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act…1


 また、家出した。

 私ではなく母が。


 恒例行事となりつつある、母の家出は目覚めてすぐ気づく。トーストが焼けた時の音や、パタパタと音を立てて歩く母の足音。それら消えてしまった音の代わりに、決まってキッチンのテーブルに同じ文面のメモが残されている。


燈子(とうこ)の事が嫌いになった訳ではありません。ただ、少しだけお母さんに時間を下さい』


 私がその文面を初めて見たのは十年前。当時まだ七歳だった私は、泣きながら裸足で家を飛び出し母を探した。


 だけど今の私には、母の恒例行事なんてどうでもいい。そんな事より気にするべき事が沢山ある。


 平日の初日に朝から雨が降っている事の方が問題だし、その雨のせいでフワリと流れるはずの斜め前髪が額のど真ん中でグズグズしている事の方がよっぽど大問題だ。


「湿気、嫌過ぎる」


 本来ならサッカー日本代表の攻めのように、 額の上を右サイドから左サイドへ絶妙なラインを描き流れるはずの前髪。


 それが今、監督命令を無視し中央突破を試みている。


 即座に選手交代を命じてやりたい所だけど、私のチームにヅラと言う名の控え選手はいない。こうなったら、意地でもこの地毛に言うことを聞かせるしかないのだ。


「覚悟なさい!」


 突然よくわからない高飛車キャラでそんな事を言い放った自分に若干引きつつ、温めておいたコテで前髪を軽く巻いていく。いつもならふわっと流れるはずの前髪が、今日に限って設定温度を間違えたのか、ぐりんぐりんの極強カールが出来上がった。


「フフッ」


 自分の顔の面白さに、とりあえずスマホで自撮りする。この写真が何に役立つのか分からないけれど、学校のお昼休みの笑いのネタくらいにはなるだろう。


 そして私は、ヘアオイルに手を伸ばした。


『思い通りに流れる髪を、あなたにも届けたいから.....』


 そんなフレーズが印象的だったCMのオイルを手のひらに伸ばし、前髪を引っ張りつつ丁寧に馴染ませていく。


 けれど本日の前髪様は、『思い通りに流れる髪をあなたにも届けたいから』という仕事熱心なヘアオイルよりも、はるかに強い意志と揺るぎない信念で『思い通りになどならぬ』という意気込みを私に見せつけた。


 なに、この敗北感。


 先程の「覚悟なさい」という高飛車な脅しが、ブーメランとなり私に突き刺さる。どうやら、覚悟しなければいけないのは私の方だった。


 ベッドサイドの目覚まし時計を見ると、あと数分で家を出なければいけない時間まできている。


 前髪にこだわって学校を遅刻するか。ヘアピンで留めて今すぐ家を出るか。


 私は迷わず前者を選んだ。


 これ以上手を加えるより、 洗い流した方が早い。自室を出て階段を掛けおり洗面所に向かう。


 一階の廊下を歩きながら、薄暗いままのキッチンに目をやると、テーブルの中央にいつもの便箋が置いてあるのが見えた。勿論、その内容は読まなくても分かる。


『燈子の事が嫌いになった訳ではありません。ただ、少しだけお母さんに時間を下さい』


 そう言って母は家出する。家出期間は一日。決行日は父の出張日と決まっている。


 そんな母に、私は家出の理由を聞いた事がない。幼い頃の私はそれを聞いてしまったら、母がもう戻ってこなくなるのではないかと怯えていたし、今の私はそんな母の行動にも、何一つ気づかない仕事人間の父にも、すでに興味がなかった。


 洗い終えた前髪をタオルで挟みこんで優しく水分をとる。洗面所を出てリビングの壁掛け時計を見ると、針はちょうど八時三十分をさしていた。


 大遅刻だ。


 それでも私には、遅刻してでもオシャレにこだわらなければいけない訳がある。


 私は自室に戻り、ブルーレイレコーダーの予約録画が作動する機械音を確認して(うなず)いた。


「撮れてる撮れてる」


 私が録画しているもの。

 それは、放送終了から五年経っても根強い人気を誇るアニメの再放送だ。テレビのスイッチを入れると、主人公を力強く励ます先生の姿が画面に映った。


『諦めるな! 勝負はこれからだ』


 私は髪を乾かす手を止め瞳を閉じる。そして、主人公の少年を励ます先生の声に意識を集中させた。


 澄んだ声ではない。 どちらかと言えば、声の通りは悪い方なのかもしれない。それでも胸の奥に沁み込んでくる。それは、独特の甘さを帯びた低音。


 この声を聞くだけで、いつだってハッピーになれた。私が私でいられるパワーの源だ。


「あぁああー! やっぱイイ! 超イイ! すっごくイイ! どうしよう。好き! 最高からの最高!」


 興奮のあまり無意識に謎の小躍りを舞っていた自分の姿が鏡に映る。そんな鏡の中の自分と目が合った瞬間、私は現実に引き戻された。


「シンプルにヤバイ奴じゃん」


 ニヤケながら謎ダンスを舞う自分。それは絶対、他人に見せたくない姿だし、見せるつもりもない姿だ。けれど同時にこれが、私の本当の顔でもある。

 

 そんな私は声フェチのオタクで、この声優様を『神』と崇めガチ恋している。神さえいれば現実の恋なんていらないと、そう思っている真のキモオタだった。


 勿論学校にも、漫画・アニメ・声優好きなオタクは沢山いる。そのうえ、漫画やアニメは日本が世界に誇るエンターテイメントと言われている。


 そんな時代に、わざわざ()()オタクである必要などないのではないか……。

 その答えは、NOだと私は思っている。


 なぜなら自称オタクの大半は、リアルがしっかり充実している、リア充兼オタクな『ライト層』ばかりだからだ。


 オタクではあるものの、ちゃんと恋人がいるし、大人なら結婚もしていて、大切な子供もいる。


 そんな風に、リアルの部分はしっかりと社会生活を(いとな)んでいる方々ばかりで、まだまだ私のような、純度百パーセントのガチ恋オタクのキモさまでが世間に受け入れられた訳ではない。


 うっかりライトオタクの前で、神へのえげつない崇拝(すうはい)を語ってしまうと、秒の速さで引かれ散らかす事態となるのだ。


 ライトオタクは浅瀬でバタ脚を楽しんでいるのであって、ガチオタのように深海までは決して潜ってこない。だからこそ私は、この隠れオタクを貫いていた。


 オシャレに興味がある訳でもないのに服装や髪型に気を遣い、オタグッズに捧げるはずのお小遣いを泣く泣くファッション代に回している。


 太りにくい体質だった事もあり、雑誌の読者モデルをしている私は、一応、学園ヒエラルキーの上位に属していた。


 もちろんモデルになりたい訳では無く、これは学内ヒエラルキー上位組でいる為の手段だ。


 いわゆる一軍で、いわゆるイケてるグループで、このポジションを守る為に私は、ほんの少しのオタク(しゅう)さえ醸し出さないよう普段から家の中でも『隠れ』を貫いている。


 本当の自分を隠すこと。今の私にとってそれが、何より大事なことだった。


「隠れオタクは清潔感、命!」


 鏡の前で全身をチェックする。

 フワッと流れる斜め前髪よし。サラサラのロングストレートよし。先生に見つからない程度のすっぴん風メイクよし。


 鏡の中の自分に敬礼して、私は部屋を後にした。



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