act…13
カラオケの後のボーリングを計画的に……丁重にお断りして、私は八時過ぎに家に帰ってきた。そして、母と一緒に夕食をとる。テーブルにご飯を並べながら、母がまたあの言葉を口にした。
「お父さんね、今日も遅いみたい」
「一緒の家にいるのに、ほとんど会わないもんね」
味噌汁を受け取りながらそう言うと「そうね」と母が安堵するように笑う。
商社で統轄部長の父。
料理上手で家庭的な母。
学校で人気者の娘。
そんな三人が暮らす白くて綺麗な一軒家は、外から見ればとても良い家庭なのだろう。
暴力を振るう父。
家出を繰り返す母。
嘘の仮面を被った娘。
けれど箱の中味は、こんなにも壊れている。あの日以来、私は母の前でも仮面をつけるようになった。胸の痛みに気づかない振りをして、両親の事はもうどうでもいいのだと無関心を装っている。
不意に、初めて高杉の声を聞いた日のあいつの言葉が脳裏を通過した。
『僕はもう、全部どうでもいいんです』
そう言った高杉は、今まで本当に言いたかった言葉をどれほど飲み込んできたのだろう。私は初めて、高杉の声ではなく、彼自身のことを考えていた。
夕食の後、私は部屋に戻り高杉に電話をかけた。
「ただいま。 高杉」
『若槻さん。 おかえりなさい』
「あのさ、高杉……」
高杉の家族のことを聞こうとして私は口籠った。自殺まで考えていたのに、簡単に質問していい事ではないのかもしれない。
「そ、そう言えばね。カラオケの時にふと思ったんだけど」
私は誤魔化すように、無理やり違う話を始めた。
「必ず語尾を伸ばして喋る子っているでしょ」
『え?』
「だからぁ〜とか、そうなのぉ〜とか」
『は、はい。いますね』
「すごく可愛いけど、ちょっとお馬鹿っぽいよね?」
『え? あ、まぁ。言われてみればそうですね』
なんの脈絡もない私の会話に戸惑っているのか、歯切れの悪い相槌をうつ高杉にそのまま話し続ける。
「これって、どっちだと思う? 語尾を伸ばすから馬鹿っぽいのか。馬鹿だから語尾を伸ばすのか」
私が別に知りたくもない質問をすると、笑っているような吐息が聞こえた。
「むしろこんな質問をする私を馬鹿だと思ってるでしょ!」
『思ってないです!』
「嘘。笑ったくせに! 私だって本当はどっちだっていいのよそんなこと。馬鹿が先だろうが、語尾伸ばしが先だろうが、そんなのどっちだっていいの!」
私は高杉に、今までみたいに何も気にせず、本当に聞きたいことが聞けないでいる。
「だけどね! どーでもいい事に疑問でも持たなきゃやり過ごせない時ってのがあるの。わかる? 人類はね、昔から鶏が先か、卵が先かって、そんなどうでもいい疑問に頭を悩ませてきたの。つまり、馬鹿と人類は奥深いのよ!」
もう無茶苦茶だなと思いつつ、一気にそう捲し立てると、高杉が急いで言葉を返してきた。
『僕も……ば、馬鹿と、人類は……奥深いと思います!』
所々、笑って喋れないのか、高杉の声が若干震えている。 訳の分からない私の熱弁に、呆れているのかもしれない。
「やっぱり私を馬鹿だと思ってるじゃない」
『思ってないです!』
「じゃあ、何で笑ってるの! どうして必死に笑いを噛み殺してるのか言いなさい」
『それは、ただ……』
「ただ、何?」
『ただその……。可笑しくて笑った訳ではなく。 なんだかすごく、可愛いな、と思って』
は?
あまりの衝撃に私の言語中枢がシャットダウンし始めて、私は何も言葉を返せなくなった。
『あ、あの若槻さん? あの、もしもし……』
私の突然の沈黙に、高杉の声にも焦りの色が混じりだす。
しかし私は今、やたらと張り切り出した萌え中枢がフル稼働し、すでに脳内が妄想ホルモンで埋め尽くされている。電話越しの高杉が光り輝くイケメンへと変貌を遂げ、私に微笑みかける幻の映像が見えていた。
彼は、抱かれたい男ナンバーワンかもしれない。
いやいや、落ち着つこう。
仕事しろ、私の判断力!
高杉はスクールカースト最下層の男。誰も抱かれたがらない男ナンバーワンなのだ。
この神々しい笑顔のイケメンは私の妄想で、この極上の低音ボイスだって私の妄想……じゃない。こっちは現実だ。先程のイケメンにのみ許されしあの台詞だって、完全に妄想……じゃない。これも現実だ。
ちょっと待って。
あきらかに、妄想より現実の比率の方が高いんですけどーー!!!
私は心臓を押さえて床に倒れ込んだ。
『え? あの、若槻さん! え? 突然、何が』
焦る高杉の声を最後に、私は無意識に電話を切っていた。現実の恋愛経験初心者の私に、不意打ちの『可愛いなと思って』は、刺激が強過ぎる。
「高杉のくせに……」
サラッとあんな事を言うなんて。
私が考えた漫画でありがちなエロい台詞は言わないくせに、さっきみたいなことをサラッと言えるなんて。
なんだか悔しい気持ちのまま、部屋の壁掛け時計に目をやると、神が吹き替えを担当している洋画を見忘れていた事に気づいた。
「あ」
私には考えられない失態だ。録画もしていない。洋画の吹き替えは、二時間連続で神の声を堪能できる最高のコンテンツだと言うのに。
「ショック」
しかしそう呟いたものの、それほど悔しがっていない自分がいた。今までの私なら、泣いて悔やんだはず。自分ではありえない心境の変化に戸惑いを隠せない。
その時、スマホが鳴った。
ディスプレイに高杉の文字が表示される。心が騒いで、電話に出る事が出来なかった。鳴りっぱなしのまま困っていると、途中で留守電に切り替わった。その後すぐに、録音をチェックする。
『高杉です。 あの……さ、先程は、何か失礼がありましたら、すみませんでした。 そ、それでは……おやすみなさい』
高杉からの初めての電話。録音された声を繰り返し再生する。 優しく響くその声に、私の柔な心臓が悲鳴をあげた。
鼓動が早くて息苦しい。
「高杉のくせに、ずるいよ」
自分ばかり心を揺さぶられているようで腹が立つ。
そっと左胸に手をあてる。トクリットクリッと繰り返すその心音は、今までにない感情が込められた初めての音色のような気がした。
→14話へ続く




