕いで助けに来てくれた。あの日のことを思うだけで、心に勇気と元気が湧いてくる。
よし!
私は気合を入れて、臨戦態勢をとる。
「確かめたい事って、私の顔を見るだけですか?」
軽蔑を隠さない声で、弟に問う。
「こいつのスマホに、毎日毎日着信あるけど、どういうつもりなの?」
「人のスマホを勝手に見るのは、どういうつもりなんですか?」
そんな質問返しにイラッとしたのか、高杉弟の声が一気に乱れた。
「先に聞いたの、こっちだけど!」
つまらない声だ。
本当に兄弟ですかと、聞きたくなる。
「あんただったら彼氏ぐらいいるだろ? あいつのこと、パシリにでもしてんの?」
「随分と気になって仕方ないみたいですね。お兄さんのこと」
「……ハァ?」
私は弟を見据える。
「あなたは、自分がお兄さんより劣る所なんて何一つ無いと思ってる。劣る所なんて、あってはいけないと思ってる」
会った瞬間そう思った。
この人は、弱い部分が私とよく似ている。
きっと、必死に仮面をつけてその弱さを隠している人だと、会った瞬間そう感じた。
高杉は言った。
両親は、弟がいればそれでいいと。
もちろん弟だって、そう感じているはずだ。
けれどそれは、もし兄より自分が劣ってしまったら、一瞬で立場が逆転するという恐怖とリンクしている。高杉弟は、必死に兄を見下しながら、本当は誰よりそうなる事に怯えている。それが、手に取るように分かった。
もしも私が高杉弟だったなら、同じ心の闇を抱えていたかもしれない。
「お兄さんに、想定外の行動をとられると気になって仕方がないんですよね」
「あ? 俺はただあいつの弟として!」
動揺が音にでる。
弟の声が、更に乱れていく。
「あんたに弄ばれてる、可哀想な兄貴の心配してやってるだけだよ!」
「そんな心配いらないよ」
私は初めてタメ口で言葉を返した。
「そんな心配いらない」
私の断言で、弟の表情に戸惑いの色まで広がり始める。
「逆だから」
「逆?」
私は大きく頷いた。
「あいつが私に夢中なんじゃなくて、私が、あいつに夢中なの」
私が、好きで。
私が、助けてもらった。
私が、会いたくて。
私が、そばにいて欲しい。
「私ね。高杉のことが、大好きなんだ」
私は弟の目を真っ直ぐに見つめて、心からの笑みを返した。
仮面なんか無い。
嘘のない私の本心。
「スマホ。ちゃんとお兄さんに返してね」
絶句したままの弟に頭を下げて、来た道を引き返していると、先の角を曲がりこちらへと歩いてくる高杉がの姿見えた。
「……あ、若槻さんっ!」
私に気付いた高杉が、こちらへ走り寄ってくる。
高杉に話したい事が山ほどあって、何から伝えればいいのか分からない。弟に呼び出されたこと、話をしたこと。色々あっけど、私にとって大事なことはそんな事じゃない。
ねぇ、高杉。
高杉はいい奴だから、私に無理やり付き合わされているだけで、本当は私からの電話……。
迷惑だと、思ってる?
弟にはあんなに威勢よく話しておきながら、近頃の私は高杉の前でずっと意気地無しだ。
「若槻さんっ! 僕、スマホをどこかに忘れたみたいで……。一度学校まで戻ってみたんですけど、やっぱり見当たらなくて、電車の忘れ物センターにも無くて……」
駆け寄ってきた高杉は、心底、困ったような顔をしている。
「スマホがないと……。若槻さんが泣いてしまう時に、助けに行けないっ。約束したのに」
高杉の言葉に、鼓動が大きく脈打つ。
「スマホ無くして、一番困る理由が、それなの?」
「はい」
一瞬の迷いすらない返答に、目頭が熱くなっていく。
「高杉のスマホ。弟が、持ってたよ」
「え?」
弟の姿が全く目に入っていなかったのか、私が弟を指差すと、ひどく驚いてそちらを見た。そして、弟の手の中にあるスマホを見つけた瞬間、弟に向かって駆け出していく。
弟からスマホを取り返そうと必死に立ち向かう高杉は、すぐに突き飛ばされて格好悪く尻餅をついた。
それでも立ち上がって、また、向かっていく。何度尻餅をついても、高杉は諦めなかった。
弱いくせに、ヘナチョコなくせに、立ち向かって、立ち向かって、何度も何度も突き飛ばされて、ヨロヨロになりながら、高杉はようやくスマホを取り戻した。
そして、画面をタップして耳にあてる。
すぐに着信したスマホを私も耳にあてた。
『高杉です!』
「うん」
『取り戻しました!』
「うんっ」
頷いた声と一緒に、涙が溢れ落ちる。
「めちゃくちゃ、格好よかったよ!」
そう言って微笑むと、高杉は茹で蛸みたいに真っ赤になって、嬉しそうに顔をくしゃくしゃにして笑った。
なに、その顔。
初めて見たよ。
そんな風に、全開に笑うところ。
たまらない程、胸奥がキュンとなる。
きっと私の頬も、高杉以上に真っ赤になっているに違いない。
少し離れた位置で、「お前、揶揄うのも飽きたから。もういいわ」と捨て台詞を吐いて弟がマンションの中に入って行った。
お手本のような負け犬の遠吠えだ。
二人で顔を見合わせて、今度は一緒に声を出して笑った。
→20話につづく




