芙美と琴 その1
都心から少し離れた静かな住宅街は時代が移り変わってもなお下町の風情を色濃く残している。街の象徴となるようなランドマークや名産品など特になく、唯一の観光スポットといえば300年以上も昔に建てられた大神八幡宮だけだった。
その昔、この辺りを襲った大災害を静めるために当時の偉い人が不眠不休で造らせた由緒正しい神社であると、この辺りの人間達は幼少期から事あるごとに大人達に聞かされ続けるのが習慣だった。
そんな由緒正しい歴史のある神社の鳥居の前では、自慢の長い黒髪を風になびかせ西久保芙美は苛々とした様子で腕時計を睨み付けていた
「芙美、お待たせ~」
オレンジ色の髪の毛を陽に輝かせ、七沢琴はお気に入りの赤いクロスバイクで颯爽と登場した
「遅い!!もう何時だと思ってるのよ、たまには時間通りに来れないの?!」
「ごめんごめん、何でだろうね?時間通りに来ようとは思ってるんだけど、気が付くとギリギリの時間になってるんだよね~ほんと不思議だよ~」
悪びれた様子もなく毎日同じ言い訳を繰り返す琴の姿に、芙美の苛立ちは更に募る。300年以上続く神社の1人娘として生まれた琴は唯一の跡取りとして蝶よ花よと大事に育てられたせいか、マイペース且つ大雑把な性格が形成されてしまった
「琴、あんた全然反省してないでしょう…それに、その髪の毛どうしたの?」
「あっ、気付いてくれた!さすが芙美。気分転換も兼ねて昨日やったんだ~アプリコットオレンジとピンクオレンジと迷って、やっぱりこっちだなって思ってアプリコットオレンジにしたの!良い感じでしょ!!」
オレンジ色に染まったスポーティーなショートボブは琴の雰囲気にとても似合っていた。しかし、芙美には納得がいかなかった…
「ちょっと待って!ピンクオレンジって何?ピンクなのオレンジなの?それに、アプリコットオレンジって何?アプリコットは杏でオレンジはミカンで…果物の種類が全く違うじゃない!!どっちなのよ?!」
「いや…そういう問題じゃなくて、色!色の問題だから!」
「色?!だったら最初からオレンジ色とか柑子色や照柿色って言えばいいじゃない。もう琴の言う事はいつも分かりにくいわ」
「柑子色や照柿色って何色よ…」
芙美の言葉にそれはお互い様だと琴はひっそりと心の中で呟いた
この趣味も好みも考え方もまるで違う2人は歳が同じ事もあって物心が付いた頃からずっと一緒なのだが性格はまるで正反対。2人を知る周囲の大人達は、足して割ったらちょうど良いのにね…と口々に言うほどだった
「もういいわ。遅刻しちゃうから、さっさと行きましょう」
芙美は傍らに止めていた青い自転車に跨がると綺麗に磨かれたローファーに力を込めた。




