漢詩はなぜ恰好いいのか
あくまでも個人的見解ですから、話半分でお願いします。( ̄▽ ̄)//
漢詩は素晴らしい。
今の学校教育はどうか分かりませんが、昔は中学生ぐらいになると漢文の授業がありました。
その漢文の授業は、ほぼ漢詩の授業だったと記憶しています。
勿論、内容は意味不明で、テストでは赤点ギリギリだった私ですが、当時も今も漢詩が持つ不思議な魅力に引き寄せられます。
今回は、私が何に心惹かれたのか、解析してみましょう。( ̄▽ ̄)//
サンプルとして、日本で一番有名であろう漢詩を用意しました。
孟浩然の春暁です
春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
皆さんも一度は見たことがあるはずです。
この詩の良いところは、難しい漢字を使っていない所でしょう。
漢文を読み解く力が低くても、並んでいる漢字を読むだけで、なんとなく意味が分かるところもいい感じです。
① 漢字がカッコいい
漢詩は当たり前ですが、全て漢字で構成されています。ひらがなもカタカナも、ましてやアルファベットも入りません。
頭からお尻まで、オール漢字。
この漢字の形がカッコいい。
この辺りの私のマインドは、難しい漢字をあて字に使いたがるヤンキーと同じものですね。
世界にはいろいろな文字がありますが、形のカッコよさで言えば漢字がNO.1だと思います。と言うか、よくこの造形にたどり着いたなと、感心致します。
音を表す表音文字ではなく、形から意味を表す表意文字ですので、形には特別なこだわりがあるのでしょう。
小説家の宮城谷先生が、護衛や衛兵などに使われる「衛」の文字には、右側に矛を持ち左回りに城壁を回る姿を表している。
この漢字からは古代の人々も右利きだったことが推察されるという趣旨の話をされていて、私は不思議な感銘を受けたものです。
「衛」という一字に、そこまでの情報が詰まっているのかって感じです。
この種の感動を覚えるのは、もしかしたら日本人の特権かも知れません。
アルファベット圏の人々は、表意文字自体に縁が無いし、中国人は当たり前すぎて何も思わないかもしれません。
表意文字の漢字と表音文字のひらがなを併用している我々だからこそ、両者の違いが如実に理解できるのでしょう。
この例えが適切なのかは分かりませんが、ひらがなは「リラックマ」、漢字は「ガンダム」なんですよね。私の中では。
リラックマはなごみ系ですから、あれを見てカッコいいとは、なかなか思いません。一方、ガンダムはカッコいい。むしろそれ以外の要素がない。
② 並びがカッコいい
春暁は五言絶句という、四つの句、五つの文字で構成される漢詩です。
この形自体がとても均整の取れたものです。
そこに規則的な美しさがあると思います。和歌や俳句には見られないシンメトリー的な美しさです。
③ 読み下しがカッコいい
私的にはここが一番カッコいいと思います。
では読んでみましょう。
春眠暁を覚えず。
処処啼鳥を聞く。
夜来風雨の声。
花落つることを知る多少。
意味は今一つ分かりませんが、音の流れがカッコいい。
特に「処処啼鳥を聞く」は、なかなかお耳にかからない言い回しで、普通の日本語とは違い、独特の風韻があると思います。
④ 意味はさほどでもない
すみません。<(_ _)>
そもそも、私は詩を理解す心というものが、今ひとつ分からない人間です。
春暁の意味は
春の眠りは心地よく、朝が来たことに気が付かない。
ふと目を覚ますと、所々で鳥たちのさえずりが聞こえる。
そういえば、昨夜は雨と風が強かったなぁ。
あの嵐で、庭の花は散ってしまったに違いない。残念だ。
さて、もうひと眠り。
みたいな感じだと思います。
最後の一言は完全に私の主観ですけど。
まぁ。(/ ̄ー ̄)/「ふーん」ぐらいの感想ですね。
前の二行はすっごく共感できますけど、だからといって感動したりはしないかな。
よくもまぁ、この情報量を、ここまで短い文章にまとめたなと、感心はします。
表意文字たる漢字の凄みを感じますね。
⑤ まとめ
漢詩の良いところは、吟じていると何となく頭良さそうに感じる所ではないでしょうか。
意味はよく分からんが、何となくカッコいいが漢詩の魅力だと思います。
日本語に近いが、同じではない。その差異に面白ポイントがあるのでしょう。
今の意識高い系の人は、やたらと横文字を使いたがりますが、昔の意識高い系の日本人も、同じような気分で漢詩を愛用したのかもしれない。
言ってしまえば、中二病ですよ。中二病。
(; ・`д・´)//「静まれ。私の左腕よ」と、本質的には同じノリかも。これも普段の日本語では使いませんから。
詩を深く理解して、感動したりするのではなく、気軽に、なんとなく、気取った感じのファッション感覚で楽しめることが、私にとって大切なのかもしれません。
最後に私が一番好きな漢詩を語って終わりにします。
李白 少年行 七言絶句
五陵年少金市東
銀鞍白馬度春風
落花踏盡遊何處
笑入胡姫酒肆中
五陵の年少 金市の東
銀鞍 白馬 春風を度る
落花踏み盡くして何れの處にか遊ぶ
笑って入る胡姫の酒肆の中
五陵の豪族の子弟らが東市を行く
白馬に銀の鞍をつけ春風を受けて進んでいく
落花を踏みつくして一体どこへ行こうというのだ
笑いながら入っていくのは胡姫のいる酒肆の中だ
8世紀ごろの唐の都「長安」の一風景を切り取った詩です。
この頃の長安の都は、まさに最盛期。世界随一の大都市でした。
そこには遠く外国から来た人々も暮らしていたのでしょう。華やかな国際都市としての姿が目に浮かびます。
なぜかは知りませんが、日本の詩ってこの手の情景描写が苦手なような気がします。と言うかあまりやりたがらないような・・・。
なぜでしょう。(。´・ω・)?
その中でもパッと思いつくのは、
「天の原、ふりさけ見れば春日なる、三笠の山に出でし月かも」
と
「五月雨を、集めてはやし最上川」
の二首ぐらいでしょうか。
どちらも好きですが、心理描写はともかく情景描写では少年行には及ばない気がする。
因みに最後の芭蕉の句を私が覚えたのは、ゲーム「艦これ」のお陰です。
あのゲームで重巡洋艦「最上」が、この句を読むんですよね。
( ̄▽ ̄)//オシャンティー。
私の俳句の知識なんてこの程度のもんですよ。
少年行を超絶意訳すると。
山の手あたりのボンボンが
高級外車を乗り回して、春風の中を颯爽と通り過ぎていく。
舞い散る花を踏みつけて、どこへ行こうというのかね。
笑いながら入っていくのは、綺麗な外国のねぇちゃんのいる店かよ。
ちきしょうめー。
ってな感じでしょうか。
私が特にお気に入りなのは、「銀鞍白馬、春風に渡る」の下りですね。
何と素晴らしい言い回しなのでしょう。
センスあるなぁ。
流石、詩聖と呼ばれただけはある。
原文は「春風を渡る」ですが、私としてはここは「春風に渡る」と読みたい。
だって、そっちの方がカッコいいもん。
(; ・`д・´)//断言。
終わり
最後までお読みいただき、ありがとうございます。
ご意見、ご感想などございましたらお気軽にどうぞ。基本的に返信いたしております。
皆さんのお好きな漢詩も教えていただけると嬉しいです。
評価などもしていただけると喜びます。
昔。ラジオのDJが、「春暁は、中国人のシュンミンさんは、何回、会ってもロシア人のアカツキーさんの事を覚えません、と言う意味ではありません」と言っていて、大爆笑しました。
「シュンミン、アカツキーを覚えず」
覚えろよ。( ̄▽ ̄)//www




