転生したら猫? でしたけど。 〜最強猫の厨二にゃんは将来なんちゃって魔王に覚醒するのデス〜
ふわふわふさふさと優しい大きな手があたしをまさぐるように撫でる。
んー。
思いっきりのびをして起きるあたし。その気持ちのいい手のひらに頭をこすりつけて、にゃぁと鳴いた。
もふもふとあたしを弄る手が気持ちよくてついつい甘えた声が出てしまう。
彼、リョクレイ・バッケンマウアー。金色の立髪のような髪を靡かせあたしの寝床を覗く目がもうあたしにメロメロだと語っている。
「あはは。オリビーはもふもふでかわいいなぁ」
そんな台詞を吐きながらあたしを弄る彼に、あたしはしばし身を委ねた。
彼があたしの食事を用意して部屋を出て行ったあとは、ひょっと窓際に飛び乗ってお外を見る。レースのカーテンをかき分け窓に顔がくっつくぐらいに近づくと、そこには丘陵に広がる広大な農園が見える。
緑なもふもふが風に靡き、今年の豊作を保証するそんなゆったりとした景色。
風に乗ってふんわりと豊穣の女神セレスが舞っているところを見ても、この地が祝福されているのは確実だろう。
にゃ、っと声を上げると女神の眼がこちらを見て。微笑んだ。
ふふ。
ああ、幸せだ。
こうしてほんわかと生きるのは。
生まれ変わって本当に良かった。そう幸せの余韻に浸ってあたしはまた眠りにつく。
なんたって今のお仕事はこうして寝ること。
こうしてふわふわな白猫に生まれ変われたんだもの。もうあくせく働くのは懲り懲り。
ゆったりと寝て過ごす。それがこんなにも幸せなことだったなんて。本当にデウスにはどんなに感謝しても足りないよ。
そりゃあね?
昔のあたしは入った会社が悪かったのか自分の断れない性格が悪かったのか。
まだ入社数年のあたしに押し付けられる仕事仕事仕事。
これがもう少し要領のいい人だったらきっと適当にサボったりするんだろうけど実際の同僚の男の子なんかは自分の仕事まであたしに押し付けた挙句にサボってるのに評価が高く、いつのまにか係長の役職がついてて細かい仕事をどんどんあたしに振ってくる始末。
朝は始業1時間前にはデスクについて作業を始め、定時を過ぎてみんなは適当にガヤガヤ雑談しながらサボっている中(当然のように彼らはお給料のちゃんとつく残業と言う名の雑談をしている中)あたしだけ終わらなくてひたすら入力仕事をこなしていたりして。
通常作業の合間にかかってくる面倒なお客様からの苦情の電話にもひたすら対応しながら時間があっという間に過ぎていく。
そんな毎日を過ごしているうちに、いい加減体調がおかしくなっていたっぽい。
立ちくらみなんかはしょっちゅう。あの日も。
お仕事が終わってふらふらと帰路についている時だった。
目の前の信号が赤に変わったその時。
さっと向こうから飛び出して来た黒猫が、横断歩道の真ん中で立ち止まったのだ。
危ない!
もうまともな思考ではなかったんだろう。
そう思った瞬間、あたしはもつれる足を無理やり進め赤信号の横断歩道に飛び出していた。
そして。
その猫を捕まえて抱き上げたところまでは覚えてる。
そのまま体に硬いものがぶつかって。
うん。あれは多分トラック。
ごめんなさいトラックの運転手さん。あたしのせいで多分あのあと大変だったろうな。
でも。
そんなこんなでトラックにはねられてたあたしは人生を終わらせてしまった、らしいのだ。
まあ。しょうがない。
あたしが抱き上げた黒猫が助かっていてくれたら、いいんだけどな。
そんなことしか考えられなかった。
痛みを感じるまもなくあたしの体は絶命し、そして魂は体を離れたらしいから。
そうして真っ白な世界を漂ったあたしは、世界の果て、コトワリノ輪廻の入り口まで辿り着いたのだった。
ひたすら白い世界に漂う間に、あたしには一つの気持ちが生まれていた。
いわく、
もう二度と働きたくない。あんな人生はまっぴら。
もし生まれ変われるのなら平凡でいい、猫のようにひたすらまったりと過ごせたら。
そんな願い。
もしかしたらそんな心が届いたのかな?
「その願い、叶えてあげましょう」
って声? が響いて来た。
「誰?」
そうあたりを意識してみると、そこには猫のような顔をした真っ白な老人? が。
「私は『デウス』。あの黒猫を助けた貴女の心に敬意を表して、その願いを叶えてあげましょう」
そんな声のような意識の塊のようなものに飲まれ、そのままあたしはひたすらコトワリノ輪廻の渦へ落ちて行った。
次に意識を取り戻した時。
あたしは生まれたばかりの子猫だった。ううん、自分のことを猫だと認識したのはもっとずっと後。
その時はただひたすらお母さんのお乳に縋り付くことだけしか考えられなかった。
ただただひたすら寝て。
時々お母さんのお乳を飲んでまた寝る。
身体中を舐めてもらうのが嬉しくて。
うん。今でも体を撫でられるのって安心するけど、きっとこのお母さんに舐められていた記憶がそう感じさせてくれるんだろうな。
兄弟たちと一緒にお母さんの周りをうろうろ。そろそろ周囲が気になって箱からゴソゴソ脱走するお兄ちゃんたちに混じってあたしも頑張って箱を登る。
そうするとさっと大きな手に捕まってまた箱に戻されるの繰り返し。
次第に眼がちゃんと見えるようになってきたあたしは、その手がおっきな女の人だっていうのがわかってきた。
っていうか侍女服?
メイド服のような黒いシックなお洋服に身を包んだ女性があたしたちの世話をしていた。
時々現れる豪華なドレスに身を包んだ人が多分ここの奥様。
薄い金色の髪のその女性はあたしたちを撫で回すだけ撫で回しては時々一人また一人とお兄ちゃんたちを連れて行った。
最初あたしの他に五つあったもふもふは、とうとうあたし一人になり。
そして。
「ねえリョクレイ。このこはどう?」
「そうだね。僕はどれでもよかったけど」
「もう。そう言わないの。あなたも子猫を飼ったらきっと好きになるわ」
「ああ、母さん、僕はもうこんな子猫を欲しがるような子供じゃないんだよ?」
「だって。あなたまだ彼女もいないでしょ? 情緒がまだ成熟してない証拠だわ。いいからこのこを飼ってみなさい。きっとあなたのその仏頂面も治るから」
「仏頂面って。この顔は父さんに似ただけで……」
「まあ、お父さんはあなたと違って笑顔が素敵なのよ」
「……」
黙り込んでしまった男の人。
奥様が連れてきたお客様にお披露目されたあたし。
どうやらここの家族に貰われていくらしい。
「レティシア様、このこ頂いていきますわ」
「まあライラ様。お気に召して頂いてこの子も幸せですわ。兄弟の中では一番小さい子でしたからちゃんと育つか心配でしたけど」
「名前はどうしましょう? ねえ? リョクレイ?」
「女の子ですから。可愛らしい名前をつけてあげてくださいな」
「では、そうですね。オリビアというのはどうでしょうか?」
「まあリョクレイ様はセンスがよろしいのですね。オリビア。愛称はオリビー? リヴィ? 素敵な良いお名前だと思いますわ」
「ふふ。この子はレイア様が大事にしていらっしゃるミーシャちゃんによく似ていて可愛らしいわ。同じようなクリーム色ですしきっと美人な猫になりますわね」
レイアというのはこのお屋敷の娘さん。
あたしの顔を見て「まあミーシャにそっくりだわ」って言っていたのを覚えてる。
どうやらあたしはそのミーシャっていうおばさん猫によく似ているらしい。
っていうかあたしの母さんがそのミーシャの妹にあたる? らしいから、よく似てても当たり前かもだけどね?
あたしはそのまま籠に入れられリョクレイ様の飼い猫になった。
馬車で結構長い道のりを来たから疲れたけどしょうがない。揺れる馬車の中は落ち着かなくて何度もニャーニャー鳴いちゃったけど、その度に手を差し入れてくれて撫でてくれるリョクレイ様はなかなかのイケメンで。最初は表情の硬い人だなあと思ってたけど段々とその顔が緩んでくるのがわかって。
彼らのお屋敷にたどり着く頃にはすっかりと笑みをこぼすようになった彼。
ふふ。
あたしもすっかり彼のこと好きになっちゃった。
まあ、猫だからね? そこはしょうがないのだけれど。ね。
そんなこんなでリョクレイ様の飼い猫になったあたし。夜は彼の寝室に設られたあたし専用の寝床で寝て。気が向くと彼のベッドの潜り込むことも。
ご飯もお水もちゃんと彼が用意してくれるしそんでもって昼間はこうして窓際でまったりと外を観ながら寝る。
うん。
なんて幸せなんだろう。
残念なのは好きだった小説や漫画が読めない事だけだけど、それはそれ、どうせこうして転生してしまったんだもの元の世界の漫画の続きなんてもうみることは叶わないんだし。それに。
ここ数年はお仕事で忙しくて毎日帰ったら寝るだけの生活で、そういう漫画やアニメ、小説だって読んだり観たりする余裕はなかった。
もうどっちにしても人生詰んでたんだもの。こうしてまったり過ごせるだけ幸せっていうものだよ。
それに。
こうしてまったりしてると時々お話が勝手に落ちてくる。
妄想が頭の中に出来上がってきたりしてくれるから。それで満足していればいいかな。
できれば忘れないうちに書き留めておきたいとは思うけどまあそれはこの猫の身じゃ叶わないからそれだけが残念だけど。
しょうがないなぁ。
それと。
ちょっとだけ想定外な事。
あたし、どうやら、っていうかなんていうか他の人特に人間には見えてないんだろうって思うけど、神様が見えたりするんだよね。
お空にぼんやりと浮かんでいる女神や時々あらわれる龍神様。
そんでもって小さいので言えば光の天使や炎の精霊みたいなもの。
そんなものがぼんやり見えるの。
もしかしてこれって猫に産まれたおかげ?
そう思ってお母さんやお兄ちゃんに話しかけてみたりしたけど残念ながら彼らと言葉で意思の疎通を図ることはできなかった。
っていうか、気持ちはちゃんと通じてるんだよ?
猫って感情がちゃんと表に出るの。
好きとか嫌いとか幸せとか怒ったり悲しんだり慰め合ったり、そういうのはちゃんと分かり合えた。
特に、好き、大好きってそんな気持ちはあたしも感じたし向こうにもちゃんと通じていたと思うんだ。
もちろん、別れの時は悲しかった。
けど。逆に。
あたしはいつまでもお兄ちゃんたちの幸せを祈っているしお母さんも愛してるし。きっと向こうだってそう思ってくれていると思う。
きっと。ね。
前世の記憶は今でもあるし悲しかった辛かったこともちゃんと覚えてる。
でも。
精神的に結構自分が楽観的になっているのもわかる。
昔に比べて、ね?
だから。
今のあたしは幸せだよー、と。
そうお母さんに言いたいな。
前世のお母さんにも。今の猫のお母さんにも。
二人とも、大好き、だよ。
まあただね、最近の夢だけはちょっとだけイタダケナイ。
あたしの妄想なのかただの夢なのかどうかよくわからないけどここのところ寝ると結構みてしまう夢。
その夢の中であたしは真っ黒な黒猫、だった。
濡れそぼった野良猫。
ご飯もなくて寒くて。
ひもじくてつらくて。
泥に塗れてお腹も痛くて。でも、死にたくない、そんな気持ちで彷徨っていた。
そんな真っ黒な猫、だった。
そう。
あたしは都会の雑踏の中で産まれた。
気がついたら一人。彷徨っていた。
人間が捨てた食材を漁り、腐りかけているものを貪る。ああ、こんな猫の身でこんな人間の食べ物を食べたら長生きなんかできないよ。そういう理性なんかは今はいらない。
食べなきゃ今死んじゃうんだ。
将来の長生きがなんて言ってられない。腐っててもしょっぱくても今これをお腹に入れないと、あたしはこのまま生きてはいけない。
この間も誰かが死んだ。
あたしの兄弟? ううん、多分違うんだろうその猫は道路の端で仰向けになって血だらけで転がっていた。
警察の車が止まり。何人もの警察官の足が見えたと思ったら、布っきれ? ビニール袋? そんなものでその死体を包んで連れてった。
あんなのは嫌だ。死んだらただの毛玉、ただのゴミだ。あたしはなんとしても生き延びる。
生き延びたら何かいいことでもあるのか? って?
ううん、違う。
生きるのに意味なんか、ない。
ただ死にたくないだけだ。死んでただのゴミになるのが嫌。絶対に嫌。それだけ。
ゴーゴーと吹き荒れる音が子守唄がわり。
お日様の高いうちは都会のビルの隙間のそのまた隅っこで丸くなって眠る。
雨がざあっと降るとびしょ濡れになり、昼は暑いのに夜は寒い。
いつしか自分の毛繕いも満足にできなくなったあたしは、多分ぼろ雑巾のように真っ黒でボロボロで。埃やゴミがついたままのそんな毛玉のまま歩いていた。
光が眩しいそんな街の片隅。歩き回らないと寒くて凍え死にそうだ。それに。
多分食べ物に巡り会えるのもこんな夜の間だし。
他の猫となるべく遭遇しないよう、襲われないように気をつけながらあたしは彷徨った。
生きていたい?
こんなに辛いのに。
死にたくない。
うん。なんとしても。何をしても。生き延びてやる。それだけがあたしの心を占めていた。
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ああ。やっぱり今日もあの夢、だ。
真っ黒で汚い毛玉だったあたし。
ただ生きるために必死だったあたし。
こんなに今は幸せなのに。
心の中に真っ黒な闇のようなそんな塊があるような。そんな気がしていた。
この世界、窓にはちゃんとガラスがはまってるしサッシ部分は木材のようだけどそれでもきっちりとした作りで歪みもないし。
それも結構な透明度の高い窓ガラス。お外もちゃんと見えるの。
なんとなくよくある中世から近世のヨーロッパのような服装をしてる人々や移動手段が馬車だったりしたこともあって近代文明は発達してないのかと思ってたけど一部そうでもなさそうで。
あからさまなプラスチック、は、ないけれど、かなり精巧な加工の樹脂製品は存在するっぽい。
壁に使われている素材や家具にも木材や皮製品とは違うそれでいて陶器とも違うそんなものがあふれていた。
どうしてそんなことがわかるかって? そんなの爪を立ててみた感じでわかるよね?
あと、絶対に元の世界と違うって感じる決定的な事。
それは。
なんと言ってもこの世界には魔法っていうものが存在する事だろう。
電化製品がどうやら存在しないこの世界でそんな便利道具の代わりをしているのが魔法で動く魔道具の類。
まあね。女神様や妖精なんかがふわふわ浮いているんだもの。想像はついたけど。
お部屋の灯に暖房冷房なんかの空調、お掃除をする自動人形にお手紙を運ぶ魔法の紙飛行機。
ふふ。
剣と魔法の世界を想像してたけどなんだかちょっとイメージ違う。
だって、お掃除をしてくれる自動人形ってあれだよ? 丸くて平べったいお掃除ロボットみたいな形をしてるんだよ?
違うところといえば、虫のような脚がついてるところ。
普段は多分魔法? で少し浮いて移動するそのお掃除魔道具人形だけど、その虫みたいな脚で壁を登ったり凸凹のところを移動したり、大きなゴミを拾ったりもできる。
すごい高性能な自動人形なのだった。
リョクレイ様は、オート・マタって呼んでたけどホントこんな高性能なお掃除ロボが各家庭にあるのなら、この世界って近世どころか産業革命後の世界よりもさらに発達した文明社会って気もしちゃう。
「オリビー、ただいま」
あたしはそれまで丸くなっていた窓際からにゅっと伸びおきてスタンと床に降りる。
そのままお部屋に入ってきたリョクレイ様の足元にいくと、頭をすりすりとそのふくらはぎにこすりつけた。
上着を脱いでそのままベッドにゴロンと横になった彼の胸の上にぴょんと飛び乗ったあたし。
にゃぁと甘えた声を出しながら彼の大きな手のひらに頭を擦り付ける。
片手は頭、もう片手で体をもふもふしてくれるのが気持ちよくて嬉しくて。
あたしはリョクレイ様の胸の上で丸くなった。
ささささっと猫じゃらしが地を這うように動く。
あたしはその先っぽについた羽がどうしても欲しくって追いかけるのだけど届いたと思ったらさっと背後に回されて。
そのまま反転して追いかけると今度はふっと空を移動して今度はまた反対側に。
はううー!
もう今度こそ本気で行くよー!!
じっとしてよく見ると、焦らすように目の前届きそうで届かないそんな場所でフルフルフラれる羽先。
あたし、じわじわっとお尻を振って戦闘態勢を取ると、一気にその羽に飛びかかった。
にゃー!
目の前でさっと上に逃げるその羽。
うん、逃がさないよ!
にゃぁ!
あたしは反射的に体を上にそらしその逃げる羽を両手で掴む。
捕まえたぁ!
ふふふ。
ふふふ。
やっと捕まえた戦利品をクンクンしながらカミカミして。
興奮もおさまってきたところで。
「オリビーは可愛いなぁ」
そう聞こえるリョクレイ様の声。
両手を使ってあたしを撫で回してくれるリョクレイ様に、もう思いっきり身体をこすりつけ。
興奮が快感に変わる。
にゃぁおん。
思わずそんな甘えた声が漏れる。
にゃぁ。幸せだ。
あたしは今のこの幸せがずっと続けばいいな。
そんな風に感じながら、リョウレイ様の大きな手のひらに身を委ねた。
って。ちょっと猫になりきりすぎじゃない?
頭が冷えるとちょっとそんな風に反省もしたりする。
でも。
やっぱりね、心って身体に引き摺られる?
この猫の体で過ごすうちにあたしの心は猫のそれに変わってきているの?
ああ、でも。
猫でいいかも、ううん、猫がいいかも。
そう思うあたしも確実に存在した、のだ。
前世のあの耐え難い苦痛の日々。
何も楽しみもなくただただ寝て起きて仕事をするそんな人生に比べたら、この猫生のなんて素敵なことか。
思いっきり寝て。
大好きなリョクレイ様と一緒に遊び。
そして身体を擦り寄せ一緒に過ごす。
そんなまったりとした猫の生活。
あたしにとってこの猫のあたしは今までの人生を帳消しにしてくれるくらいの幸せを感じさせてくれていた。
ほんと。幸せ、だ。
リョクレイ様がお布団に入って寝静まったら、そこからはあたしの一人の時間。
実はこの深夜のお楽しみタイムも、今の猫生のおかげ? すっごく楽しんでいる時間でもあるの。
内緒で窓をちょこっと開けて、そしてお外にお出かけするあたし。
ふふ。
この世界が魔法の世界で良かった。
あたしみたいな猫の体でも、ちゃーんと魔法が使えるんだもの。
あはは。
今夜はまんまるい月がふたつも昇ってる。
魔力が身体に満ちているよ。
ふわっと身体を浮かすとそのまま窓からジャンプ。
あたしは遠くに見える草原を目指し、そのまま空中散歩と洒落込んだのだ。
ふふふ。
ふふふ。
まんまるい月から光が降り注いで。
その月のパワーっていうの? そんなものをなんとなくだけど感じて。
フタツキ。
この二つの月のことをリョクレイ様はそう呼んでいた。
っていうかまんまるい月が二つ並んで浮かんでいる姿って、ものすごく幻想的。地球にはなかったその景色を満喫しながら、ああ、ここはやっぱり異世界なんだな。そんな感想が頭の中に浮かんだ。
自然の姿や木々や風、そんなものは全然変わらないと思ってた。ううん、地球の日本のあの時代のそれと比べたらこっちの世界の方がなんと色鮮やかで美しいか。そうは思ってたけどそれでもほんとに別の世界かって言われるとそこまで違いは感じられなかったのもほんとうなんだけど。
あたしのこの猫の姿も地球にいた猫となんの変わりもないし、人間だって別に指が6本あるわけでもないし足が3本あるわけでもない。
地球人となんにも変わらない姿形でそこにいたのだから。
まあね?
こうして猫が空を飛ぶなんて、あっちの世界じゃ考えられないんだろうからさ。
やっぱり違うんだろうね? そうは思うけど。
フタツキ。
この地球で見ていた月にそっくりな月が二つぽっかり浮かんでいる状態に見惚れながら。
あたしはふんわりと空を舞っていた。
まるで月そのものが降っているいるかのようなそんな不思議な力を全身に浴びながら、ふんわりとふわふわと気持ちよく。
マナっていうのかな。この不思議な力の源。
リョクレイ様が遊びながらちょこっと使って見せてくれた魔法。あたしにも使えるのかなって思ったらちゃんと使えたのはラッキーだったけど。
心の中にあるマナを心の奥底にある出口からちょんと出すと、それはこの世界の物理法則に干渉する力に変換されるみたいなの。
っていうかさ、心の中ってマナがたくさん溜まってる風船みたいなもの?
大気中にも溶けるようにマナは存在するみたいで、あたしの心はそれを自然に呼吸するように取り込んでいるっぽくて。
魔法を使ってもあたしの心の風船は萎んじゃうこともなくマナを補充してる感じ。
だけど、今のフタツキ。
この二つの満月から放たれている黄金の光のシャワーは、大気中のマナよりももっと濃いマナのシャワーみたいな感じ。
力が満ちる。
月が出ていない時よりも自分の中から湧き出る力が増えている。そんな気持ちよさを堪能しつつあたしは大空にふわふわと浮かんで。
ちょっとその気持ち良さに酔っていた。
お酒に酔った時のような、そんな感覚を味わっていたのだった。
「ねえ君。こんなお空の上で寝ちゃうと危ないよ?」
はう!
いきなり。
そんな声に目が覚めたあたし。周りをキョロキョロと見回して。
そこには、あたしと同じような白いクリーム色をした猫が居た。
ふんわりと浮かんでいる可愛らしいその姿。
「誰!? あなた、誰?」
思わずそう叫んでいた。
あたしとおんなじようなクリーム色の猫。でもちょっと違う。
まるで立って歩いているかのように空中に浮かび前足を手のように動かしている。
あたしはごろんと寝転がったような仰向けで浮かんでいたのが恥ずかしくて、にゃっと体の向きを直す。
「ふふ。ボクはフニウ。君は?」
そのこ、見た感じメスなのにボクって言って。フニウって名乗った。
「ふーん。あたしはオリビア。オリビーって呼んで。ご主人様はそう呼んでくれるの。あなたって、魔法の猫なのね?」
あたしは自分と同じような存在がいることが少し嬉しくて。っていうかこの世界の猫はみんなこうして魔法が使えるのかしら?
「魔法の猫、って、それはこっちのセリフだよ。まさかこんな風にふわふわ浮いている猫が他にいるなんて思わなかったからさ」
あは。
「そっか。この世界の猫ってみんなあなたみたいに魔法の猫なのかと思っちゃった。あたしまだ生まれてそんなに経ってないから両親と兄弟以外の猫って初めて見るわ」
「それにしてはおしゃべりも流暢だね? もしかして君、転生者?」
え?
転生者って。
そんな概念がちゃんとこの世界には存在するの? っていうか割とたくさんいたりするの?
「転生者、って。この世界には転生者がたくさんいたりするの?」
フニウ、ちょっとだけ思案するように右前足を頬に当て小首を傾げる。
はう。天使かこの子。ちょっと可愛すぎるんですけど!
「んー。そんなにはいないけど稀にはいるね。っていうか普通人や生き物は死ぬとその魂は円環《コトワリの輪廻》に導かれ大霊に還り、溶け混ざった後新たな魂として生を得るのだけど、その時にどうしてか以前の魂のまま産まれ変わることがあるのさ。それが転生っていうものなんだけど」
はう?
え? でも?
「転生って、神様のご褒美じゃないの? てっきりあたし……」
あたしは神様のご褒美でこの世界に転生させてもらったはず。転生者ってそういうものだと思ってたのに。
「ああ、もしかして君って異世界からの転生者? 異世界転生ってやつ?」
あう。異世界、確かに異世界転生、だよ。
こくん、と頷くあたし。
「なるほどね。通りで『この世界』なんてセリフが出てくるわけだ。うん。興味深いね。じゃぁ君は『転生したら猫でした』って状況の異世界転生ものの主人公、っていう所なのかもね」
ええ? 比喩、だよね? あたしが主人公、だなんて。
っていうかこの子、ほんといったい何者なの?
転生者だの異世界だのそんな概念を理解している猫だなんて、このフニウこそ普通の猫にはとても思えないよ。
「あはは。ほんと君は面白いね」
フニウはそういうとくるんとその場で宙返りをして。
「今日はせっかくのフタツキの夜だし、この光のシャワーを存分に楽しむといいよ。じゃぁね」
そう言ってふわんと空高く舞い上がって行った。
って、あなたの方こそ不思議で興味深いかもだよ。
そう呟いてみるけど聞いてる人はもういない、かな。
まあでもほんと、今日のマナの濃さはとても気持ちが良くて。なんだかこのままなんでもできるような錯覚も覚える。
眼下に見える草原がふさふさの綿毛に見えて。あそこで転がるととっても気持ちが良さそうだ。
あたしはストンと急降下すると草原にダイブして。緑の草の青臭い香を堪能し。
そのまま背中をゴロゴロと擦り付ける。
ふふ。ふふ。
ここは今日からあたしの縄張りだ。
草原の女王?
あは。うん。それもいいな。
リョクレイ様に自慢できるかな。
ああでも、心配かけちゃうかな。どうしよっか。
ガササ
ん?
草原の中程にあたし以外のマナを感じる。
なんだろう? 動物?
あ、違う。これ、は……
黒い、あの夢の黒猫のようなそんな黒いマナ。
黒よりも黒い漆黒の。
そんな、マナ。
真那というより魔。マナを神聖なものとした場合それは澱みの底にある閻魔。
そんな魔のカケラを宿している生き物が、そこにいる。
黒い吹雪のようなそんな色をした、一頭の狼がそこに居た。
草原をかき分け、ゴソゴソ、と、あたしの目の前にまでやってきて。
こちらを睨み、ヴルルルル! と、唸った。
ああ、以前のあたしだったらきっと腰を抜かして驚いて。
恐怖に震えていたかもしれない。
その漆黒の吹雪のような唸り声は、お腹の底から響き。
か弱い動物だったら一瞬にして尻尾を巻いて逃げ出していただろう。
いや、格の違いにその場から動くことも出来ずにいただろうか?
でも。
今のあたしは何故かこんな怪物に対しても少しも恐怖を感じることは無かった。
それよりも。
逆に睨み返す余裕すら、あったのだ。
ふふ。
あんたなかなか強そうね。
でも。
負けてなんかやらない。
あたしはあんたなんかに負けはしない。
さあ、かかってきなさい!
そう睨み返すとその勢いに飲まれたのか漆黒の狼はあたしに向かって牙をむき、そのまま飛びかかってきた。
いなす?
ううん。そんなことすらしてやんない。
格が違うのよ格が!
あたしはガオウとまるで百獣の王のごとく吠えると、目の前に集めたマナの壁でその狼の突進を受け止める。
フッ。
奴の顎を上に弾き、そしてその喉元に食らいつき。
そのまま首を振ってその狼を真上に飛ばす。
キャオン!
まるで子犬のような鳴き声をあげたその狼もとい犬っころは、あたしの覇気に押され、そのまま文字通り尻尾を巻いて逃げ出した。
あは。
あはは!
あたしは大声で笑うと、がおーんと雄叫びをあげる。
まるでマナに酔ったかのように、あたしの心はふわふわと周囲に広がっていった。
あたしの心の中でそれまでにない感情が生まれていた。
うん。
あたし、もっと強くなりたい。
リョクレイ様に甘えるだけの生活も幸せだしこのまま猫の生活にも不満があるわけじゃない。
でも。
あはは。
この高揚感をもっともっと味わいたい。
ただそれだけのために。
あたしは、強くなりたい。
もっともっと強くなって、きっと。
生きているって実感したい。
黒猫だったあの夢。
生きていくだけで精一杯だったあの時の感情が、あたしの心の奥底に真っ赤に燃える石を作り出していた。
まるで。
うん。
今はまだいいや。
きっといつか。
フタツキのマナに酔っ払いながら。あたしはきっと誰よりも強くなれる。そう感じていた。