ばぶぅ
………
また、夢だ。
フワリと漂う感覚にゆったりと身を任せる。
………
目の前には膝を折り、俺と視線を合わせて優しい笑顔を俺に向ける美恵子さんが居る。ただ、チラチラと顔を上げるその度に何処か物憂げな表情が見え隠れしている。
そうだ、これは叔父さんと美恵子さんが最後に会ったであろう日の思い出だ。
この日、美恵子さんはとても早い時間から婆ちゃんの家に居たらしく、久しぶりの深夜家出をした俺が婆ちゃんの家に明け方着いた時には既に今の畳の上で、テーブルを挟み婆ちゃんと喋っていた。
いつものように縁側から入ってきた俺に驚いた表情を見せると、すぐに顔を反対側の土間に向けた。
その時は誰か居るのかと思い、俺も土間の方を見たが、今思い返すとあれは赤く腫れた頬を隠す為だったのだろう。
美恵子さんは頬に手を当てつつ俺に振り向き、勢いで一緒に土間を見ていた俺に「朝ご飯たべてなくてお腹空いたんでしょ?」と意地悪っぽい声音で聞いてくれた。
そう言うと彼女は答えを待たずに頬に手を当てたまま立ち上がり「したら、私が朝ご飯作ったげる。ふふふ、私の手作りなんてそうそう食べられないよ〜」と俺を揶揄うように笑ってみせた。
彼女特有の舌先をほんの少しだけ前歯に挟みながら笑う様子は当時の俺には酷く不細工に見えたので、その時も何か憎まれ口を彼女に言っていた気がする。
そんな憎まれ口にも更に揶揄うように、でも優しく応じてくれる彼女に僕は入った瞬間の緊張した空気を忘れており、彼女の横顔を覆う白く滑らかで、ほっそりと長い彼女の指の隙間から見える頬に貼り付いた赤い腫れの事など全く気付かぬままでいた。
そして土間に立ち、それを眺める僕を揶揄いながら料理を作る彼女が時々物憂げに玄関を方を見ていたが、その理由を僕が知ることは無い。
少しすると、ドスンと縁側の方で音がした。作りかけの味噌汁をその場に美恵子さんが慌てて掛けていった。
遅れて僕がその場に行くと叔父さんが血だらけで婆ちゃんに凄んでいる場面だった。
美恵子さんも必死に叔父さんに向けて話し掛けているが叔父さんは意に介さないかのように美恵子さんを無視して婆ちゃんに怒鳴っていた。
叔父さんが何を言っていたかは覚えていない。兎に角あれ程凄む叔父の姿とそれとは対照的に涼しい顔で湯呑を卓に静かに置く婆ちゃん驚いてばかりだったため、僕は呆然と居間の入り口で立ち尽くすのみだったのだ。
しばらく、といってもほんの数分もしない内に叔父は大きく息を吐き、僕の方を横目で見ると少しバツの悪そうな顔をして、どかりと不貞腐れた雰囲気で縁側に腰掛けた。
それを見た美恵子さんが縁側に近づくと、その背中越しに二、三言叔父さんへ話しかける。その声にゆっくりと振り向く叔父さんと目が合うと思ったその刹那、美恵子さんが振り上げた手の勢いそのままに叔父さんの頬を引っ叩いた。
余りにも急転する状況に頭が付いていかず、辛うじて確認できたのは叱られた子犬のような顔をする叔父の姿と、そこに背をむけ僕の方、台所に大股で移動する美恵子さんの大きく涙を溜めた目元のみだった。
その後、美恵子さんと婆ちゃんによって運ばれてきた少し冷めた味噌汁と一緒に沈黙の中で皆で朝食を取ったのだった。
結局、あの騒動がなんだったかは分からず終いだが、よくよく考えるとあの日を境に美恵子さんを婆ちゃんの家で見ることはなかった事を思い出した。
美恵子さんを次に見たのは随分と時が過ぎた頃、すっかりとお腹が大きくなった姿だった。
時が経ってから見る姿に、何よりも大きくなったお腹を抱えるその光景に驚き、久しぶり、の一言も口に出来ずにいた。
口を半開きにお腹を凝視するそんな僕の光景に彼女は優しくクスリと笑い「久しぶり」と声を掛けてくれた。
光一は元気?と叔父の名を呼ぶその姿に、僕はそうだねと答えるだけで、会っていないんだね、とは聞けなかった。
「随分と久しぶりね、弟同然だったから会えなかったのは寂しかったけど、私は今後もこの町に住み続けるし、どこかでタイミングが合えば遊びに来てよ」
「あ、おじさ…あの…」
突然の別れからこれまで気になっていた事が頭の中を駆け巡り上手く言葉に出来なかった。僕が何を言おうとしているか察したのであろう、彼女は被せるように語りかけてくれた。
「この子は、光一の子じゃないわ。それに、私の今の苗字は赤松よ。」
やんわりと、言い聞かせてくれるように教えてくれたが、最後の方は上手く言葉が入って来なかった。
初恋の人かさだからだろうか、もしくは僕は傲慢にも叔父に感情移入しているのだろうか、美恵子さんの話も半分に気が付いたら婆ちゃんの家の前で立ち尽くしていた。
景色が絵具を溶かした水のように混ざり合った。
次の瞬間に僕は見慣れた畳敷きの居間に居た。目の前には美恵子さんが仰向けに倒れており、長いスカートの中に半分体を突っ込むようにして美恵子さんに声を掛けているのはは婆ちゃんだ。
この光景を僕は知らない。
しばらくか、すぐか、時間の感覚が曖昧だが、美恵子さんの疲れきった声ではたりと顔を上げた。
そこには元気に泣き声を上げる赤子と慈しみつつ抱き上げる美恵子さんが居た。
美恵子さんはクマの浮く目で僕を見据え、赤子を下から包み込んだ右手の先を軽く曲げ伸ばしし僕を呼んだ。
婆ちゃんに抱き方について怒られつつ、おっかなビックリと赤子を抱き上げると、自然と涙が落ちてきた。
涙が赤子の腹に届きそうになった瞬間、俺は目を覚ました。
好き勝手やりすぎており、纏まりが無いですが楽しんでます。