囮作戦 その1
古びた商店街は18時を過ぎるとシャッターを閉める店が大半だ。
その前を艶やかな長い黒髪を揺らし1人の女子高生が足早に目的地を目指していく。
「おっ、芙美ちゃんお出掛けかい?」
声を掛けて来たのは商店街で古くから時計屋を営んでいる中年の男性店主だった。白髪の紳士的な見た目に反して、声色がやや高めの特徴的な話し方をする人物だ。
「お父さんに頼まれて、ちょっとそこまでお弁当の配達に」
そう言うと芙美は手にしている紙袋を軽く上にあげて見せた。
父の店では出前も請け負っており、人がいない時などは芙美や大倭が手伝う事もよくあった。
「それはご苦労さん、でもだいぶ暗くなってきたから気を付けるんだよ。最近は物騒な事件も起きてるしね」
「はい、気を付けます~」
「ついこの間も琴ちゃんが襲われたろう。その前も写真館とこの娘さんの~え~っと名前は何てたっけかな?まぁ、その何とかって娘さんが襲われたって言うじゃないか、だから芙美ちゃんも気を付けなきゃ駄目だぞ」
いえもう既に襲われた後です。とは流石に言い出せず、時計屋の店主の世間話は延々と続く。
「はい… 」「えぇ…」「そうですね…」
段々と適当になっていく芙美の相づちにも気付かず店主の話しは一向に終わる気配は無い。
それどころか若かりし頃に自宅で遭遇した泥棒との激しい攻防の話題に差し掛かったとき、芙美はとうとう堪えきれず吹き出した。
「ちょっ…す、すみません。違うんです、ふっ、ふふふ」
「芙美ちゃん…?」
芙美は必死で我慢しようとしているが、小刻みに震える細い肩と切れ長の涼しげな目には涙が溜まっている。
「ご、ごめん…なさい。あの、時間も遅くなっちゃうので…もう行きますね。そ、それじゃあ失礼しま…す。フハァッ!!」
「あ、あぁ、気を付けてね…」
唖然としている時計屋の店主を残し、芙美は口を手で覆うと逃げるようにその場を後にした。
公園通りまでやって来ると辺りは一層暗く静寂に包まれている。
芙美は肩で息を切らしながら周囲をぐるりと見回して人がいない事を確認すると突然声を荒げた。
「ちょっとアンタ達いい加減にしてよね!時計屋のおじちゃんに絶対に変だと思われたじゃない!」
端から見れば1人で喚いている芙美の姿はこれ以上ない怪しさなのだが、その耳には小さなイヤホンマイクが取り付けられていた。
「アハハッ~ごめんごめん、でも似てたでしょ!おじちゃんの物まね」
声の主である琴は笑いながら応える。
「似てましたよ。特に興奮すると声が更に高くなるところなんて激似だったよ。だから問題なんでしょう!おじちゃんの前でやられたら我慢なんて出来ないから」
「だってさ~芙美とおじちゃんの話しがあんまり長いからさ~孝美もそう思うでしょ?」
「思う、思う。てか、それよりも…おじちゃんが私の名前忘れてたのが酷い!」
「アハハッ!そうそう~結局、思い出さなくて誤魔化したよね」
「もうあの時計屋にしばらくは行ってやらないんだから…お父さん達にも言っておかなきゃ」
孝美の不貞腐れたような言葉に琴は大きな声で笑いだした。その笑い声に孝美の愚痴は更に酷くなっていく。
その騒々しいやり取りは、薄暗い通りに1人佇む芙美の耳元に延々と流れていた。




