act…15
学校からの帰り道。
地元の駅まで戻ってきた私は、最寄り駅から真っ直ぐ伸びた並木道を歩いていた。
淡い朱色に染まった雲がゆっくりと流れていく夕暮れ時は、朝よりずっと空を低く感じる。家に帰ると、母がちょうど玄関で靴を履いていた。
「あれ? 今から買い物?」
「お味噌が切れちゃいそうなのよ。今から急いで行ってくるわね」
「お味噌汁、無くてもいいよ」
そう言って引き止める私に、「調味料が切れてると、なんだか不安なのよ」と母が苦笑する。
「そうなんだ……」
主婦とは皆、そうなのだろうか。
料理を母に任せっぱなしの私にはピンとこない。
母を見送ってから二階の自室に上がった。
制服を脱いで、ボーダー柄のトレーナーとスキニージーンズに着替える。脱いだ制服のジャケットをハンガーにかけていると、玄関の扉が開く音が聞こえた。
あれ?
財布でも忘れたのかな。
小さく笑いながら階段を真ん中まで下りて玄関を見る。そこにいたのは、母ではなく父だった。
瞬間、息が詰まる。
私は急いで部屋に戻りドアを閉めた。
「増美? 出掛けているのか?」
一階で父が母の名を呼ぶ。
息を潜め耳を潜ましていると、父が二階に上がってくる足音が聞こえた。
仕事人間で外では完璧な父が珍しく早く帰宅した夜。決まって父は家の中で狂う。母に暴力を振るい、母がいないとその対象が私になる。
ドアを背に立ち尽くしていると、小さな何かが階段に跳ねて転がり落下していく音が聞こえた。
その刹那、音に合わせて飛び出してくる苦い記憶。
私が初めて狂う父を見たのは小学三年の頃。その日も母が用事で出掛けていた。
帰ってきた父の手には、オモチャ屋の袋が握られていて、私は笑顔で父を出迎えた。自分へのお土産かと喜ぶ私の横を、父が無表情のまま通り過ぎていく。
リビングで紙袋からホビーピストルを取り出した父は、そこにビービー弾と書かれた袋に入った小さな弾を詰め込んでいた。
そして窓を少しだけ開け、そこから銃口を出し何かを撃ちはじめる。
『おとーさん……?』
父の後ろからそっと窓の外を見ると、庭のブロック塀にとまったスズメの一羽が落下していく瞬間が見えた。背中に冷たい水を垂らされたような、嫌な寒気が体を襲う。
父は満足そうに笑いながらスズメを撃ち、野良猫を撃ち、そして静かに振り返った。一際楽しそうに目を細めた父が、私に向かって引き金を引く。
それはオモチャのエアガンで、それほど強い威力はないらしい。それでも、当たれば痛んで赤くなり、もしも瞳に当たれば失明の危険だってある。
どれほどの数があったのか分からないビービー弾が全て無くなるまで、父は逃げ惑う私を楽しそうに打ち続けた。
「燈子? 帰っているのかい?」
普段と違う声音で名前を呼ばれ、更に恐怖が湧く。
どうしよう。
私の部屋に鍵はついていない。私は自分で動かせそうなチェストを引き摺り移動させて扉を塞いだ。
「燈子? 部屋にいるんだね?」
近づく父の足音と、ビービー弾が床に落ちて弾む音が響く。私は両手で力いっぱいチェストを押さえた。
その手が、 どうしようもなく震えだす。
大丈夫、大丈夫よ。
激しく脈打つ心臓に、言い聞かせるようにそう繰り返した。
大丈夫。大丈夫だから。
父が時々壊れたって、母が時々家出したって、私には神がいる。いつだって神の声を聞けば救われた。何かある度にいつもそうして乗り越えてきた。
だから……だから今だって。
瞬間。
物凄い力で扉が押され、チェストが少しずつ手前に移動してくる。
「ひっ」
私は恐怖とその衝撃で思わず尻餅をついた。涙で滲む視界に、ベッドの上にあるスマホが映る。私は片手でチェストを抑えながら、逆の手をスマホへと伸ばした。
もう少し、あと少しで届く。
寸前の所で手が震えて上手く掴めない。深呼吸してから、もう一度手を伸ばした。
掴めた!
そのまま震える指先で通話をタップする。
今までずっと、誰にも言わなかった。
今までずっと、誰にも言えなかった。
父親からこんな扱いを受ける自分は、その程度の価値しかない人間のような気がして、自分が恥ずかしい存在に思えた。
でも、あいつになら言える気がした。
だから……。
「助けてっ、高杉!」
→16話に続く




