act…16
『若槻さん? ど、どうしたんですか?』
高杉の声が聞こえたのと同じタイミングで父が外から扉を叩き始めた。前に置いたチェストと扉がぶつり、ガンガンと激しい音を立てる。
「助けて」
『え? た、助けてって、何があったんですか?』
扉を押す父の力が強くなり、私は後ろを向いて足を踏張り背中でチェストを押さえた。今度は扉を蹴っているのだろうか、大きな音と同時に背中に重い衝撃が伝わってくる。
「お願い、助けて……」
溢れてきた涙で、言葉が途切れた。
また強い力で扉を押され、驚いた拍子にスマホが手から滑り落ちた。
「あっ」
一際大きな音と共に、チェストがまたこちら側へズレてくる。
「高杉! たかすぎっ」
手の届かない位置にあるスマホに向かって名前を叫んだ。
しばらくの間、なんとか踏ん張り抜いてチェストを抑えていると、家の中にチャイムの音が鳴り響いた。ボタンを連打しているのか、甲高い機械音が鳴り続けている。
父が、扉を蹴るのをやめた。
「すみませんん! 高杉と申します。若槻さん……燈子さんいらっしゃるでしょうか?」
外から、大声で私を呼ぶ高杉の声が響く。
「燈子、誰か来てるぞ」
他人の声を聞いて冷静さを取り戻したのか、父の声が普段通りに戻っている。父は世間様が第一だ。家族以外の前で、絶対に乱暴な態度を見せたりしない。
父が扉から遠ざかる気配を確認して、私はチェストを引き摺り扉を開けて階段を駆け下りた。
急いで靴を履き、外に飛び出す。夜の冷たい風が一気に吹き込んできて思わず目を伏せた。
瞳を開けると、襟がダラッとよれた白いセーター姿の高杉が、肩で息をしながら立っている。
「どうして?」
「前に……話したじゃないですか。電話で……、僕と若槻さんの家は、近いねって」
高杉は思い切り息切れしていて、鼻も頬も手も全部真っ赤になっている。後ろには道路に転げたままの自転車があり、その後輪は今も音をたて回転していた。
上着も羽織らず、こんなに寒いなかを、全速力で走ってきてくれた事が容易に想像できる。
「だけど」
「河を挟んで……駅からの距離は一緒だねって……話したじゃないですか」
「話したけど」
「三丁目なら自転車だと……五分だねって、だから全速力だと……一分です!」
まだ息が整わないのか、高杉は肩で大きく深呼吸を繰り返しいる。
「だからって、本当に来ると思わないじゃん」
「助けてって……若槻さんが言ったから。あなたが……僕の名前を呼んだから!」
高杉の言葉に、目頭が熱くなっていく。
いま何か言葉を口にしたら泣き出してしまいそうで、私は無言のまま高杉の横をすり抜け歩き出した。
「あ。若槻さんん! あの……」
追いかけてきて。
心でそう祈りながら早足で歩いていると、自転車を押しながら後をついてくる高杉の足音が聞こえた。
近所の公園に入る。
そこはブランコが一つと、あとは鳩の糞で汚れたベンチが一つしかない小さな公園で、日が沈みかけたこの時間に人は誰もおらず、怖いくらいの静寂が広がっている。ブランコの鎖を引くと、耳障りな金属音がやけに大きく反響した。
「若槻さん……」
寂しい空間に、高杉の柔らかな声が通り抜ける。それだけで、不思議と空気が優しくなったように感じた。
ブランコに腰を下ろすと、寒さのせいなのか、先程までの恐怖のせいなのか、鎖を握る手が小刻みに震えた。
「うちの家族ね……壊れてるの」
何とか言葉を引っ 張りだして高杉を見上げる。
「お父さんも、お母さんも、私も。みんな必死になって隠さなきゃいけない事ばかりで……」
そこまでは言えた。
ただそこまで話すと、突然溢れてきた涙で言葉が詰まった。
泣きたくなんかない。
「若槻さん……」
泣きたくなんかないから。
「大丈夫って、言って」
「え?」
「あんたの声で、大丈夫だって言って!」
そうすれば、本当に大丈夫になるから。
涙で滲んだ視界で高杉を見上げる。突然吹いた強い風に瞳を閉じると、瞼に溜まっていた涙が溢れ頬を伝い落ちた。
「言ってよ! 早く! 言いなさいよっ!」
思い切り叫んで八つ当たりする。そんな私の震える両手を、高杉がそっと握りしめた。
「大丈夫……大丈夫です」
その声が鼓膜を震わせ、胸まで響いて疼き始める。その途端、色んな事がいっぱいになり私は高杉の前で小さな子供みたいにぐしゃぐしゃに泣いた。
「呼んでください」
しゃがみ込んで私と目の高さを合わせた高杉が、ゆっくりと言葉を続ける。
「あなたがそんな風になる時は……そんな風に泣いてしまう時は、僕を呼んで下さい」
高杉の言葉が、外側の皮膚から順番に身体の中心へと沈み込んでいく。
「僕の声で、大丈夫を届けにきます。何度でも来ます。必ず来ます」
からっぽになりそうだった私の心が、一気に満たされていく。私の中の強気や元気。そして、人が笑う為に必要な成分が、百パーセントに回復するのを感じる。
「高杉のくせに、カッコつけ過ぎ!」
そう言って全開に笑う。
「……今頃、恥ずかしくなってきました」
同じように笑った高杉が、照れ臭そうに頭をかいた。
「ありがとう」
来てくれて。
「ありがと、高杉」
そう言ってもう一度笑いかけると、今度は恥ずかしそうに頬を染めて高杉が視線をそらした。
神の声は、私だけに向けられた言葉ではない。どんなに想い焦がれても、声優である遠い存在の神は、文字通り神様と同じ。手の届かない距離にいる。
『僕の声で、大丈夫を届けに来ます』
神様は、呼んでも来ない。
『何度でも来ます』
神様は、来ない。
『必ず来ます』
神様は……、もういらない。
神にそむいた夜。
私は、自分だけのヒーローを見つけた。
→17話に続く
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